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2006年12月11日 (月)

友との対話

北海道で数年ぶりに友人に会ってきた。今は実家に静養中らしく、ちょっと気まずい空気だった。ただ、いろいろお互いの話をしあっているうちに彼なりに今の状態から脱け出したいって思っているのが分かった。

んが、こりゃまずいんでないかいって思ったのは、どうもおかしな宗教持っちゃたようなのだ。南無妙法蓮華経の題目だけ借りた出鱈目な本尊で、宗派も聞いた事ないとこだった。僕も教義に関して完璧には語れないが、あの出鱈目な本尊見ただけで大聖人の仏法を正統に継承出来なかった者が興した分派であるのははっきりしている。

人は信じているものの影響がかならず現れるもので、彼はかなり生命力が落ちてるようだ。声も聞き取れないほど小さいし、物事を前向きに捉えることが出来なくなっているようだった。

人は誰しも生きていれば悩みもあれば苦しみもあるものです。だから幸せってのは生命力がないと掴めないものだと思う。生命力が強ければ、どういう道を行くにしても、可能性が広がるものだから。

本尊というのは根本として尊ぶもので、命の対鏡となるものだから、何でも信じればいいってことじゃないんですよね。

彼も暗中模索、信じるに値するもの、拠り所となるものを探しているんだなぁと言うことが分かった。やっぱり社会に出て揉まれると、自分て言うものをみつめるようになるんだな。そこで思いつめていってしまう人などもいるんでしょうね。

今回彼を折伏したけど、発心するかは分からない。時が来れば下ろした種は実を結ぶだろう。ともかく友として祈り見守っていく。彼のためでもあり僕自身のためでもあるから。

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