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2007年7月 5日 (木)

世紀末鯨○記

捕鯨賛成派?反対派?っていわれたら賛成派って答える私です。今日明日にも絶滅って訳でもないのに、何をとやかく言われなきゃならんのか。反対派の主張に普遍性を感じませんしね。自分らが感情移入している動物を必死で庇おうとしている訳でしょ。くだらんねぇ、これを池田清彦風に言うと恣意性の権利の侵害ってことになるでしょうね。この人が言うには、自然保護も動物保護もあくまで人間中心に考えるべきであって、何故環境の破壊や動物の乱獲が悪いかって言うと、次の世代の人々がそれの恩恵を受ける権利を奪ってしまうから(恣意性の権利の侵害)と言うことになります。これを動物目線の倫理的な言葉を持ち出してくるのは、やっぱりそれに感情移入した人の偽善でしょう。

久間十義世紀末鯨げい記」(2つめのげいは魚偏に睨むの右側の字だけど、変換されなかった)は、反捕鯨派と捕鯨船団等とによる主張のぶつかりあいがありつつ、鯨獲りの場面が描かれたロマ~ンか、と思って読んだのだが違った。

ブンヤの主人公石丸という現実と幻想の区別がつかなくなっている人物を通して進んでいく物語で、期待したような読み物ではなかった。私には難しかったです、理解するのが。狂ってない証拠ですかね、いや狂ってるから理解出来ないのか。二重見識っていうのもあるんでしょうけど、そういう人物を通して捕鯨を描こうとした意図はなんだったのか。石丸の中にいるイシマエルと私。イシマエルの妄想に石丸が操られるのを、石丸である私が阻止しようとしているのだが、イシマエルの妄想によって石丸が作り出したはずの物語の人物(反捕鯨集団)が、南氷洋で自分らの捕鯨船団に救出されるという事態になったあたりからややこしくなる。しまいにはまともに現実が見えていたはずの私が、目の前の状況を認識出来ない混乱状態に、、このあたりからもう、イシマエルは出てこない。書いててわけわからんくなった。

反捕鯨の偽善を暴く、もっとシンプルな物語を読みたかった。

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