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2008年5月

2008年5月18日 (日)

震災によって忘れ去られるチベット

四川省での震災の被害が甚大なことになっているようで、ニュースもこの件でもちきりですね。

被災者の方には心中お察しします。被害が拡大しないことを祈ります。

それにしても、五輪前にいろいろと起きる国ですね。

ギョーザといい、チベットといい、ここまで信じられなくなってくると、震災までも実は嘘なんじゃないのかと思ってしまいますよ。(それはさすがにないか)

被災者の方達にたいしては不謹慎ではありますけど、今度の震災でアサヒるマスゴミのみなさんは、内心ほくそ笑んでるんじゃないですかね。

これで中国のチベット問題について触れずにすむと。

加害者として報道しなければならなかったのが、一転して被害者として報道できるようになったわけだ。

死者に鞭打つようで気が引けるけど、一気に流れが変わってしまったようで、なんだか気味が悪いな。

今頃チベットはどうなってるんでしょうね。

胡錦濤の訪日にしたって、パンダ以外に何かあったのかと。

ギョーザの件も進展ないでしょ。それどころか、問題にしてるのは日本だけって話ですね。中国的には、食品に毒が混ざってるくらいで何をさわいでやがるってとこですか。

いや、タフじゃなけれりゃ生きていけませんね中国では。

ところで、この震災で中国人民もさすがに、今聖火リレーなどやってる場合じゃないだろうと、政府の対応を批難する声もあがったようですね。

まがりなりにもネット社会、政府への批判も多少は飛び交うことでしょうね。

16日の聖教新聞の社会欄に、四川大地震の記事が載っていて、政府が60人規模の救助隊派遣を決めた云々、とあったので読んでいたら、日本が中国に援助隊を派遣するのは、1989年の大洪水、2003年のSARS以来だそうです。

これ読んで、あれ?89年て確か天安門事件があった年じゃなかったか?と思い、調べてみたら、もっと興味深いことが書かれていた。

1959~61年の大飢饉 (大躍進の頃)

1976年 唐山大地震 (四五天安門事件)

大きな事件と天災が重なっていますね。

「中国の天災は、歴史の歩みとともに回数が増え、周期が早くなり、そして中国人の勢力拡大、中華文明の波及とともに、局地的なものから広域的なものへと拡大している。」

13億以上の民が生きていくことに必死で、公の精神が希薄だとしたら、そりゃあ災害も多発するでしょうね。

地震は勿論天災でしょうけど、ここまで被害が拡大したのは、言ってみれば人災ってことでしょうね。

役人が工事費や建設費を自分の懐に入れちゃうっていうんだもの。

それで結局少ない費用で着工するから、おから工事(手抜き工事)になってしまうという。

彼の国土がまともであった時代ってほとんど無いんじゃないですかね。

国名がころころ替わるし(皇帝がすぐ討ち取られるとい革命のオンパレード)、水滸伝なんかでもそうだけど、官僚の腐敗っぷりも凄い。

中国で生きてくのは、まさにサバイバル。アナーキーにならないほうが逆におかしいかもしれない。

単純に言って、中国は身の丈に合ってない事をしてるんじゃないかな。

これほどの人口を一つの国家としてまとめていこうという事に無理があるんじゃないか?

しかも一党独裁ですよ。二大政党の国でも民意を酌むのは難しいというのに、13億の人民(実際は16億を越えてるのではと見られている)を纏めて面倒みようっていうんだから。

国内の人民の不満を押さえ込み続ける事が限界にきたら、易姓革命の思想的伝統を有している民族としては、天命が改まるってことで革命が起きるかもしれない。

危なっかしい国が近所に居るもんでとにかく気が抜けないんですが、頭ん中が真っ赤に染まった平和勢力の方々は日本人の中国への警戒心を解くのにやっきになってますね。

外国からの救援隊としては日本が最初に行ったみたいですが、この人達の尽力に中国人の日本に対する認識が変わっただのと、相変わらずのミスリードをメディアはやりだしましたね。

残念ながらそんな認識は僕は持ちませんけど。

舌の根も乾かぬうちに、また日本非難と対日強硬政策を打ち出してきますって。

救援隊の方達は必死で頑張っていらっしゃるのだし、人としても国としても立派な行為です。

ただ、これによって日中関係が良好になるという、お人好しな甘い幻想は持たない方がいいと思いますよ。

一部の人民の間では感謝の念を持ってくれるかもしれませんけど、国家としてこの震災を総括する際には、日本側の救援活動は過去の歴史に対する償いということにでもするんじゃないですか。

だいたいが中国のニュース映像には、日本の救援隊の活動なんて写ってないじゃないか。

胡錦濤が立派な皇帝様に見えるように配慮しているのかね。

間違っても今回の日本の尽力(義援金も日本は一番だしている)で、反日路線を改めるなどという事は期待できないし、尖閣諸島や沖縄の領有権に対する態度、ガス田開発の問題に歴史認識等で、一切の譲歩も日本への配慮も無いでしょう。

こちらがやったことは、あくまでもボランティアと思ってたほうがいいと思いますね。

なにか見返りがあるかもなんて思っちゃいけません。バカを見ます。

2008年5月13日 (火)

学会は中国を信用しすぎじゃないか?

5月9日の聖教新聞の紙面を見て卒倒しそうになった。

一面に先生と胡錦濤が握手をしてる写真がでかでかと。

胡主席「中日が共に平和的発展を」

名誉会長「調和世界を青年の交流で」

とあり、北京オリンピックの大成功を念願ときましたか。

まあ、前から思ってたことではあるけど、先生も学会という組織も、心底相手の裏を読むということをしないのだな。

胡錦濤の言う平和的発展というのは、日本に日中関係を難しくするような事をするなよってことでしょう。

でも中国のやることに対して口挿むんじゃねえと。

それは中国の対外的な政策を見てれば、分かることだと思うんですがね。

異様なまでの軍事拡大路線といい、チベットや台湾の問題といい、ガス田開発の問題といい、この連中の口からよく平和的発展などという言葉が出るもんだ。

といっても、普通はこれを真に受けるような国家は無いし、個人としても、複眼的に物事を見るなら中国という国は、警戒してつきあわねばならんと思うはずだけど。

しかしどうも日本はそうじゃないみたいだし、先生にいたっては、出会った人は皆友人という感じだ。

 一度築いた関係は自分からは壊さない、裏切らないというのは個人としては凄い事だと思う。

思うに、池田先生は平和ということに関して、究極的には他人を頼みとしていないのだろう。

それは、師匠戸田城聖先生の曰く、「一人立て。二人は立たん。三人はあとから続くであろう。」という言葉を、忠実に実行されてきた先生ならではの、人生観、行動哲学であるのだと思う。

そして小説「人間革命」に、その思想が象徴的に表れている。

「一人の人間における偉大な人間革命は、一国の宿命の転換を可能にし、やがて人類の宿命の転換をも可能にする。」

このことからすると、肝心なのは自分の意志であり、信念であるということです

たしかに偉大な変革というものは、一人から始まるのだとは思う。そしてその必死の一人が、他人に影響を与え、後に続くのだろう。

そう考えると敵視するだけでは、何も始まらないというのはあります。逆に相手も意地になるかもしれない。

だから民間外交では、友好、協調でお互いの理解を深めていくことは必要だと思う。

長いスパンで考えた時、民間次元においてもお互いに無理解なままでは、政治的な対立がそのまま国を挙げての対立にまで発展しかねない。

問題は、友好と言っても本当にお互いに歩み寄っているのか?という事。

一方的にこちらが歩み寄るだけでは、ただ与しやすい奴だと思わせるだけだろう。

中国は日本に歩み寄っていると見るのは、左翼だけじゃないか?

このような状況下で、ただ和やかな会談で終わっていいのだろうか。

いくら民間外交とはいえ、現在進行で行われているチベットの問題等に一切触れずに、ひたすら讃えるだけでいいのか。

胡錦濤へ先生は漢詩を送られた。

「國富邦和日日新  

 家家充裕感恩深 

 主施仁政行王道 

 席不暇暖為人民           

 古来文化漢土求 

 月氏睿智福共籌 

 錦繍中華迎舊友 

 濤聲友好萬代流」
  

 「国は富み、邦と和し 日々、新たなり 

 家々は充裕にして感恩深し仁政を施して王道を行う                                      

 席の暖まる暇なきは人民の為なり

 古来文化は漢土に求め

 月氏の叡智に福を共にはかりたり

 錦繍なる中華の旧友を迎えて

 濤声の友好は万代へ流る」 

国は富みというが、その影で取り残されている人民のうめき声は聞こえてないのだろうか。

家々は充裕にて感恩ふかし。しかし内陸部は貧困が酷く、役人や政治の腐敗は酷いものだ。

仁政を施して王道を行うというのは、何をもってそう見るのか。中共のやってることのどこが仁政なのだろうか。

チベットの人々への武力鎮圧等を見ても、中国は覇道の国にしか見えない。

先生の心中にあるものはなんだろう。

何故これほどまでに、相手を讃えることが出来るのだろうか。

人間というのはもっと複合的な存在ではないのか。一面だけで判断できるほど単純ではないと思う。

人間には誉められて襟を正す者もいれば、かえって傲慢にも増長する者もいる。

中国という国の国柄を考えた場合、これほどの讃美はもはや覇権の肯定にしかなっていないのじゃないか?

リアリズムを欠いた評価をしてしまっているな、と思う。

民間次元でも国家次元でも、中国にたいして(アメリカにたいしてもだが)希望的観測が強すぎではないか。

モーゲンソー曰く、
『政治的リアリズムは、人間性の多元的な概念に基礎づけられている。現実の人間は、「経済人」、「政治人」、「道徳人」、「宗教人」等々からなる複合体である。
「政治人」以外の何ものでもない人がもしいるとすれば、その人は野獣である。なぜなら、彼は道義的自制を全く欠いているからである。
単に「道徳人」である人は愚者である。というのは、彼は完全に打算を欠いているからである。
「宗教人」にすぎない人がいるとすれば、その人は聖者である。なぜなら、彼は世俗的欲望を全く欠いているからである。』

人間性の多元的な概念といえば、仏法の生命論は縁に触れて境涯が変わると洞察しているから、権力の座にいる者が道徳人としてのみ行動するわけはないってことは、分かるはず。

そうならば、そういう立場にいる人間の言葉を、そのままに裏を取らずに信じるというのは、人が好すぎる。

それと、政治的次元からだけでなく、信心の次元から言っても中国と単純に友好などと言ってられる状態じゃないはずだが。

聖教新聞では、中国の民間団体や大学等から池田先生への顕彰が続き、さらには池田思想の研究などが行われていると報じ、それをとってまるで中国がこちらに歩み寄ってきてるかのように言ってるが、下衆の勘ぐりで言わせてもらうと、中国側の意図はあくまでも池田先生の持っている影響力をどう国益の追求に使えるかって事だと思う。

先生の下には数百万の弟子がいる。しかも先生の設立された政党が政権中枢にいるということを、中国が利用しようとしない訳は無いよ。

先生を評価する→学会員に好印象→学会員が親中派に→対中政策に反映→中国の国益に繋がる

べつに難しく考える必要もなく単純に分かる話だ。

このように考えられない学会員の方がいるとしたら、その人は道徳人以外のなにものでもない人だと思うし、政治を政治としての次元から見れない人だと思う。

そもそもこの中国は創価学会を受け入れていないという現実をどう認識してるのか。

この信心を布教することをいまだに禁じている国を、何故ここまで信じ、賞賛できるのか分からない。

信教の自由が事実上ない国ですよ。

ロシアやキューバでも布教が認められているのに、そんなに池田先生に理解を示してるならなんで未だにこの信心を排除しているのか。

中国共産党一党支配にとって、権力構造と中華思想に真っ向から張りあいかねない思想の布教を認める訳無いんだよね。

東 晋平さんなどは、中国は遠くない将来創価学会を受け入れるだろうと、物凄い楽観的なことを言ってますけど、僕は全然そうは思いませんね。

てか、日本共産党を批判していて、その親玉みたいな国に媚びてどうするって思うけど。

日蓮仏法は謗法厳戒のはずだけど、この信心を受け付けない国家権力というのは超謗法ではないのか。

チベット弾圧の首謀者つかまえて、仁政を施しって、どの視点から見ればそうなるのか。

むしろ日蓮大聖人は、例えば弘法大師空海や良寛のように生き仏のように崇められている権威に対しても、食法餓鬼と言って徹底的に批判されている。宗祖はそういう激しい方であった。

仏法否定の中共に媚びるのは、学会のとるべき態度なのか。

2008年5月11日 (日)

ぶらりとG・W ‘08 その④

バスはまたしばらく走り続けて、次に降りた場所は、菊池寛の恩讐の彼方に』で書かれた洞門の前だった。

Pict0014 洞門に行くトンネルの横にある石碑。

 

実際に禅海和尚が彫ったという部分は、今は一部だけしか残っていないようだ。

Pict0015 これは後に開通されたトンネル。

表面をあえてギザギザした質感にしているのは、禅海和尚が彫った洞門をイメージしての事らしい。

そしてここを通り抜けると、Pict0016 和尚の時代の人々が鎖渡しで通っていたという場所を見る事ができた。

どうやら、中間の岩肌の色が違っている所がそうらしい。

本当にこんな所通ってとのか?と思うような凄い場所だった。

次に向かったのは羅漢寺だった。

ここはロープウェー(スキー場にあるやつです)で登って行った。

なんであえてこんな険しい所に寺院を建てるのかと、いつもながら思ってしまいましたね。

世俗から離れて修行に専心する為なんでしょうか。

急な下りをこんどは徒歩で下りて行き、麓の茶屋で昼食を取った。

Pict0017 

耶馬渓には奇岩がけっこうありまして、これはバスの中から撮ったもの。

バスガイドのお姉さんがなにやら説明してたが、ほとんどお姉さんに見惚れてたんで覚えてませんね(笑)

観音岩だかなんだか言ってたきがした。まあ、見ようと思えば見えなくも無いという感じで。

峠の茶屋みたいなとこで休憩したあと、最後に向かったのは大分県立歴史博物館だった。

展示は特別陳列「真木大堂の仏たち」と、「南蛮-津久見市所蔵の名品展」でございました。

大分の至宝 真木大堂の仏たちは、10月5日(日)

南蛮は6月22日(日)までだそうです。

仏像見ていつも思うのは、仏様って誰をイメージして造ってるんだろうってこと。

釈尊ならばインドアーリア系人種ですよね。

だとしたら、もっと彫りが深いはずでは?思うけど(笑)、そこは日本人好みに薄い顔にしてあるのでしょうかね。

また余計なことばかり考えてしまった。

南蛮文化の展示では、初めて欧州の文明に触れた人々は、そうとうなショックを受けたのだろうなと思った。

豊後の守護大名、大友宗麟はみずからもキリシタンになるなど、積極的に南蛮文化を受け入れたというが、一種のファッション見たいなものだったんじゃないか?っというのはまたまた下衆の勘繰りですね。でもキリスト教そのものだけで信心したとも思えないのだけど、この辺は不勉強なんでなんとも言えませんが。

そんなわけで17時ごろ大分駅前に到着して今回の大分巡りは終わった。

次に来た時は、国東半島を巡ってみたい。

ぶらりとG・W ‘08 その③

5月3日 (土) 6時前に目覚めたので、展望風呂(朝はしっかり展望出切る)に入ってから朝食を取った。

Pict0009 朝食は\800くらい。

朝からそんなに食べられないので、この程度にしておいた。

フレークとジュースはおかわりした。

食事を済ませて甲板に出てみた。

朝の新鮮な空気が気持ち良かった。

Pict0007 もうすぐ上陸かと思うと、またしてもおセンチな気分に。。

自分はやっぱり船旅が好きなんだなぁ。

そして港に接岸。

大分に初上陸。

Pict0010 さてどうするかのう、と今更ここで考えるのだった。

とりあえず、ターミナルから出る送迎バスで駅まで行くことにした。

Pict0011 

駅についてからその付近を散歩し、再び駅に戻ると、定期観光バスが一台停まっていたので、主要な観光地を巡るにはてっとり早いので、それに乗ることにした。

国東半島巡りと、耶馬渓巡りとがあるようでどっちにしようかと思ったが、バスガイドのお姉さんがごっつい美人だったので耶馬渓を巡ることにした。\5,600也。

しばらくバスは走り続け、最初に停車したのはかの福澤翁の旧居であった。Pict0012 

ここで暮らしていたわけですか。

感慨深いものがありましたよ。

ただ、昔の日本の家屋って、プライバシー無いですね。

考える事が、相変わらず余計だな。

旧家に隣接してる記念館にて。

学問のすすめですね。

Pict0013 「天は人の上に人を造らず、人の下に人をつくらず」で有名、、、てか、僕はそのくだりしかしらないんだけど。

有名な書物なので、読まねばとは思ってるんだけど。

辛 淑玉だかいう人が、福澤翁の事を、ただの西洋思想を翻訳しただけの人間で、そんなのが1万円札にまでなってるというような、趣意の文を書いていたのを読んだ覚えがありますね。

さすがわ恨の国の人だなぁ、と思ってしまった。

それはともかく、旧家の裏の、福澤翁が勉学するために使っていたという土蔵も見学し、次の場所へ向かうべくバスに戻った。

ちと見学時間が短いと思った。

バスの中で、いくら勉学しても志を持てなければ、意味が無いのかもなぁと自分を省みもした。

2008年5月10日 (土)

地味に勝ち続ける

5月8日朝注文しておいた銘柄、5381/JQ 日本ミクロコーティング㈱ 指値\211で100株購入。

同じく、7610/JQ ㈱テイツー 指値\6820で1株購入。その他の銘柄は、残念ながら約定しなかった。

5月9日朝売り注文だしておいた上の銘柄、日本ミクロコーティング㈱が、\213 +200

㈱テイツーが、\6860 +400 

元金が少ないので、微々たる利益だけども、小さくこつこつ儲けていくつもり。

でもこの2週間で、元金を5千円ちょい増やした。

銀行に預けているよりは儲かるからね。

  

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2008年5月 7日 (水)

ぶらりとG・W ‘08 その②

駅前の花屋で、母の日の贈り物を買った。

カーネーションと店員のお姉さんの意見を参考に、鉢植えのなんとかと言う(名前覚えなかった)花のセットで\4,500位だった。

カーネーションだけだと長持ちしないし、かといって毎年咲く花というのもなんか有り難味が無い気がしたので、まあ、良い組み合わせじゃないかと思う。

六甲アイランドフェリーターミナルに着いて、早速乗船手続き。

Pict0001_7

しかし。。

やはり無計画な放浪にはつきものの、本日満席のお報せが。。。

旅は計画を立てたら負けだ!と思ってるけど、いつもながらこの一言にはうろたえてしまう。

一応キャンセル待ちにしておいて、後は待つのみ。成るようになるさ。

もとより、これは旅ですらない。ただの放浪だ。

だめならとにかく西へ行く何かに乗ればいいさと気楽に構えて、読書に耽った。

そうしてるうちに時刻は19時をまわった。

出航は19:50だ。

受付のお姉さんに確認してみたが、まだ分からないとの事。さすがに焦る。

でも大丈夫だと思いますよと言うその一言に期待して、さらに待ってみることに。

出航約20分前になり、アナウンスが入った。

キャンセル待ちの1番から8番の方乗船手続きを  ときた!

ナイス!

乗れるぜフェリー!  乗れるとなった時のこの小さな幸せ!

これぞ放浪の醍醐味。

Pict0002_2

そして乗船。

なんとも言えない感激!

これからひと時の、非日常の時間が始まる。

病み付きになるなぁ、この感じ。

さっそく自分の泊まる2等ツーリストへ行き、荷物を置いて甲板へ出る。他の方達もすでに港を眺め、出航を心待ちにしている様子だった。この光景は他の乗り物では味わえない。

Pict0004 そして出航の時。

巧く撮影出来ず、残念。

皆さんビデオを撮ったりデジカメ撮ったりと、心が弾んでいるのが伝わってくるようだ。

あの再現の出来ない汽笛の音が鳴って、船は岸を離れていく。

実におセンチな気分になる。

ゆっくりと去っていく景色への郷愁と、これから向かう地への想いが入り交じり、絶妙なハーモニーを奏でるのだ(何を言ってるんだ?)。

Pict0005_2 さらば神戸!

また会う日まで!

100万㌦の夜景に乾杯!

夜風よ今夜もありがとう!ってな気分。

風に当たってしばらく港を見ていた。

そろそろ食事にしようと、食堂へ。

ブッフェであった。大人夕食¥1,500也。

なかなかの物でした。結構腹ごたえあって満足であった。

しかし食堂の営業時間が終わるっつうのに、しぶとくおかわりに行くおっちゃんがいた(笑)スープないでぇ、これ  って、だからすでに片付けてるっちゅうのに。

さすが関西人はすごいわ。

食事を済ませた後は展望風呂に入った。

それほど広い浴場ではないのは、ほとんどのフェリーに共通かもしれない。

あと、夜なので展望といっても何も見えはしないんですがね。

風呂からあがって部屋に戻って少しの間TVを見た。

Pict0006 しかし電波が悪い為か、画像が乱れて疲れる。

カリオストロの城をやってたが、部屋の人が諦めてTVを消した。

僕は部屋を出てラウンジで発泡酒で一杯やりつつ、本を読んだ。

カードゲームで盛り上がってる人たちがいたが、声のでかさに参った(笑)。

えらい盛り上がってた。ナベアツのまねとかしながら馬鹿笑いしとったけど、やっぱり当事者達と第3者の間には意識の差が出来るもんですね。こっちにしてみりゃ、ただ五月蝿いだけという(笑)。

でもまぁ、こんなに楽しめるのも船旅の魅力ではありますね。

1時過ぎに就寝。7:00には大分に着く。

2008年5月 6日 (火)

ぶらりとG・W ‘08その①

今年のG・Wは5連休なので、久々にぶらりとしてきた。もちろん予定は何もたてていない。

5月1日 17時に退社してそのまま上野駅へ向かい、しばし駅前のヨドバシカメラにてデジカメを物色するも、

迷いに迷った挙句、買わずに撤退。山手線で東京駅へ向かう。

八重洲口のバスターミナルで、何処に行くか選択。

せっかくなので、なるべく連休じゃなきゃ行きにくい遠いとこにしようということで、とりあえず神戸に決めた。

出発は22:20で時間が空いてるので、駅付近のカフェでカプチーノを飲みつつ読書で時間潰し。

持って行ったのは、「聞け、あの淋しい汽笛の音を」(ディー・ブラウン著) というアメリカ大陸横断鉄道の本。 

そうしてるうちに定刻のバスが来た。

僕の座席は2階の5列目の窓側だった。しかし夜行バスは皆さんすぐ寝るので、カーテンは開けられないのが残念なところ。

しかたないので、そとの風景を見たい僕はカーテンを被るような格好で座っていた(たぶん見た目怪しい人物だろう)。

でもすぐに眠気がきたので、普通に座って眠りに入った。

深夜1時頃、最初で最後の休憩の為、中央自動車道境川パーキングエリアに入った。

これ以降の停車は運転手の交代のみで、客は降車出来無いので僕も降りて売店でおやつとカフェラテを買って、しばしの休憩。

この時間が実に気持ちが良い。

夜の涼しい空気にあたり再びバスに乗る。この時が不安だ。間違えて違うバスに乗りそうになったことがあるから。

間違えずに乗車し(子供か?)、あと6時間程の長丁場に挑む。

7時過ぎ神戸駅に到着。いつもながら、目的地に着くと何故か淋しくなる。

自分はようするに、着くのが楽しみなのではなくて、そこへ行くまでの時間が好きなんだなとあらためて実感した。

さてどするか。予定が無いので当然路頭に迷うわけで。

西へ。

着いた矢先にもう気持ちは別の地に行っているのだった。

久しぶりにフェリーに乗るのもいいな。

足は港に向かった。

神戸はさすがに洒落た街だと思った。港には近場を周遊するフェリーが停泊していた。

普通、観光客はこういうのに乗るだろう。僕もそれを考えた。

フェリーでブランチ。

クール!

しかし。。。

どう考えてもこの時期カップルに占領されることは間違い無い。

その中でおやじが一人ブランチ。。。フェリーでおやじが一人でブランチ。。。

幸せな人達の周りに影を落とすのは明らか。

昼食はまた別のとこで食べるとして、ひとまず喫茶店でモーニングセットをとり、九州へ行くフェリーの乗り場へ行く事にした。

歩いて行くかとも思ったのだけど、どうやら駅前からじゃけっこう距離があるようだ。

個人TAXIに乗車し、向かってもらおうと思ったら、運転手が良い人で、電車とバスで乗り継いだほうが安いよと教えてくれたので、そうする事に。

JR三ノ宮駅から住吉駅へ。

駅前ビルの向かいに六甲アイランド行きのバス停があり、時間を確認。次は16:35だったのでまた時間潰しにその辺をぶらぶら。

パチンコで\5,000使ったがなんの気配も無いのでさっさと止めて、近くのとんかつ屋で昼食を取った。

最後まで打った記事が(保存していたところ以外)保存する前に文の確認をしたら、見事に消えてしまった。

気力の限界なので続きは後にすることに。。。(泣)

  

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