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2009年12月

2009年12月31日 (木)

紅白イタイ

今年もイタイ。いったい誰なんだ紅白の演出しているのは?

こども出しすぎ。かわいそうでいたたまれないね。

なんで見ているほうがこんなに緊張するんだか。

会場の空気を見れば、TVで見ているほうも似たような反応であろうな。

盛り上げようとしているのに、思ったような効果が出ないという苦しさ。

なにより苦しいのは、NHKが、いまだに紅白というブランドを信じて疑わないような姿勢を見せていることだな。

しかし、結局は見てしまうオレの負け。

どうにもこれを見ないと、年越しの気分が味わえないという、日本人の宿命。

2009年12月28日 (月)

こころ

高校の国語の教科書で読んで以来、いつか全て読もうと思っていた夏目漱石の“こころ”。

今読みかえしてみても、やっぱり分からん、先生の自殺。

なぜ死なねばならないのか。

そこまでKに対して、罪の意識をもつ必要があるとは思えないのだが。

時代の空気ってものか?

だいたい、Kにしたって死ぬことないだろうに。

Calyfkl5

こころ #新潮文庫#

星:☆

ただ、この時代の本を読むと、日本語の語彙が増えるのは好いね。

2009年12月24日 (木)

アバター

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欠勤した。なんとなく気分がのらない日が一ヶ月に一度はあって。社会人としてダメだな、とは思っているけど、どうにも身体が云うことをきかないので。転職を模索しつつ、自分にとって天職は何なのかと思ってしまう。そんなものにいつか出会えるのかと。自分が一番自分らしく生きられる場所に

2009年12月22日 (火)

何ヶ月ぶりかの本幹放送

えらい久しぶりになってしまったが、本部幹部会衛星放送(いつもながらこれの正しい言い方がわからない)を見に行った。

先生の話が始ってしまっていた。ゲーテ協会(?)だったか(失念)の賞の授与式を兼ねての本幹であったようだ。

先生の声を聞くとほっとする。

柔らかい、にもかかわらず威厳がある声です。

題目を上げぬいた人の声だと思う。

そして、顔色が良い。薄桃色というのか、とても血色がよさそうで、ほっとした。

組織活動してないので、行く資格がないと思うが、久しぶりに先生の声が聴きたくなったので。

2009年12月17日 (木)

PUBLIC ENEMIES

ジョニー・デップ主演、「パブリック・エネミー」を観賞。

最初、ジョニーかこれ?って思うほど、今まで見慣れていたジョニー・デップの顔と違った。

ジャック・スパロウも好かったが、この役も好かったな。

役作りをしっかりやってるんだろうな、向こうの役者って。

それにしても、ドルビーサウンドで聞く、銃声は迫力があっていいわ!

不思議と耳に心地いいんだな、あの乾いた銃声が。

昨今の、CG使いまくりの映画にはない、役者で勝負する骨太な味わいでしたね。

観始めたときは、「これ感情移入できないな~、」と思って、少々困ってしまったが、最後はまぁ、妥当な終わり方でしたわ。

2009年12月15日 (火)

国賊幹事長、在日外国人の参政権に言及 韓国の大学で特別講義

反日国家に国を売る気かね、この輩は。

さすが、薄らバカ腐れ左翼政権ですな。

 “日本政府の姿勢を示すうえでも”、ってなんだ?

“姿勢を示す”って、何に義理立てしてんだ?

なにやらお隣さんから誠意を見せろとでも、せっつかれているかのようじゃないかよ。

いったい、なんの貸しでもあって隣さんは偉そうに、自国民へ参政権をよこせなどといってきやがるんだ?

いや、言ってくるのは構わんよ、べつに。それは連中にとっての国益にかなうからだろうから。

問題は、それに対して日本の政治家がなぜ隣国を尊重して、隣国の利益にかなう行動をするのかってこと。

まぁ、答えはわかってるが。

薄らバカ腐れ左翼だからだ。

2009年12月10日 (木)

なぜ死にたがるのか

ネットを徘徊していると、実に死にたい願望の人が多いことに気づく。

なぜ、死にたいなどと思うのか。

死にたくなくても人は死ぬのに。

しかも驚くことに、学会員にもかなり鬱になっている人がいるようだ。

なぜ、御本尊がありながら。

祈りがありながら。

御本尊とはいったいなんだろうか。

日蓮大聖人は、我々衆生がいつの時代に生まれてきても、仏に会えるようにという慈悲で御本尊をおしたためになられたのではないだろうか。

毎日、仏と対面できるという幸せ。

このこと自体が奇跡なのだと思っている。

毎日、お仏壇の扉を開けるたびに奇跡を起こしているのだ。

こう書くと、なにやら大変な活動家と思われるかもしれないが、まったく逆である。

もう一年以上も、なんの活動もしていない。

聖教新聞すら購読していない。

していることはただ、勤行、唱題、そして御書の拝読のみ。

正統な学会員からしたら、ただの退転者にひとしいであろう。

自分の信心に対する態度を正当化するつもりもない。

しかし、弁解するつもりもない。

今はただ、組織的に信仰することから距離をおきたいのだ。

自分としては、御本尊と自分の間に、何者をも介在させたくないというのが正直なところなのだ。

師恩に報いなければならないとは、思っている。

師匠がいてくれたから、その師とともに戦ってくれた人たちがいたから、こうして自分が御本尊を持つことができた。

だが、師恩に“報いたい”と思うようでなければ、それは偽りの感情にちがいないとも思う。

自分は、とにかく誰かを幸せにすることができたら、それが師恩に報いることになるのだと考えることにした。

難しい。

信心は、難しく考えればとことん難しい。

簡単に考えようとすると、まるで信心を軽く捉えているように思われる。

このあたりが、組織的な信仰の厄介なところだなと思う。

信心しているのに満たされていない人は、おそらく組織に満たされていないのだろう。

本当にこれでいいのか?と、半信半疑で活動している人がほとんどなのだと思う。

まともな神経の人なら、それが当然だと思うよ(笑)

ただ、組織に対する不満から、信心が破られていく人がいたとしたら、その人は組織に多くを望みすぎていると思う。

組織に依存する心があるのではないだろうか。

オレにはそれはない。

組織に対する期待はまったくない。

したがって、裏切られたような気分になることもない。

いったい、どっちがまともな信心なんだろう。

鬱になるほど、活動に仕事にとがんばること。

あれをしなければ功徳がでないだの、これをしなければ功徳はないだの、組織的見解を、一切雑音と排してわが道を行くことと。

それによって心が充たされているのなら、オレ流も捨てたもんではないのかもしれないと思っている。

罰と功徳については、一切を御本尊にゆだねる。

自分が間違っているのなら、自ずと答えはでる。

それについて、他者と御本尊に対し、決して逆恨みはしない。

そう腹が据わっているのなら、犀の角のごとくただ独り歩めばよいのではないのか。

2009年12月 8日 (火)

The Day Of The Jackal

かの有名な、ジャッカルの日をいまさら読んだ。

Caprelsu

著者はフレデリック・フォーサイス。

星: ☆ ☆

かのフランス大統領、シャルル・ドゴール暗殺を目論み、しかし幾たびもの暗殺計画に失敗した愛国者たちが、最後の切り札として切ったカードこそが、コードネーム「ジャッカル」であった。

このイギリス人の狙撃手は、その辺のゴロツキどもが頼みとするような安い仕事はしない。マフィアのボス等を狙うような仕事ではないのである。国家元首級の暗殺をやってのける凄腕の狙撃手である。

ゴルゴかよ!って思うくらいのもんだ。用心深いところも近いものがある。

さて、何故にこの愛国者たちはドゴールを暗殺せねばならなかったのか?

まずは、この暗殺をジャッカルに依頼した、マルク・ロダンという男が何者かだが、彼はOAS(秘密軍事組織)の作戦主任である。そしてOASとは、ひと言でいうなら極右である。国益を損なう輩は死すべきであると考えるわけだ。

当然、左翼など根絶やしにすべきと考えるわけだ。まったく同感である(笑)

そもそも連中にとって、ドゴールはフランスそのものであったのだ。

『一九五八年六月、ドゴール将軍は、首相として権力の座に返り咲いた。将軍は、腐敗し崩壊の危機に瀕した第四共和制を廃して、第五共和制を敷いた。“フランスのアルジェリア”という彼の発言が国民一般の声となって反響し、それが彼をマティニョン(首相官邸)へ連れもどし、ついで一九五九年一月、彼はついにエリゼ宮の主となった。そのときロダンは感激のあまり、自室に飛び込んで、うれし泣きした。アルジェリアを訪れたドゴールの姿は、ロダンの目にはさながら、オリンポスからご降臨になったゼウスのように映った。新しい政策が施行されるものと、ロダンは信じた。共産主義者どもは追放され、ジャン=ポール・サルトルは反逆罪に問われて銃殺され、労働組合は屈服し、アルジェリアにいる同胞とフランスの文明のフロンティアを守る軍に対する祖国の暖かい支援の手が、いまにも差しのべられるだろう、と。』P29,第一章 陰謀の解剖学

しかし、ドゴールは彼らの信じたような男ではなくなっていった。

彼の祖国復興策に、アルジェリアは含まれていなかった。

もはや、彼にとってドゴールは憎悪の対象でしかなくなっていった。

はたして、ドゴール暗殺はなるのか。

偽造旅券と変装の業を駆使して、着々とその時に迫るジャッカルと、それを迎え撃つ、こちらもやりての警視、ルベル。軍配はどっちに上がるのか!というスリリングな一冊。

上等な読み物であった。

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