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2010年3月22日 (月)

文化防衛論

文化防衛論 /三島由紀夫/著 [本] Cimg0116

☆☆

日本人必読と言ってよい本であると思う。その価値は、21世紀になった今も色褪せない。それどころか、ますます重要性を増していると思われる。

本書では、最後に三島と当時(全共闘世代)の学生との、質問会が収録されているが、この学生たちの発言の薄気味悪さに反吐がでないとしたら、かなり危険な症状が表れていると思われる。左翼的な“甘言”に、目を眩まされているのではないか。

かれら左翼は、人類の進歩には目的があると考える。歴史には到達すべき“段階”があると考える。そして、その“段階”に至って人類は、搾取のない理想社会に生きることができると考えているらしい。

もはや宗教である。かれらは、その思想を“科学的”社会主義と自称しているようだが、どの辺が“科学的”なんだか、さっぱり分からん。

まず、左翼思想の第一に気持ち悪いのは、“人間性”に対する洞察の浅さである。共産主義思想を純粋に打ち込まれた人民たちによる社会では、“理想の言論の自由”があり、マルクス言うところの、“階級なき社会”、“政争なき社会”が実現されているはずだと考えるのである。

【以下、本書より一部抜粋】

昭和四十三年十月三日,早稲田大学大隈講堂にて,

〈学生Mの発言〉

たとえば共産主義社会というのは結局完全に共産化をされた人間でできているというわけですね。そういうものの中では完全に共産化をされた人間は完全な言論の自由が得られていると思うのです。だから意識革命ということがそこで問題になると思うのです。

なんという不気味な思想であろうか。完全に共産化された人間は完全な言論の自由が得られているだろうと、想像できるこの頭の構造がそら恐ろしい。

たしかに、その段階までいってしまった人間には、共産主義に対する疑問もなにもなくなっているかもしれない。しかし、その段階における人間にとっての、言論の自由とはなんぞや?言論の自由にも、目的があるなどと本気でいってるこの連中にとって、その段階に達してしまったあとに、いったい発言すべき何かがあるのか。

共産主義という宗教に入信した連中は、資本主義における過酷な競争や“疎外”から、人間を“解放”するなどと綺麗事を云っているが、こいつらほど必要悪という二枚舌をもっている連中もいないのである。この体制を維持するには、秘密警察と強制収容所を必要とする。

三島はM氏の質問に答えて曰く,

我々は人間を楽天的に見ても悲観的に見てもそれぞれその人の勝手ですけれども、私は少なくとも、つまり教育によって完全な共産主義的人間、内心の自由がそのまま社会的自由につながるような人間ができるということは信じないだけのことなんです。そして私は文学をやっていればやっているほどそういう懐疑を強めたというわけですね。(p210)

おれは共産主義に九〇%賛成なんだが、一〇%何か賛成でないというか、一億の蟻の一人になれないものがある、それが何だろうか。それが自分が自由に共産主義を選んでいる時には、その一〇%が気にならない。ところが自分がそれを完全に力で選ばされてしまった場合には、今度はその一〇%が非常に人間の自由の重大問題であると考えられてくる。そこでチェコのような問題も起ると思う。そして人間の考えは―全部の人間が同じ考えをするということができれば、本来民主主義なんていうものはこの地上に成立する余地はないのです。そんなものは要らない。したがって戦争も要らないわけだ。ところがどうしても人間というものは全部同じ考えを持ち得ない。(p211)

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