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2010年8月11日 (水)

「悪魔祓い」の戦後史

マルクス教というカルト宗教に洗脳された、アホどもの言動の記録である。これは必見。

決して過去の者どもと嗤ってはいられない。冷戦は終わったとはいっても、いまだにマルクス教に感染したままの、素敵なアホどもがいるからだ。

左巻き文化人どもの精神構造を理解しようとするのは、非常に疲れることではある。しかし、何故に奴らは腐れ左翼となってしまったのかを、考察する意義はあるだろう。

平和を望むのは当然であるとしても、それが凶惨主義者となる必然性はあるのか。

【中古】afb【古本】悪魔祓いの戦後史/稲垣武

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☆☆

著者は、三島由紀夫と同じ指摘をしている。

右翼と左翼という立ち位置の違いこそあれ、現実の裏付けを欠いた願望のみが自己肥大して遂には単なる夢想に至る過程、仮想のユートピア(戦前はナチス・ドイツ、戦後はソ連・中国)を求めてそれに拝跪し、その幻影を基礎に日本の現状を論難し模倣させようとする」(p7,はしがき)

「右翼と左翼の違いはあれ、それは表の看板だけで、頭の構造は同一ではないかと疑われるほどだ。」(同)

“願望のみが自己肥大”とは、憲法9条を金科玉条のごとく崇め奉っている人々が、まさにそれであろう。

魔除けの御札と思ってでもいるのか。あるいは念仏、題目か。

やはり日本は言霊信仰の国なのであろうか。言葉が神聖化してしまうようだ。

信じるのは結構だが、頼むから日本のような言論の自由と結社の自由を認められている国で平和運動してないで、朝鮮にでも行ってやってみてくれないか。

速攻、ぶち殺されるだろうがな。

さて、本書の中身であるが、まぁ、線引く箇所の多いことよ。目から鱗というべきか。

少々引いてみると。

第一章 「ソ連」に憑かれた人々

戦争に積極、消極を問わず協力した知識人は、その贖罪と救済のためにも何か強力な救い主、メシアが必要だった。

そこへ戦争に反対して一七年も獄中にあったという共産党幹部が出獄し、凱旋将軍のように迎えられた。また彼等の信奉する共産主義も革命とプロレタリアートの独裁による社会主義の建設を経て、共産主義社会という千年王国が地球上に実現するという福音を説くものであったから、メシアとしては十分の資格を備えており、風にそよぐ葦のようなか弱いインテリ連中は先を争って共産主義になびいた。(p9,)

なんという単純な。戦争に反対して獄中にあったというだけで、英雄視するとは。

戦争というのは、国と国との一大事業であって、互いに総力戦で事に当っている時に、反戦活動している者に寛大な対応をする国家などあろうはずがないのだ。

反共的な人間を反動分子と断罪し、徹底的に吊るし上げ虐殺する凶惨主義者どもならば、戦いにあって団結を乱す輩に、寛大に処するなどありえないことは分かっているはずであろう。

第四章 六〇年安保への序曲 

日本人のなかに反基地・反米軍運動が熾烈になるのは当然のなりゆきで、血気にはやった分子はゲリラ戦まがいの武力闘争や米兵に対するテロに走りかねない。それは当然米軍による報復を招き、その悪循環は日本国全体を騒乱の渦に叩きこむだろう。その当時すでにコミンフォルムの方針に従って占領中に武力闘争を敢えてした共産党だけでなく、共産党を脱した過激派全学連が存在したのだから、火種には事欠かなかっただろう。

 当然起り得べき結果を顧慮せず政策を提言するのは無責任というしかない。この無責任さが進歩的文化人の言論の特質なのであって、その例は枚挙にいとまがないが、進歩的文化人らが安保改定絶対阻止を叫んだ真意は、案外、日本に革命的状況をもたらすことで、一挙に彼等の政治的信条を「現実化」しようとしたのかもしれない。そうなれば中ソや北朝鮮から武器を含む革命勢力援助があるはずで、その結果生まれた革命政権は東側寄りになるのは明らかであり、彼等の唱えた「中立主義」は羊頭狗肉の看板だけにすぎなかったことになろう。これは講和論争のときと同じ進歩的文化人の言説のパターンであった。(p86,)

革命の契機になりうるものは、なんでも利用するのが腐れ左翼の蛆虫どもである。社会の混乱に乗じて、どさくさ紛れに権力を盗ろうという魂胆を持っているのは、今に至るも変わるまい。

「歴史の必然」という失笑もんの教義に洗脳されているこの蛆虫どもは、体制側を弱体化するために、今は変化への抵抗力を削いでいくことに専心しているにちがいない。

「夫婦別姓」「女系天皇容認」「外国人地方参政権」「国籍法改悪」等々。

一見、なんでもないような法案に感じるだろうが、これらを積極的に実現しようとしている勢力が、腐臭漂う腐れ左翼の蛆虫どもであることを考えたい。

これらは、長期的に見て、国柄を破壊しかねない。

天皇に対する敬意もなければ、何年住んでいようが国民になろうともしない連中に、国民と同じ権利を与えていこうとしているのが左翼どもである。こいつらにとっては日本の歴史や国柄なんぞ、しったこっちゃねえって話だろうよ。

腐れ左翼どもはこれから歴史を作ろうとしているわけだ。これまで築いてきた歴史など、否定こそすれ、守ろうなどという気はさらさらない。

第八章 毛沢東の魔術

しかし、暴力革命によって権力を握った革命政権が、その後の経済や社会の運営と建設において、もはや革命時の狂熱とロマンティシズムによっては事態を解決し得ず、その蹉跌の原因を「階級敵」の復活に求め、「革命が成功しないのは革命が不十分だからだ」として恐怖政治に走るのが、革命の普遍的な運動法則なのである。(p148,)

歴史法則という、科学を自称したカルト宗教の信者どもは、かくして「永久革命」という名の無間地獄に至るのである。

第一一章 首領サマの経済論争

また個人崇拝がもたらす政治的・社会的病理についても全く考えようとはしない。新興宗教の教祖なら、その害悪は限定的なものだが、絶対的な権力者の場合はその毒は社会の全身に回る。たとえば金日成の提唱する主体思想が全世界にあまねく福音をもたらしていると見せかけるために、取り巻き連中はなけなしの外貨を使って、世界中にほとんどが有名無実の「主体思想研究会」を組織したり、三流の「芸術家」に高い旅費・滞在費を払って「金日成讃歌」を唄わせるために招待したり、西側の新聞に大きなスペースの広告を掲載して記事と見せかけ、西側でも主体思想を称賛していると国民向けにPRしたりもする。

 これらは必ずしも金日成自身の意志ではないかもしれないが、絶対的権力者と個人崇拝が結びついたとき、取り巻き連中の「忠誠の競争」がとめどなくエスカレートするのは必然で、そのため国家に重大な経済的損失を与えることにもなる。小田が自らの視点だとする「人びとのことから考えたい」は、人間という一筋縄ではいかない存在とその生理をトータルに理解することでなければならないのではないか。(p192, )

腐れ左翼と平和主義者は、“人間という一筋縄ではいかない存在”に対する認識が、根本的にズレているようだ。

人間の良い面に目を向けるのは結構だが、それのみで人は存在しえない。清濁合わせ持つのが人間であろう。

この、人間の“濁”の部分を見ず、あらゆるものから中立でいられるような、抽象化した“人間”を基準にして平和や経済や政治を語るのは、無意味である。それは無理なのだ。

第一四章 ヴェトナム戦争―錯誤の原点

ヴェトナム戦争とはなんだったのか。なぜ、米国は勝てなかったのか。

“ヴェトナム人民の解放と民族統一”。それを力で阻止しようとする、米国。

左巻き文化人の言説によると、そういうことになるのだろう。

人民だの、解放だの、統一だのと、左翼の腐臭がぷんぷんするわけだが、実際にも民族主義に擬装された凶惨主義革命闘争の様相を呈していたのである。

どさくさに紛れて、凶惨化になだれ込むのが、奴らの流儀なのだ。

この種の政治工作は共産党の常套手段であり、主敵を倒すまでは広汎な反政府勢力を結集するために民族統一戦線を看板に掲げるものの、目的を達成して自らが権力を握るや否や、直ちに仮面をかなぐり捨てて昨日の友を容赦なく切り捨て、一党独裁体制を築くのもまた共通のパターンである。(p224,)

プロ市民のアホどもはアイヌや同和や朝鮮人を担ぎ出して、政治闘争に利用しようってわけだな。もっとも、奴らのことだから、逆に海外の左翼陣営に利用されてんじゃねえのか。

第一六章 べ平連の自家撞着

進歩的文化人らは、ヴェトナム戦争の共産革命という面をできるだけ消去し、「民族解放」一色に塗りこめようとした。解放戦線の「南ヴェトナム解放民族戦線」という正式名称を、意図的にか無意識のうちにか、「南ヴェトナム民族解放戦線」といつの間にやら呼び換えたのもその現われである。正式名称のほうは「南」を「解放」するための統一戦線という意味だが、「民族解放戦線」となると、ヴェトナム民族を植民地支配から解放するというイメージになってしまうわけだ。(p246,)

詭弁に満ちた言葉遊びは腐れ左翼がよくやることだ。

搾取だの阻害だのプロレタリア独裁だのと(笑)、くっだらねえ言葉遊びと幻想を追い求めることに人生を費やしているこの腐れ左翼の蛆虫どもは、いったい奴ら云うところの保守反動勢力に比べて、どれだけ上等な思想をお持ちなのか。

結論からいうなら、言葉と向いてる方向こそ違えど、精神構造は同じだな。

むしろ、歴史の必然などという大それたことをほざいていることからも分かるように、宗教的信念に立っている分、左翼のほうが質が悪いと云わざるをえない。

宗教的信念に立っている奴らは、論より証拠ってことが分からんのだろう。

第二二章 教科書を蝕む「革命史観」

さて、素敵な日凶組の皆さんは子供たちに、どんな凶育をしているのだろうか。オレの経験から云うと、社会科の凶師のなかに一人いたねえ、凶惨野朗が。

戦時中は「八紘一宇」「一億玉砕」といって、皆が犠牲になったと説く。子供たちに、日本がいかに酷い国なのかをしつこく語る。天皇制が諸悪の根源と説く。

その奴らが、じゃあ、どんな上等な思想を持っているのかというと、

敗戦前の皇国史観を「革命史観」と看板を塗りかえただけで、頭の構造は少しも変わっていないと言われてもしかたがないだろう。「八紘一宇を顕現するための皇民を練成する歴史教育」と、「革命を鼓舞し実現させるための革命的プロレタリアートの歴史理論」に基づく教育と、方向は逆に見えるが、歴史教育を特定の政治目的に奉仕させなければならないという思考構造は同じなのである。(p316,)

おめでたい連中ではあるな。第一、歴史に必然ってなんだそれ。自然科学と違って、人間社会には不確定な要素が無数にあるだろ。なんで必ずそうなるなんて言い切れるのか。

奴らの云っていることは理論でなく、教義とでもいうべきものだ。

この凶惨カルト信者どもはいまだに死に絶えてはいないのである。奴らは暴力革命で一気に片をつけることこそ諦めたかもしれないが、逆に、合法的手段によって国家の弱体化を謀るのである。

 

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コメント

煉獄さん、復刊ドットコムに投票してきましたよ。
この本ブックオフでは割と見かけますね。

管理人様

はじめまして煉獄童子と申します。
復刊ドットコムに『「悪魔祓い」の戦後史』をリクエストしました。ブログをご覧のみなさまの投票次第で復刊される可能性があります。
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