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2010年9月26日 (日)

「日本核武装」“相討ちの恐怖”のみが真の抑止力となりうる

日本核武装―廃絶への道を求めて日本核武装 廃絶への道を求めて ,中島 尚志:著,はまの出版,2003

読後感:☆

四天王寺国際仏教大学教授、元判事・弁護士の方が著した核武装による平和論である。

核武装を説くことがなんで平和論になるんだ?!、と思われる方は、ご自分のご主人様をどこの国にするか考えたらよい。

支那畜の首輪を受け入れるか、露助の首輪を受け入れるか、アメ公の首輪を受け入れるか。

9・24はこの国が独立国であることを放棄した日であると思っている。もう、この事態はアホ左翼政権を望んだ連中だけの問題ではではない。信じられない話だが、本気で友愛が通じる相手だと思っていたようである。

そしてこれは、九条信仰という知的障害が必然的に招いた結果である。

 自分も引けば相手も引くという、自分中心の平和主義、相手国の民度や歴史を考慮していない、自分の嫌がることは相手も嫌がり自分の望むことは相手も望んでいる。だろうと思っている。

たんなる自己満足としかいいようがない。自分も人間、相手も“同じ人間”。ならば対話すれば理解し合えるはずだ、と思っている。

阿呆か?

千年に一人の偉大なる指導者さまが7千人にも及ぶ対話の歴史を築いたそうだが、それと同じことを政治家に望んでいるとしたら頭が足りないとしかいいようがない。

もともと思想的な親和性の強い相手と何人対話しようと、それは互いの思想の素晴らしさを確認しあっているだけの、仲良しトークにすぎない。

政治的対話とは、即お互いの国家の死活の利益に係わってくる問題を扱うのである。したがって、すでにこの段階から戦いは始まっているのだ。文学や哲学談義をしていればいいというものではない。

考え方の違いがあっても、この問題については平行線ですねで終わる、終われる民間外交とは次元が違うのである。

政治における対話の物別れは、ならば自分の要求を相手に呑ませる力を、どれだけ持っているかで決着のつく段階にまで進む。

何ゆえにこれほど単純な現実に対して盲目となったのか。戦後の日本人は、世界でなにが起きているのかまったく見えていなかったのか。

一度冷静になって人類の歴史を見たらよい。

いったい、絶対平和主義を標榜される方たちは、人類が争いを対話によって解決しようとしてこなかったとでも思っているのか?

平和主義者は旗幟を鮮明にすべきである。自分たちの主張する平和とはいかなるものなのかを。

(ⅰ)血を流さずに決着がつくならば、いかなる結果をも受け入れるということであるのか。

(ⅱ)あくまでも日本国という独立国として立つ。他国を侵略するつもりもないが、他国の侵略を受けることも拒否するという、主権国家としての立場を明確にして万国とつきあっていく平和のことであるのか。

(ⅰ)を選択するならば結論は早い。相手の要求を全面的に呑むことである。そうすれば相手は何も失うことなく、望むものを得るであろう。

日本人がそれによって何を得るかは、どこの国家が飼い主となってくれるかによるであろう。

(ⅱ)を選択するならば、そのために必要な条件とはなんなのかを現在の国際情勢に鑑み、且つ、これまでの人類の歴史から人間とはいかなる生物であるかという、その“業”と“本性”を冷徹な知性でもって分析し、その必要条件を充たす努力をせねばならないはずである。

本書はそのための考えるきっかけとはなるだろう。ただ、情緒に訴える話が少々多いかな、と思う。本の帯にある、

“相討ちの恐怖のみが真の抑止力となりうる!!

このひと言に尽きている。

世界の常識は、己の要求はどこまで許されるのかを試していくことによって、生存をはかるのである。

お互いに譲り合うことによって平穏を保つ、日本人と同じ民度を他に求めても無駄である。

この著者は、心情的には武力は持ちたくないに違いない。そんなものがなくても秩序が保たれる、友愛の世を夢想したいに違いないのである。

このような詩的な表現をしている。

私たちは、おそらくブッダが直接の弟子に語った「ただ一人歩め」(スッタ・ニパータ)という声を聴くことができる位層(ミッション・ステート)に、移らなければならないでしょう。キリストが直接の使徒に語った「行け」(マタイ伝)という声を、決して後戻りできないような位層において聴かなければならないでしょう。言い換えれば、すべての人たちが潜在的には持っているはずの「聖なるものへの衝動」に、孤独になったときに初めて味わうことのできる感動の世界に、それぞれが一度は立ち戻ることです。孤独な自分の耳を大地に静かに当てて見ることです。(P94,第2部 現代日本の「自由・平等」の姿,)

孤独な自分の耳を大地に静かに当てて見る。その時なにが見えるか。なにが聴こえるか。

ブッダの慟哭が聴こえないか。

自分の祖国と同胞を滅ぼされた、守れなかった、その挫折、その悲しみ。

万物が平等に仏性を持ち、それを開く中にこそ真の幸福があることを説いてきた。にもかかわらず、征服の意志を明確に打ち出してきた者を言葉によって止めることは、ついにできなかったのだ。

この慟哭が聴こえないのか。

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