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2010年12月28日 (火)

オウムと全共闘

 オウムと全共闘

オウムと全共闘
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読後感:☆☆

なぜオウム真理教事件はこれほど人々の関心を引きつけたのか—。著者は、戦後25年目に起こった全共闘運動を自らの体験を踏まえて内省しつつ、戦後50年目に起こったオウム事件の必然性を鮮やかに読みといてゆく。また、左翼崩壊以降の知識人がオウムのような新々宗教にたいしてどのような態度をとってきたか、いま「信じる」とはどういう意味をもつのかという問題にも光を当て、現代日本社会が抱える深い空洞をあぶりだしてゆく、エキサイティングな書。

目次

1章 オウムという断層
2章 全共闘運動とは何だったのか
3章 全共闘批判からオウムへ
4章 オウムと知識人—吉本隆明ほか
5章 オウムと知識人—宗教学者たち
6章 いま「信じる」とは何か
7章 文化と思想のハルマゲドン

オウムなんたらが阿呆な犯行に及んだ時、その構成員がいわゆる高学歴であることに唖然とした人も多いのではないだろうか。著者は全共闘世代としての自身の体験とも照らし、「左翼革命」に被れた、当時の学生たちとオウムの青年たちに共通の傾向を、本書で論じている。

この場合「知的に優秀であること」は、その抑制条件になるどころか、むしろ促進条件になると考えたほうがいい。なぜならば、知的に卓越している人間は、実存的に孤独な条件下におかれていることが多く、現実から遊離した虚空の方向に自分の生を決定づけて行きやすい傾向をもつからである。

かれらは、世俗の感覚世界に制約されない「理念」「原理」「観念」を求めようとする。可視的なものに着地せず、上昇とひろがりの可能性を予感させる雰囲気をもつものに強く引きつけられるのである。(p13,1章 オウムという断層)

 

国境なき世界だの階級なき社会だのを夢見ているような人たちは、この連中を笑えない気がするね。実はかつての自分もその傾向があったから、読んでいて腑に落ちること多しであった。

理論と実際の違いを受け入れられるようになるには、それなりに時間がかかるのだろう。全共闘世代で、マルクス教にどっぷり浸かっていたような人たちは、恐らくまだ洗脳が解けていないだろうと思う。カルト・ソ連が崩壊しても、あれは共産主義ではなかったというキチガイもいるくらいだ。

本書では、かつての全共闘世代がこの資本主義社会で管理職に就くなどして適応してしまっていながらも、いまだに未練がましく凶惨革命を明らめ切れていないことを批判している。

この世代の、革命幻想にどっぷり浸かっていた人には、あるいはオウムという現象も違って見えているのかもしれない。

オウム事件当時の知識人らの発言に対しても批判しているが、吉本隆明に対する批判が特に興味深い。オレも、吉本の浅原某に対する“理解”に、理解しがたいものを感じていたためである。

吉本隆明は、信じたくないのだが、浅原某を“思想家”として評価しているようなのだ。オレは浅原某の著書など読んだことはないし、読もうという気もおきないのだが、吉本はそれを読んでどうやら浅原某が、本統に修行を積んで体験したことを書いていると認めたようなのである。

申し訳ないんだが、何をもって「これは体験した者でなければ言えないことだ」などと云えるのか、まったく理解できない。吉本というと、思想家“らしく”理屈をこねくり回して現象を解釈する人だが、何故浅原のような輩を“相当な思想家”などと思えるのか。

たとえば浅原が、チベットなりインドなりのヨガ行者や密教の行者の本などを読んでいた可能性だって、有り得るとは思わないのだろうか。何故、本人(浅原)が修行によって掴んだものだなどと、あっさり信じるのかが理解できないのだ。ここで疑ってかからない吉本の、思想家としての態度に不信を持ってしまう。

著者が指摘しているように、吉本隆明の文章には、どこかに思想のラディカリズムへの無原則といってもいい心情的傾斜が感じられる。(p93,4章 オウムと知識人—吉本隆明ほか) のである。

親鸞の「悪人正機説」への理解といい、こちらの常識を覆してくれる知的興奮を与えてくれる思想家ではあるが、オウムへの共感ともとれる吉本の“理屈”にはどうにも納得いかないのだ。

井尻千男氏が云っているように、「オウム真理教が民族を超えて、普遍宗教たらんとすることと、同胞を無差別に殺したことをどういう脈絡で語るべきか。私はそこにこの教団の愛の欠落を見る。同胞を愛せないものに、どうして人間を愛せようか、という一言に収斂することだ。(p73,共同体を保守再生せよ

と、このように単純に考えられない知識人(特に左翼)が不思議でならないのだ。

井尻氏はさらに、“なんという美意識の欠如した集団”かと呆れている。あのヘッドギアを着けた姿といい、単なる工場かプレハブ小屋のようにしか見えない“サティアン”なる建物といい、浅原自体のあのきたねえ面といい、あれらのどこに高貴な思想性を見るというのだろうか。

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