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2011年1月

2011年1月30日 (日)

ザ・ロード華麗なるアリバイ

原作、A・クリスティー「ホロー荘の殺人」。

ある上院議員夫妻の大邸宅に集まった男女9人。その中の1人の男が殺される。

全員に愛という名の動機があった。犯人は・・・・。

犯行現場のあの状況を見ればあんたでしょ?、って素直に思っちゃうのだが、あ~だこうだと云いつつ捜査が始まってしまう。

頭の中が???でいっぱいになりながら、あれじゃないんかい?と深読みしつつ終盤へ。

結局そっちだったんかい!、と呆気にとられて終わってしまった。

映画の出来よりも、おフランス女の禁煙ファッシズムに完全と抗う、煙草の吸いっぷりが印象的であった。

文明を全て失った世界。父子は希望を求め、旅を続ける。

この映画は人間の業について考えさせられる。人間が築き上げたものが破壊され、絶望という名の共通の敵がいながらも、その状況ですら争う人間とはいったいなんなのか。

母は絶望に勝てなかった。父子は希望の火を燈して“南”へ向かった。彼らが本当に求めていたのは、太陽の暖かさというより人の心の温かさであっただろうと思った。

父子は旅を続ける。自分と息子の“ため”の弾丸を二発銃に込めて。

旅の途上で眼にする悲惨。

食糧として、人間が人間を家畜化する。

女、子供という未来への希望も、餓えた人間にはただの“肉”にすぎなかった。

もし、文明の崩壊した世界に放り出されたとき、自分はどっち側の人間になるだろうか。

希望という南へ向かって、悲惨に打ち克つ道を行くか。

今の苦痛を終わらせる方を選ぶか。

人間を喰ってでも“生きる”か―。

これを見て、問わずにはいられない。人間性とはなんなのかと。

自分以外に誰もいないかもしれないそんな世界で、もし出合った人が憎むべき人であったらどうするだろうか。

たとえば、ムスリムとユダヤがその状況で出合ったらどうなるのだろうか。

まさかその状況でも争うのだろうか。自分以外の、唯一の一人であるかもしれないとしても。

こういうことを問うたとしても、意味はないのだろう。所詮は縁によって左右されるのが人間としかいいようがない。完全に理性のみで生きられるほど、都合よくは出来ていないのが人間なのだ。

だから“人間性の解放”という詞に幻想をもたない。

人間性が解放されるときは、人間の野獣性が解放されるときだ。国家という暴力を独占した機関があってこそ、人間は安心して生きられているのだと思わざるをえない。

それを特定の独裁的人治国家を見て、国家=悪と断罪している輩を見ると、目出度い奴だなと思う。

三島由紀夫は「文化防衛論」のなかで述べている。

もし政治が人間性の敵であるならば、どうして人間を保護するのであろうか。ということは、「人間」を「人間性」の危険から守るために宗教が起り人間性に含まれる自然の脅威から人間を守るために反自然的なキリスト教が発明され、かつ宗教の欠点を矯正するために政教分離が起り、政治が宗教の一部を受け持って、人間を人間性から保護するために秩序維持の義務、ないし使命を負うたのである。(p99、自由と権力の状況)

この得体の知れない“人間性”というものから人間を保護する為に国家という暴力装置があり、その統治が及ぶ範囲内でこそ、人は人を信用できるのではないか。

この映画は、そういうことを考えさせてくれる。

2011年1月27日 (木)

今夜、すべてのバーで

今夜、すベてのバ−で (講談社文庫) 今夜、すベてのバ−で (講談社文庫)

著者:中島 らも
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読後感:☆

【薄紫の香腺液の結晶を、澄んだ水に落とす。甘酸っぱく、すがすがしい香りがひろがり、それを一口ふくむと、口の中で冷たい玉がはじけるような…。アルコールにとりつかれた男・小島容が往き来する、幻覚の世界と妙に覚めた日常。全身ボロボロの禁断症状の彼方にほの見える“健全な生活”。親友の妹さやかの往復パンチ的叱咤激励の闘病生活に次々に起こる珍妙な人間たちの珍事件……。第13回吉川英治文学新人賞受賞】

中島らもの実体験を基にした小説。

オレもこうなるのか・・・・と、暗澹たる気分にさせられた。

10代で酒を覚え35で死ぬよと3人から云われ、まるでその予言を忠実に守ろうとするかのようにアル中になっていった男。友を失い、その妹にも呆れられ。

何故人は酒に溺れるのか。アル中について書かれた本を肴に、酒を飲む。アル中の悲惨さを学び、そして予定通りアル中となり入院という、哀しき男。

売文屋になったものの、書けない。酒に逃げる。感覚を麻痺させる。現実からの逃避だ。

心理学だのなんだので、いくらアル中に陥る人間を分析したところで、救いにはならない。飲まずにいられる人はアル中にならず、飲まずにいられない人はアル中となる。原因が分かったところで飲めば終わりさ。

くだらない。

くだらない人生、くだらない人間。

おれはもちろんプレスリーと同類の人間だ。だからシンパシィを抱けないのかもしれない。くだらない人間はくだらない同類を憎むものだ。

(中略)

みじめな人間がすべてジャンキーになるのだったら、世界中にシラフの人間は一人もいなくなるだろう。同じ苦痛を引き受けて生きていても、中毒になる人間とならない人間がいる。幸か不幸か、なにかの依存症になってしまった人間が、一番言うべきでないのが、プレスリーの台詞なのではないか。中毒におちいった原因を自分の中で分析するのはけっこうだが、“みじめだから中毒になりました”というのを他人さまに泣き言のように言ったって、それは通らない。それでは、みじめでなおかつ中毒にならない人に申し訳がたたない。“私のことをわかってくれ”という権利など、この世の誰にもないのだ。

(中略)

同じジャンキーでも、湿けた甘えを自分から叩き出した人間には、さらさらした砂のような、あるいは白く輝く骨のような美しさがある。地上の肉を脱ぎ捨てた美しさ。(p114~115)

自分を見つめすぎなのかもしれない。自意識過剰なのかもしれない。

破滅に向かっていくその自分にこそ、酔っているのかもしれないのだ。

 酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを、「飲まない」ことによって与えられなければならない。

 それはたぶん、生存への希望、他者への愛、幸福などだろうと思う。飲むことと飲まないことは、抽象と具象との闘いになるのだ。(p195~196)

Ca1u86oq 琥珀色の悪魔はなにも語らない。

しかし、裏切らない。

上手に付き合えば最高の友。

日蓮線図

日蓮線図

著者:小和田 善幸
販売元:地湧社,1993
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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読後感:△

【日本列島のほぼ中央南関東地方。東京を含むこの世界経済のひとつの中心に直径170キロの円で囲わなければ収まらない超巨大な絵とも字ともとれる地上線図が描かれた。描いたのは日蓮宗開祖の日蓮だと著者はいう…。 】

第1章 線図の発見

第2章 線図の完成

第3章 偶然の可能性

第4章 作意の証明

第5章 久遠の仏

すごい本だ。

何がすごいかと云うと、著者が地図に発見した偶然を、“何者かの作意によって描かれた地上線図である”と決めつけてしまい、本まで出しちゃったことである。

地上線図?、なんのこっちゃという話であろう。しかし、どうやら著者はマジである。

そもそもこの著者は何者か。1938年、神奈川県出身。機械技術者。

これだけしか明かされていないのである。本職の作家ではない。

その人物の、“ここには神仏のメッセージがある!”との思い込みを一冊の本にしてみせた出版社がすごい。

いったい何を発見したのか。

この人は日蓮ゆかりの地を線で結ぶと、3ヶ所がぴたりと並ぶ線が5本もできることを知ったのである。

この5本もの3点直線によって描かれた図を、『日蓮線図』と名づけたということ。

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なんでこんなことに気づいたのかというと、この著者の義姉夫婦が創価学会員であったことから、日蓮を祖とする宗派には日蓮宗以外に、日蓮正宗というのがあるということを知った。

それをきっかけに地図で身延山や日蓮正宗の大石寺の位置を確認していたところ、この線図を“発見”してしまったらしいのだ。

ゆかりの地3点が、直線で並ぶ。それも5本も。

そこからこの著者のすごい拡大解釈が始まるのである。

ここには明らかな作意がある! しかし、それは日蓮にも意図的に作ることまでは無理である!

つまりこれは“全人類に対する神仏の実在を示す、神仏からのメッセージ”に違いないのだ! と。

しかし読めば分かるが、肝心な場所は抜けているのである。

①誕生寺(安房の小湊・千葉)

②清澄寺(12才で弟子入りした寺・千葉)

③実相寺(静岡)

④松葉ヶ谷(鎌倉)

⑤日蓮崎(俎板法難・伊豆半島東岸)

⑥鏡忍寺(小松原の法難・千葉)

⑦竜口時(竜の口の法難・神奈川)

⑧久遠寺(身延山・山梨)

⑨本門寺(武蔵の国・東京)

⑩大石寺(静岡・弟子の日興が開祖。)

ざっとこの10ヵ所を結んだのがこの線図である。見ての通り、肝心な佐渡は入っていないのである。

これは如何なものかと。

著者の云うように、この日蓮の足跡によって描かれた線図に“神仏のメッセージ”があるとしたら、佐渡での蓮祖の体験には重要な意味がないってことになってしまわないかと。

それは由々しき事態ではないかと。

佐渡を入れると、3点直線が崩れるわけか。考えさせられるね(これに意味があるなら)。

ところで、著者はこの試みをするにあたって、漫画で日蓮の生涯を学んだそうだが、それには大石寺は載っていないのだそうだ。

にもかかわらず、この線図にはしっかり大石寺が入っている。

というのも、大石寺の一点を取り除くと線図が崩れるのである。

一点を消すとそこを通る線も消え、孤立する点もできるわけで、これを影響度で表すとこうなる。

影響度1位:誕生寺(消失線・2本、孤立点・3点)

影響度2位:大石寺(消失線・2本、孤立点・2点)

影響度3位:日蓮崎(消失線・2本、孤立点・1点)、竜口寺(消失線・2本、孤立点・1点)、本門寺(消失線・2本、孤立点・1点)

影響度4位:実相寺(消失線・1本、孤立点・1点)、鏡忍寺(消失線・1本、孤立点・1本)

影響度5位:清澄寺(消失線・1本、孤立点0点)、松葉ヶ谷(消失線・1本、孤立点・0点)、身延山(消失線・1本、孤立点・0点)

これの面白いところは、大石寺は身延山がなくても線図に存在できるが、大石寺がないと身延山は線図には存在できないということ。

そう考えると、なかなか興味深い着想ではある。

ところで、Tina Turnerは宗旨変えしたのか?

本尊が仏像になっちゃったのかよw

2011年1月24日 (月)

山羊と男と男と壁とAチーム

復活した伝説の特殊部隊が、名誉を汚した国家、巨悪に挑む!

とりあえず派手に暴れる!

これぞAmerican way of life(?)な映画。

濡れ衣きせられ投獄されるも脱走。黒幕の正体知って吃驚。

名誉回復のため当局の命令も無視して4人で解決。結果よければ全て善し!

とりあえず暴れる!以上!

超能力(笑)を武器とする米軍特殊部隊が戦場で大活躍(笑)する!

ホントに実在したらしい米特殊部隊の、トンデモな活躍(笑)を映画化。

超能力を開発し、敵の潜伏先を当てさせるなどの無茶なまねをやってのける。これが本統の話かよwって、呆れる迷走ッぷりである。まぁ、憎めない連中ではあるw

笑いのツボは、あまりオレには合わなかった。

ただ、挿入歌に“More Than A Feeling”を入れてくるのはnice!な選択。

2011年1月21日 (金)

誰がため狼の死刑宣告

第二次大戦末期、ナチスに凛然と立ち向かった二人の男の物語。

舞台はデンマーク。

ドイツに協力する、犬どもを処刑していく男たち。

だが、そこには裏切りがあった。ただ二人のみ、真の友情によって結ばれていた。

彼らの純粋な愛国心は利用されていた。

いったい誰を信じればいいのか。正しいのは誰なのか。本当に死すべき奴は誰なのか。

どっちが勝とうが、生き残ることを考えている奴らの浅ましさ、汚さ。

それに比べて、あまりに真っ直ぐな彼らの“怒り”。

止むに止まれぬなんとやらである。

『 ただ、“生きる”ためなら降伏を、

だが、“存在する”ためには戦いを―』

好い言葉だ。

眼鏡の役者が渋い。

最愛の息子をチンピラに殺された男の、壮絶な復讐劇。

ケビン・ベーコンが凄かった。壮絶なる処刑劇であった。

ホッケーの有望な選手であった長男を、gas stationで給油中に乱入してきた糞ガキどもによって殺される。

たんなる度胸試しである。ガキどもの通過儀礼としての殺人である。

地獄の日々がそこから始まるのだ。

腐れ司法は滓どもにも“人権”があるとほざく。

陪審員を見方につけるのは無理だとほざく。

そしてまったく反省していない糞ガキ。

腸が煮えくり返る映画である。このまま泣き寝入りしていたのであれば。

だが、この映画は「狼の死刑宣告」である。

父は狼となって、一人で死刑執行を始めた。

彼にとってその選択は善かったのか。妻と次男もいたのだ。

家庭が崩壊していくその決断は、愚かであったのか。時間が癒してくれるのを待っていればよかったのか。

善良な市民として。

しかし、ガキどもは平然と更なる被害者を生み続けていく。そして司法は、滓どもにも“人権”を認めるのだ。

オレはこの父に同情する。結果から見れば確かに愚な選択をしたことになるのだろう。それでも、我が子を無残に殺された親の怒りに忠実に、復讐に向かったこの父親の潔さに喝采を送りたい。

怒りに身を任せ破滅に向かっていくその潔さに、清々しかった。

人権派どもは、彼らは社会の犠牲者なんだとしたり顔で抜かすだろう。彼らも更生することができるんだと。

しったこっちゃねえって。

奴らの生い立ちに原因があったとか、社会にも要因があるだとか、しったこっちゃねえって。

彼(ケビン・ベーコン演じる父親)を突き動かした怒りの元は糞ガキどもであり、その怒りに忠実であった。それで結構。

その後の彼がどうなってしまうのかは分からない。司法によって当然裁かれるだろう。事実上、人生終わったといってもいいだろう。ならばまったくの無駄なことであったのか。

幸せだった過去を見ながら、放心しているような彼のこころが癒されていたと思いたい。

2011年1月20日 (木)

シナ人が日本に大量移住、その数毎週500人

シナ最大の武器は、その異常な人口である。せめて人間性が善ければ救いもあろうというものだが、遵法精神の欠片もないときてる。

たとえ国籍を変えても決してその国の国民にはならない。あくまで“華人”である。

世界に散らばり、世界を喰らい尽くす。その異常な生命力で。

兎に角、何から何まで桁違いである。歴史が記しているところでは、シナは戦乱に明け暮れていたわけだが、どういう訳か人口が減るどころか増えているw

世界史の授業を思い出しても、一番うんざりしたのがシナ史であった。暇なし王朝が変わりやがるので、国名(国という概念で語っていいのかすら疑問だが)覚えるのも面倒になってくるのである。

文革にしてもそうだが、人の死に方、その数が半端ないのだ。それだけ大量に犠牲になって死にまくっているにもかかわらず、何故だか人口は増えまくるw

もう、訳が分からんシナ人は。

中国人の世界乗っ取り計画 中国人の世界乗っ取り計画

著者:河添恵子
販売元:産経新聞出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

,読後感:×

《騙す、脅す、略奪する“ガン細胞”
これが新しい“中国人”の正体!
カナダ、フランス、イタリア、アフリカ、オーストラリア、そして島嶼国までが!――中国共産党の移民国策×カネ×無法の三拍子でパワー全開の中国人が、世界中で暴れている。決して地域に馴染もうとしない、義務なき権利を主張する「傲慢で不誠実で無責任」な彼らの“生態”を報告する。 》

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

第1章 世界に拡がる「もう一つの中国」(カナダはすでに乗っ取られた
大暴れする中国系ゴロツキ ほか)

第2章 中華“金主主義”共和国の攻勢(あらゆる手段で他国に“寄生”
子どもは“金(カネ)の卵” ほか)

第3章 黒い中国共産党VS世界(ウヤムヤにされた毒ギョーザ事件
「毒ミルク事件」スピード解決のウラ ほか)

第4章 騙す・脅す・略奪する“ガン細胞”(人民元が国際化される恐怖
庇を貸して母屋を取られたイタリア伝統産業 ほか)

第5章 世界の政治も食い尽くされる(カネで買われたアフリカ大陸
オーストラリアはホワイト・チャイナ ほか)

本書には明るい話はない。シナ人の生態の凄まじさに呆れて苦笑するくらいか。

決して明るい笑いではない。

結論から云うと、シナ人は直接的な武力侵略を選択する必要はないということである。その必要すらないってことだ。そんな危険な冒険主義に走らなくとも、異常繁殖したシナ人を世界に撒き散らすだけで好いわけだ。

そうすれば民主主義国家にとって云い訳しにくい、“人権”を盾に合法的に世界をめちゃくちゃに出来るというお話しである。

停滞する日本を尻目に存在感を増し続けるシナ。シナを市場として見る幻想から抜けられない欧米毛唐の“バスに乗り遅れるな”とばかり、媚び諂い深みに嵌っていく日本。

要因は様々あるにせよ、労働力としても日本人よりシナ人の方が善いという風潮まで出てきた。最早シナ人抜きで日本経済は成り立たないという、media洗脳も気味が悪い。

本当にそうなのか?

シナ人が日本経済を救うとな?

例えば日本が物を売って、シナ人がそれを買ってくれるっていう関係だけならいいさ。だが世の中そう都合の良い話にはならんのですわ。

利に聡いだけで価値を創造するでもない、遵法精神なきシナ人が大量に定住するかもしれない移民政策などを、本気でやる気でいやがる。

凶惨野朗どもは大企業がどうの、資本家による搾取がどうの云ってるが、シナ人と共生するとなったらそんな甘っちょろい精神では生きていけないと思うよw

移民政策といえば、本書にはカナダの例でこんな話が書かれている。

移民の可否の最終判断は、書類に記載された内容にウソがないか、カナダ側の移民管が面談を行なって下されるが、なにより相手は「偽造書類作成が朝飯前」のツワモノたち。日本人の移民コンサルタントも、「移民の相談をしてきた中国人に、『卒業証明書は?』と尋ねたら、『どこの大学がいいか?明日準備するから』と言われて絶句した」と語っていた。

カナダの地元有力紙『バンクーバーサン』には、数年前、「移民申請する中国人の三〇%以上が大嘘。移民局はこの中国人の“天も恐れぬ大ウソ申請”をふるい落とす作業だけで、大変な手間隙と市民の税金を使っている!」との憤懣記事が掲載されていた。(p70,第2章 中華“金主主義”共和国の攻勢)

いちいち引用するのも気が重い。うんざりさせられる。

あらゆる手段を使って他国に寄生する。只管権利を求めて。何ものも生み出さない。価値あるものは何も。ただ侵食するのみ。

“自国の問題を移民先にまで持ち込み争っている”(p231,第5章 世界の政治も食い尽くされる)のが、シナ人である。

2011年1月19日 (水)

まだまだ正月休み気分でいたいのさ

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飛んだ。

短い休みであったが。

月一で飛びてえよ。

雲海の上は爽快だねえ。

飛び立つ時は相変わらず不安でしかたないんだけどねえ。

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立ち上がれにっぽん!

与謝野ふざけろ。

東京だけ見てたんじゃ分からんぞこの国は。

地方経済どうにかしないとなぁ。

腐れ凶惨主義者どもが、大企業云々と飽きもせず云ってるが、減税も有じゃねえのかと。

やっぱりさ、稼ぐのが楽しくならなきゃなぁ。

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立ち上がれにっぽん!

与謝野ふざけろ。

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もっとぶらぶら旅したいんだよ日本。

海外にゃ興味なし。

わざわざ毛唐のために金使うきにゃならねえっす。

   

47都道府県総て見聞したい。できれば総てに住んでみたい。

離島も全部制覇してみたい。

全駅に下車したつわものもいらっしゃるわけなんで。

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冬に北上するのは間違いだったな。

     寒い。

やっぱ老後は南国しかねえかなぁ。

冬はいっそう孤独を増すね。

目的もなしに放浪してると、猶のことね。

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また明日から仕事なんだわ。やる気ねえっす。

もっとだらだら生きてえのよ。

山頭火にちょっと興味が湧いている今日この頃。

あ、それと豪州水浸しですってね。

全力でお祝いしますわ。愛するイルカと鯨に助けてもらえや(爆w)

2011年1月13日 (木)

シー・シェパード@環境terrorist幹部「ザ・コーヴ」の舞台、太地町に常駐 「日本たたき」強化

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/101008/biz1010080011000-n1.htm

シー・シェパード幹部「ザ・コーヴ」の舞台、太地町に常駐 「日本たたき」強化 (1/3ページ) - MSN産経ニュース via kwout

>ウェスト氏は日本への対決姿勢を強めている点について、「海洋生物が絶滅すれば地球が滅びる。日本は世界で最も海洋生物を殺す『犯罪行為』を続けており、地球環境にダメージを与えている。われわれは実力行使でこれをやめさせる」と話している。

イルカや鯨を食ったら海洋生物が絶滅するってかおい? 鯨がどれくらい魚を喰らう生物か知ってるのか腐れ毛唐ども。

こいつらがいくら理屈をこねたところでそれは屁理屈にすぎない。 地球環境にダメージを与えてるだ?!

阿呆か貴様ら。貴様ら毛唐どもが地上から消えろ。それが一番環境に良い。

われわれは実力行使でこれをやめさせるだ?!

何様だ毛唐ども。

何で日本のTVはこいつらの行動を密着報道しねえんだ? 

報道するとこの毛唐どもの怪しさが明らかになっちまうからかよw

なんだ、terroristに加担するわけか?

いい加減日本は法改正すべきだろ。 

問答無用でこのterroristどもを蜂の巣にして海にぶち沈めることのできるまともな国家になるべきである。

この問題は倫理的な問題ではない。政治的問題だ。terroristに屈服する国は、terrorism支援国である。

西村修平の主張に論理性はないw
しかしこの際そんものはどうでもいいのだw
この腐れ毛唐どもがてめえらのやってきたことを棚に上げて、調子こいて有色人種を啓蒙してやろうというその厚かましさにたいしては、断じて弱腰になってはならんのだ。

2011年1月12日 (水)

寂しいマティーニ

 

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寂しいマティーニ [単行本]

オキ シロー (著)  角川書店 (1993/05)
読後感:☆☆☆
マティーニ、ギブソン、マンハッタン、ダイキリ…。一杯のカクテルが馥郁たる香りを放ち、心の隙間に注がれる。甘くせつない酒場でのワンショットシーン。ページを開くとカクテルが匂い、男と女の21の物語が―。

COCKTAILについて講釈垂れるほどの人でも、本書は十分楽しませてくれるのではないだろうか。

オレはそんな知識云々より、兎に角ここに出てくるCOCKTAILをすべて飲みたくなった。

しかしまぁ、洒落た飲み物ですなぁCOCKTAILってのは。

これ読んでいた時は思わず、近所の商店でサントリーのカクテルバー・スクリュードライバーを買ってきて、飲みながら読んださ。 なんとも貧乏臭い話で。

いや、一つひとつの話がこれまた洒落てましてね。
やっぱりあれですねぇ、他の酒と違ってこのCOCKTAILには、甘い恋愛の引き立て役がよく似合う気がしますね。
Barでこいつを飲むのが似合うような歳のとりかたをしたかったんだけど、どうも野暮ったくていけません。なんかこう、beerみたく気軽に飲めないというか、微妙にぎこちなくなってしまうわけで。
なかなか大人の嗜みってやつが身に付かないんだなぁ。お里が知れちゃうわけですよ。
最近は専ら、Whiskeyをちびちびやってますわ。

住民投票は「毛唐にも投票権を」賎極長官

トチ狂った腐れ左翼の蛆虫どもが死に物狂いで国家解体に狂奔してやがる。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110111/plc1101111823012-n1.htm

住民投票は「外国人にも投票権を」仙谷長官 - MSN産経ニュース

>国を開く『平成の開国元年』という観点から、
どういう観点だか曖昧すぎて分からんぞ蛆虫ども。開くってのは何を意味してるんだ?
 そしてどこまで開く気でいやがるんだよ。際限なく“開く”のか? 
ここは日本だ。日本人と毛唐の区別があるのはあたりめえだろ。日本に住む日本人が毛唐より権利を持つのは、当たり前だろうが? 
日本人を、自分の国を持たない流浪の民にしたいのか蛆虫どもよ。
>アジアであれ、北米大陸であれ、いろいろな方々と共生する環境をつくることが国の基本方針にならなければならない」と述べ、政府として推進を目指す考えを表明した。
今の日本はいろいろな方々と共生してねえってか? 貴様ら腐れ左翼の蛆虫どもが云う、共生ってどんなことを云ってんだ? この日本に“国民”が居てはならないってか?
日本人に毛唐と同じ権利で我慢しろってか? 
国民主権だの云ってやがって、国民が居なくなったらどこの誰に主権が渡るんだよ。
誰に主権を移譲してえんだ?
>また「地域社会も、そういうコミュニティーがつくられる条件をつくるべきだ」とも指摘した。

無理だな。これから日本人が減っていくにもかかわらず、反日毛唐であろうがなんだろうが、無分別に日本人と同じ権利を与えるなどという、トチ狂ったまねは許されない。

逆に云えば地域住民として認められる条件があれば、つまり“国民”の目から見て許容範囲内の毛唐ならばまだしもって話だ。

2011年1月10日 (月)

新 教養主義宣言

新教養主義宣言

新教養主義宣言

  • 山形浩生 著;河出書房新社,1999
  • 販売元:楽天ブックス
    楽天市場で詳細を確認する

    読後感:△

    「日本的四畳半ウサギ小屋的せまさ」に行き詰まっている現実も、ちょっと物の見方を変えれば可能性に満ちている。文化、経済、情報、社会、あらゆる分野をまたにかけて、でかい態度にリリシズムをひそませた明晰な日本語で、いま必要な新たなる“教養”を読者の脳裏にたたき込む。二十一世紀の日本人必読の書。

    【目次】

    1 人間・情報・メディアを考える(情報処理で世界は変わるか?―二十一世紀の生産性向上にむけて

    生物としての限界を超えた自由を夢見て―スタニスワフ・レム『虚数』序にかえて ほか)

    2 ネットワークと経済を考える(消費税を七%に上げよう!―スーパー・アクロバチック不景気脱出策

    メディアと怪談とインターネット ほか)

    3 ぼくたちの文化のあり方を考える(フリー翻訳マニフェスト―プロジェクト杉田玄白について

    日本文化のローカル性を超えるために―青空文庫から読みとれるもの ほか)

    4 平和・人権・民主主義―社会システムを考える(平和の危険性と戦争の効用

    権利はただのお約束にすぎない ほか)

    5 「おもしろさ」の秘密について考える(セックスは消滅するか?

    おもしろさを伝えることのむずかしさについて ほか)

    多くの翻訳書を手がけているこの著者の、著者自身の執筆による本を読んだのはこれが初である。

    “文章のわかりやすさには定評がある一方で、その異様にでかい態度と節度なき罵詈雑言でも悪名高い。”と、ご丁寧に著者紹介にもある通りの文体である。これは好みがはっきり分かれる作家だと思う。

    素人がブログでテキトーなこと云ってる分にはこの文体も気にはならないが、書物の体裁をとるとなると、どうかなぁと思ってしまう。

    中身はっていうと、骨休みに読むにはちょうどいいかも。なぎら健壱風に云うと、風呂やトイレで読む本といったところ。なるほどと思う点もあるが、思考が一変するほど“ガツン”とくる書ではなかった。

    ただ、書評がいくつかあるので、後々そちらの本に手を伸ばすという楽しみはできた。特にこの著者は、Paul Krugmanという経済学者の説を高く買っているようなので、これには興味が涌いてきた。なにしろ異様に態度がでかく節度なき罵詈雑言が特徴の人が押してるくらいなんで。

    あとは平和と権利について述べている辺りは、一読する価値はあると思う。別段きわどい事は云っていない。ただ、これですらへ~わしゅぎしゃには耐え難いであろう。

    2011年1月 9日 (日)

    The Seven Sisters

    セブン・シスターズ―不死身の国際石油資本

    アンソニ・サンプソン :著, 日本経済新聞社 (1976) Catk1dx1

    読後感:☆☆

    セブン・シスターズとは何か。アングロ・サクソン系7大石油資本のことである。

    本書は、米系5社(Esso,Mobil,TEXACO,Chevron,Gulf)と英系2社(SHELL,BP)からなるこの巨大資本が、如何にして産油国と自国の政府と、そして消費者との圧力や批判をかわしつつ、黒い液体の支配者たらんと競争してきたかを、一方の側に偏ることなく書き記している読み応え十分の書である。

    もっとも、本書は石油危機が起った当時の背景を下に執筆されているため、情報としてはすでに古い。

    ただ、この黒い液体が歴史に登場してからどれ程の人間を魅惑させてきたかが分かる、いうなれば人間劇として楽しめる読物である。

    特にロックフェラーの商魂の凄さは際立っている。この一族は兎角陰謀論の標的になり易いのだが、その理由は競争相手を出し抜く無慈悲さと秘密主義にあるようだ。

    一代でスタンダード・オイルという巨大石油資本を設立したジョン・D・ロックフェラーは、当時の石油パイオニアたちが油田を掘り当てるという“ヤマ師的冒険主義”に浪漫を感じていた時、すでに『この産業を支配する唯一の方法が石油を生産する部門にはなく、石油を精製、販売し、ライバルを安い輸送費で出し抜くことにあると読んでいた。』(p27,第二章 ロックフェラーの遺産)

    彼は鉄道会社を説得し、大量輸送には運賃を割り引くだけでなく、“彼の石油を輸送するときにはリベート(払い戻し)を出すようにさせた。”(同)という。著者はこれについて、“自由企業精神を破壊してしまったのはロックフェラーだったのか、鉄道会社だったのか。”と述べている。いったい彼はどうやって鉄道会社にその条件を呑ませたのか、そこをもっとよく知りたいところだが、本書では“説得した”としか記されていない。

    厳格な両親に育てられ数字に魅せられた、この“青年”ジョン・D・ロックフェラーの人間性を示している言葉がある。

    アメリカン・ビューティ種の赤バラがその華麗さを誇ることができるのは、そのまわりのつぼみを早めにつんでいるからにほかならない。

    情報量は豊富で、しかも読み易い。単なるこの業界の知識の羅列のような書き方ではないのが良い。

    それから、あたかも石油資本が国際政治を牛耳っているかのような陰謀論ではなく、むしろ産油国、自国の政府、そして消費者たちの批判と圧力に晒され翻弄されている一面も持つという、この巨大資本たちの違う姿も見られるのが良い。

    ただ、同時にそこがこの本の読み方の難しい点でもある。産油国や自国の政府の強さに対して、石油資本たちの弱さが意外であるからである。他で語られる(陰謀論むき出しにしても)彼らの姿と違うため、簡単にどちらを取るとも云えないのである。

    2011年1月 5日 (水)

    彼岸過迄  

    彼岸過迄 (新潮文庫) 彼岸過迄 (新潮文庫)

    著者:夏目 漱石
    販売元:新潮社
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    読後感:△

    いくつかの短篇を連ねることで一篇の長篇を構成するという漱石年来の方法を具体化した作.その中心をなすのは須永と千代子の物語だが,ライヴァルの高木に対する須永の嫉妬を漱石は比類ない深さにまで掘り下げることに成功している.この激しい情念こそは漱石文学にとっての新しい課題であった.

    須永は世の中と接触するたびに内へと「とぐろ」を巻きこむたちで、従妹の千代子を愛するとともに憎み、憎むとともに愛している。そんな須永を千代子は卑怯だといって責める。―漱石は男と女のこの氷劫の呵責ともいうべき関係を『彼岸過迄』のあと最晩年までくり返しくり返しとり上げて行くことになる。

    これは『吾輩は猫である』のような書き方をした、いうなればいくつもの短編を繋いで、ひとつの小説にしたよう作品である。

    本音をぶちまければ、面白くはない。読んでいて、何をしたいんだ漱石よ、とイラついてきた。

    昨年辺りから一応、漱石のような、日本を代表する作家の本は読んでおいた方がいいだろう、というくらいの気持ちで読みはじめているのだけれども、自分に合う作品は少ないな。

    今のところは、『三四郎』とせいぜい、『』かな。文章の美しさには魅せられるものの、あまりに平坦な展開というか、だらだらとした日常と内省の書き連ねって印象が強く、自分のような者には高尚すぎる“文学”なのかもと明らめつつある。

    通勤時間中に読む用の本として、『虞美人草』以外の小説(文庫)は積読状態にあるので、残りの作品に“当り”があることを期待しよう。

    いや、漱石のせいじゃなくて、あくまで自分の好みのせいなんでね。

    まぁ、これだけ多くの人に研究される作家ですんで深いんでしょう、やはり。

    ところで、これにしても他の作品にしても、漱石は随分探偵という職業を蔑んでいるようなことを書いているが、実は探偵小説なんてものも書いてみたかったのじゃないかな。なんとなく、そんな気がする。

    2011年1月 4日 (火)

    毎年恒例“Radetsky Marsch”

    新年明けてもう四日かい!

    早!

    世間は今日から本格的に仕事始めかいな。

    それはそうと、なんというか年中無休、二十四時間営業の店が多かったりして季節感がない気がして、それはそれで便利な半面風情無しというつまらなさを感じるわけですが、大晦日の紅白と並ぶオレにとっての年末年始の定番が、ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートなのだ。

    文化の力、伝統の力ってものを感じるね。格式ってやつは大切なんだよやっぱ。

    別に古典音楽に一家言あるわけではないけれども、年末年始くらいはただ騒がしいだけの番組から離れて、こういう品の良い番組でしっとりきめたいわけね。

    なんていいますかね。定番の良さ。これに尽きるね。

    REPOSSESSION-MENSHERLOCKHOLMES

    人口臓器回収屋という、非常に不快極まる職業のお話。兎に角見ていていちいち気分悪い。しかも、臓器を取り出す時の映像が痛々しい。よくもこんな映画撮ったな、呆れる。

    今から20年後の世界という設定だが、冗談じゃねえぞこらって話である。いくら延命するためとはいえ、まるでサイボーグのように痛んだ部品(臓器)を換えて生きながらえる。いやなこと考えるよなぁ、しかし。

    つってもアメ公なら実際にやりそうだから気持ち悪いな。人口臓器なら今でもあるが、これの酷さは支払いを期限内に完済できなければ、力ずくでこの臓器を回収にくることである。

    いや、ありえないってマジw 臓器回収されちゃった人はそのまま放置だからね。死ぬだろ。

    一応、救急車呼ぶか?と、確認とってから作業するのだがw

    シナなら成立するなこの仕事。

    で、この回収屋のJUDE LAWは女房に愛想尽かされて子供つれて出て行かれてしまうのである。人工臓器の販売に移って欲しかったのだ。そりゃそうだろう、臓器回収屋じゃ人殺しと変わらんもの。といっても、この会社で仕事する自体、人としてどうなのよ?って思うんだけど。

    それに比べりゃ、こっちは大した面白い映画でしたわ。ロバート・ダウニー・jrが好い芝居してるねえ。

    宮崎アニメのホームズがオレの中のホームズ像であったので、こんな格闘オタクというか、武闘派なホームズ、違和感有り過ぎだよ。

    原作読んだことないんだよな実は。小学生の時だったか、学会の会館で買った「ホームズ対ルパン」でしか読んでないんで、いつかはホームズ本にも手をだそうとは思ってはいるんだけども、他に関心が集中しているもんでなかなかその機会は来ませんねえ。

    これの舞台は明治24年の倫敦で、カルト集団が怪しげな魔術を使って社会を混乱させていた。勿論、本当は魔術でもなんでもないわけで、ホームズとワトソン君によって暴かれることになるのは云うまでもないと。

    2011年1月 2日 (日)

    平成二十三年;新年皇居一般参賀 

    ◆本日、皇居一般参賀へ行って参りました。

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    新年を御皇室の皆さまとお祝いする為に集った人々の多さに驚きました。

    今年は随分多いねと、隣の方も驚いていたので相当な人数でしょう。

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    ◆凛々しいお姉さまのお出迎え?に、萌えました。

    しかし、お姉さまも写真を撮られるのが照れくさそうでした。といいつつ、自分もすかさず激写。大変失礼致しました。

    ◆あまりに人が多く、暫く前に進むことができませんでした。

    気づいたらcameraで周囲を撮影している人がかなりいましたね。ひそかに自分も映ってしまっているかもしれません。

    ◆それにしても気になったのは、毛唐がやたらと多いことでした。天皇陛下への敬意があるとは思えないので、たんなるひやかしでしょうか。耐え難いのは毛唐に紙製の日の丸を手渡していることです。筋目の悪い連中に与えて不敬に扱われたらどうするのかと心中穏かではありませんでした。

    渡すのはまだ良いとしても、後で回収した方が良いのではないのかと思いました。

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    ◆隊列もゆっくりと進んでまいります。

    もうすぐ陛下の御目見えという緊張もさることながら、それ以上にここが江戸城跡地であるということに、興奮しておりました。

    それにしてもいい天気だ。

    Cakygydr

    ◆警視庁の皆さま方には、洒落で裃を着ていただくという訳にはいかないものでしょうか。あくまで洒落ということで。

    無理ですな。

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    ◆ついに御皇族の方々が御目見えに。

    正直申しますと、遠くて御尊顔を拝することも儘なりません。更に、日の丸がはためき過ぎで後ろの者には厳しい仕打ち。

    しかし御めでたいので我慢。

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    ◆今もって分からないのは、陛下を激写して善いのかということ。結局自分も撮ってしまうのでしたが。もっとも、写ってませんがね。

    天皇皇后両陛下の御容態も気になるところですが、自分としてはひそかに東宮家の様子を窺いたかったので、これまた残念。

    雅子妃の微妙さ加減を拝見したかったと云うと不敬にあたるのでしょうかね。

    ◆一般参賀に集ってみて改めて皇室の素晴らしさを感じました。このような雅なご家族が日本にはいらっしゃるわけです。これがいかに有り難いことか。

    世界を見渡すと、王室をすでに廃止してしまった国も多いのですが、はたしてそれで本当に善かったと思っているのかどうか。

    天皇制廃止を相変わらず論じている、毛並みの悪い連中にはほとほとうんざりいたします。

    歴史の重みというものを侮ってはなりません。権力なら力で奪うこともできましょう。どこの馬の骨かも分からない輩でも、権力を持つことはできます。

    しかし権威というものは、正統性がなければなりません。血統の良さというものは、積み上げられてきた歴史です。繋ぐことに意味があるのではないでしょうか。

    アジアにおいては、現在タイ王室がなにやら厳しい情況にあるとか。やはり皇室は死守しなければなりません。アジアに血統による権威が失われてしまえば、歴史の重みという権威は欧州のいくつかの国に集中してしまうことでしょう。

    耐え難いことです。

    御皇室について語るということで、かなり不自然な文体になってしまいました。このようなことは年一回で限界です。非常に疲れます。

    毛並みの悪い者が無理してはいけないと覚りました。

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