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2011年2月27日 (日)

東電OL殺人事件

東電OL殺人事件
著者 佐野 眞一
販売元

新潮社

読後感:☆☆

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【1997年3月8日深夜、渋谷区円山町で、女性が何者かによって絞殺された。

被害者渡邊泰子が、昼間は東電のエリートOL、夜は娼婦という2つの顔を持っていたことがわかると、マスコミは取材に奔走した。

逮捕されたのは、ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ。娼婦としての彼女が、最後に性交渉した「客」であった。 彼女は私に会釈して、「セックスしませんか。一回五千円です」といってきました―。

古ぼけたアパートの一室で絞殺された娼婦、その昼の顔はエリートOLだった。なぜ彼女は夜の街に立ったのか、逮捕されたネパール人は果たして真犯人なのか、そして事件が炙り出した人間存在の底無き闇とは…。】

あの事件があったのは今から14年も前になる。被害者が東電の管理職という昼の顔と娼婦という夜の顔を持っていることが分かってからの、mediaの狂乱ぶりというのも、実は自分の記憶には残っていない。
なのに今自分は、この渡邊泰子という人に“発情”してしまった。著者の言葉を使えば、それは発情としかいいようのない感情だとおもう。
これもまた著者の言葉を借りると、この事件の持つ“文学性”が、この発情を起させるのかもしれない。
いったい犯人は誰なのか?
 
本当に不法滞在のネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリなのか?
そういう犯人探しではないのだ。オレが発情しているのは被害者である渡邊泰子という人、あるいはその“生き方”に対してなのだと思う。
不謹慎なのは分かっている。一人の命が奪われたのだから。
何を云おうと、この事件について語ること自体が死者に鞭打つことになるような気はしている。
そっとしておくこと。ただ、そっとしておくこと。それだけなのかもしれないとも思う。
しかし、彼女は忘れて欲しいのか?
本当に、このままたんなる事件として忘れ去って欲しいのだろうか。
解らない。
まさにこの“解らない”ということにこそ、この人に発情してしまう理由がある。
『謎という水を満々とたたえて決壊寸前にある巨大なダムのような存在』(p441,あとがき)なのが渡邊泰子という人なのであり、遺族の方たちが“そっとしておいて欲しい”と思うほどには、かの女自身は忘れられたいとは思っていないのではないかと思えてならないのだ。
1997年3月8日深夜、京王井の頭線「神泉駅」のすぐそばにある、木造アパート「喜寿荘」の一室で、死後11日も経って彼女は発見された。

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半地下形式の居酒屋、「まんぷく亭」の店主も、二階に住む老夫婦にも気づかれることがなかったその時、誰が、何の為に。
著者は捜査当局が“眼をつけた”このネパール人には、冤罪の可能性が濃厚であるとみて取材している。
なるほど、そこも重要ではある。今まさに、二人目の被害者がこの事件から出ようというのだから。
が、読者として欲を云わせて貰えば、著者にはあくまでも渡邊泰子という人にもっと迫ってほしかった。
下衆であるのを承知でそう思う。
著者、佐野眞一は何度も“こころの闇”、“堕落”という言葉を使っている。
そして著者は、泰子の“堕ち方”を「大堕落」と呼ぶのに対して、この事件を見つめる社会のあり方を「小堕落」と呼んだ。
しかし、ならば著者には本書を書き上げるにあたって、
「私の本意は彼女のプライバシーを暴くことではない。あえていうならば、この事件の真相にできるだけ近づくことによって、亡き彼女の無念を晴らし、その魂を鎮めることができれば、というのが私のいつわらざる気持ちである。」(p10~11,プロローグ)
という前書きを云って欲しくなかった。自分の仕事の評価は読者に委ねればよいではないか。
渡邊泰子が自分の生き方に言い訳したろうか。
「人間なんて、所詮こんなもんでしょ?」
彼女の生き方からは、そんな声が聞こえてくる。
ジャーナリストだとか、社会的な立場だとか、そんなものが自分の本質を本当に表しているのかと。
自分の行動を着飾るのは、彼女のこころの深遠からむしろ遠ざかることなのではないか。

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著者はそれでも、間違いなく渡邉泰子に発情しているさまを随所で見せつつ、事件の真相に迫ろうとしているが、それをやるならばもう一冊使って書くべきであった。そうして欲しかった。

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著者は本書を出して一年後には、「東電OL症候群」を書いているのである。ならばやはり、一冊は被害者である渡邉泰子という“存在”、その深遠に迫ったものを書き、次に捜査当局と司法の闇に迫ってもらいたかった。
著者は泰子の足跡を辿り、円山町、泰子の永福の自宅、彼女の眠る多摩丘陵の墓地、円山町を作った人々の故郷、奥飛騨、さらには容疑者の故郷ネパールにまで取材に向かっている。
尤も、ネパールまで向かって得たものに、どの程度の意味があったかは疑問だ。
本書を読んでいて、最も自分のこころを捉えてくるのは、土地である。彼女が足跡を残した土地に纏わる物語。その土地の声が聞こえてくるような感覚。

富山県境に近い岐阜の奥飛騨に御母衣ダムがある。その水没した地を立ち退かされた人びとの一部は東京に移住してきた。

やがて渋谷区円山町で旅館業を営むようになる。

水没した土地と、ラブホテル街円山町が“地下茎”で結びつく。

そして、その円山町の“夜の底”に沈んだ東電OL。

ダム=電力=東電。

著者はこの事件に文学性を感じたようだが、まさにこの著者の発情のしかた、彼女に魅せられてしまった、そののめり込み方に自分は引き込まれたのだ。

だからこそ、法廷の記述が始っていくあたりから、自分のこの感情の昂ぶりが“断絶”されてしまったのだ。

真相に迫りたいのも分かる。容疑者を救いたいのも分かる。冤罪の可能性を指摘しなければという、ジャーナリストとしての使命感のようなものも分かる。

だが、どうしても法廷と司法の闇を描くあたりからは、渡邉泰子が消えてしまうのだ。彼女の存在感が消えてしまう。

何か、真相を掴もうとすればする程、彼女はすり抜けていく。そんな気がする。

法廷という全てを明らかにするべき場所には、渡邉泰子は立ち表れてはこないのだろう。

この事件は、純粋に犯人を追っていくだけでも立派な本を書けるはずである。彼女の客には、元総理経験者の息子の名前もあったらしい。

そこに迫った本を書いてもいいのではないかと思う。ただ、それは渡邉泰子の物語とは別箇にやってもらいたい。

本書では、彼女の“こころの闇”と事件そのものの真相にまで迫ろうとしたが為に、どちらとも中途半端になった感は否めないと思うのだ。本書のreviewを読んでも、かなり厳しい評価がされているのはその辺にあるのだろう。

ただ、本書に出てくる土地に実際に立ってみたい、そんな気になってしまう魔力はある。それは渡邉泰子の放つ磁力なのだろうし、それに魅せられてしまった著者の“発情”が、読み手の自分にも伝わり、まさに“発情”してしまっているからなのだろう。

彼女の存在そのものが文学になっている。そんな気がしている。

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