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2011年8月31日 (水)

二十世紀旗手

二十世紀旗手 (新潮文庫) 二十世紀旗手 (新潮文庫)

著者:太宰 治
販売元:新潮社
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読後感:△

 狂乱というべきか錯乱状態というべきか、理解しようと思って読むと疲れると思う。オレはただ、文体を楽しんだ。

 たとえば文体を意識的に途中から変えたり、助詞を極端に省略したり、人からの手紙だけで作品を構成したり、小説の中に随筆や抗議文を挿んだり、主人公のほかに作者が登場したり、楽屋裏を明かしたり、演説体にしたり、オペラ風にしたり、日記風の断片にしたり、文体、構成、発想などに手練手管の限りを尽くしている。(解説より)

 本書に収録されているのは、太宰が精神病院(武蔵野病院)に入れられた頃(昭和十一年~十二年)の作品である。

 解説の奥野健男曰く、

 太宰治はこの時期、パビナール中毒に悩み、日常生活では異常な言動が多かったが、文学作品に関する限り、激情に身を任せていても少しの錯乱もない。むしろ錯乱的な生活や感情をいかにすれば表現できるかと、きわめて意識的であり、緻密に計算している。いや、錯乱と冷静、激情と計算との、せめぎあいの緊張の中にこれらの作品は成立していると言うのが正しいだろう。このような小説を太宰が書いた原因はパビナール中毒のためではなく、従来の小説方法では現代人の内面的真実は表現できない、もはや従来のリアリズムや正統的なロマンが、そのまま通用する近代は終焉し、未知の現代という時代に入ったという明確な認識からである。太宰は必死になって現代を、現代人を表現し得る新しい文学方法を模索しているのだ。

 太宰治は生涯、愛憎半ばする感情に責め苛まれ、苦悶し続けていたのだろう。

 

 彼は自分が地主の子であることを恥じ、革命運動に身を投じるも挫折する。戦後になって、うって変わって天皇批判の声が高まるなかで、“私はやっぱり天皇が好きだ”という。

 “僕は日本民族の中でいちばん血統の純粋な作品を一度よみたく存じとりあえず歴代の皇室の方方の作品を読みました。(p33,「虚構の春」)” などという言葉が出るあたりにもそれを感じる。血筋に対する反発と憧れ。地主の子であることがそんなに悪いのか? 左翼運動に馴染めなかったのも、彼が本来保守的な人間であったからだろうと思う。

 

 本書に収録された作品は、刊行されてから加筆訂正が何度もされていることも、太宰の自己愛の強さが感じられる。“生まれてきてすいません”と云いながらも、苦悩する自分に酔っていた気がする。

   

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