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2011年9月10日 (土)

中国はいかにチベットを侵略したか

中国はいかにチベットを侵略したか 中国はいかにチベットを侵略したか

著者:Mikel Dunham
販売元:講談社インターナショナル,2006
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読後感:×

 【初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とするこれが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。-それはさながらこの世の地獄だった。】

 これは中共のチベット侵攻に対し、チベット独立の為に戦ったチベット人たちの記録である。ダライ・ラマ14世が序文を書いている。

 チベット解放闘争は長期的かつ平和的手段によってのみ勝ち得ると信じているが、ひるむことのない勇気と決意をもって闘った自由の戦士を変わることなく尊敬している。著者マイケル・ダナム氏がこの勇者たちの物語を本書で余すところなく私たちに告げていることを大変嬉しく思っている。

 「平和的手段によってのみ勝ち得ると信じている」と云っている。ダライ・ラマも、領土というものは実効支配している側が有利だということを知っているし、自分たちの為に他国民が血を流してくれるとは思っていないのだろう。すでに独立は明らめているのかもしれない。

 

 シナの傍若無人さに、世界が我慢の限界を超える日がくるだろうか。それはまだまだ先のことになるだろう。シナを世界最大の“消費市場”と見ている限り、この市場から締め出される恐怖に、強欲な財界人たちとその影響を受ける政治家が勝てる見込みは今のところ、ない。

 さて、本書はチベット独立闘争の勇士たちとそれを支援したCIAの動きを、関係者の証言を基に書かれたものだが、これを事実と読むか物語と読むかは、その人の政治的立ち位置に左右されるかもしれない。前者なら反中共で、後者なら反米な人ではないかと思う。

 CIAが係っているという時点で眉唾もんとして見るむきもある。この手の連中は、民族解放戦線なる動きの背後にソ連共産主義があったことについてはなんとも思っていないだろう、たぶん。

 事実は一つでも解釈は人それぞれってことだ。共通の歴史認識なんぞ、望みようもないのが世界の現実である。

 

 中共が侵攻してくる以前のチベットがこの世の楽園だったとはもちろん思ってはいない。近代化に乗り遅れた国につきものの、迷妄と特権階級の支配はそれなりにあったろうとも思う。

 一九一二年、チャールズ・ベル卿の強い勧めによってダライ・ラマ一三世は四人のラサの若者をイギリスに留学させた。(p48,第二章 ラウラ、瞋の弩弓)

 

  そして近代に触れたチベットの民は、祖国がこのまま孤立していられるような世界ではなくなっていることに目覚め、国防の強化をようやく図り始めた。 しかし、これに反発したのはチベットの伝統仏教界だった。

 しかしよく見てみると、そこには彼らなりの世俗的計算が働いていたのである。たとえば、新軍隊の維持費として僧院にも課税されることになった。(同)

 既得権益というものはどこにでもあるもので、チベットといえど例外ではなかった。結局、軍の近代化を阻まれたチベットは、後々高い代償を払うことになる。中共の侵攻である。

 

 シナはチベットを何故必要としたのか。気がついたら世界は、中華に恐れをなしてひれ伏す時代ではなくなっていたことを、列強の侵攻によって思い知らされた経験が大きかったろうとは思う。

 黒竜会の内田良平は著書「支那観」において、列強の東亜での動きを分析しているが、たとえば英国の戦略はこうである。

 「イギリスは支那保全主義の主唱者でもある。」が、「支那でも地味の肥えていて産物は豊穣、運輸の便がよくて通商が盛んである。」いい所をしっかり押さえる。

 イギリスはまた、たんにこのような平和的施策以外に、日露戦争の機に乗じてチベット遠征軍を送った。そして革命の動乱が起こると同時に、ロシアが外蒙古の自治を提唱したのに倣ってチベットの自治を提唱し、ついに英露協約を結んでチベット全土をその勢力圏下に置くに至った。

 そもそもチベットは唐代には吐蕃の地であった。土地は痩せ気温が低くて五穀は実らないのであるから、イギリスが無理をしてでもこの地を得ようとするのは、当然ながら通商貿易による利益に目をつけたのではない。ほかでもない、チベットの地勢が、北には新疆省に属する和闐(わてん)を控え、西はパミール高原を負い、南はネパール、ブータンに接し、東は打箭路を経て四川の雅州に達する天然の要害であるからだ。ここに拠ればロシアが南下してくる通り道の要衝を占めることとなり、インドやビルマの北側の出入口を押さえられる。イギリスは支那における利権確保を確実ならしめるためにも、一見すれば役に立ちそうもないチベットに拘泥するのである。

 チベットからの道は四川省に通じている。支那において最大の富を生ずる源というべき四川は、面積十六万六八〇〇平方マイル、人口六千七百七十一万二千八百余人で、平野はことごとく桑の樹でおおわれ、山には諸種の鉱物を産し、石油層に至っては広さ二五万平方キロメートルに及ぶ。揚子江の上流に位置し、ビルマ(現ミャンマー)やチベットの安泰にとっての要所でもあるから、イギリスが黙って放っておくはずがない。果たせるかな、英仏協商によって、イギリスはフランスと共同して四川鉄道を敷設することとなったのである。イギリスが先に威海衛を租借地としているのは、ここにいうまでもあるまい。(pp84~85「シナ人とは何か」)

 内田良平がこれを世にだしたのは大正2年(1913年)である。冷徹な分析だ。国際政治がいかなる論理によってなりたっているのかが分からないと、斯様な分析はできない。

 幾ばくかでもシナ人に同情を寄せる余地があるとしたら、近代における手痛い経験からきた防衛本能の表れとも見ることはできるだろうということ。尤も、どこまでいけばその防衛本能が満足するのか、楽観視はできない。尚文の国などという幻想は甘いと云わざるを得ない。

 

 周恩来首相はかつて駐中国インド大使に、「チベットの解放は我々にとって神聖な義務なのだ」と打ち明けている。(p52,第二章 ラウラ、瞋の弩弓)

 

 その“解放”とやらがどのようなものだったか。初めのうちはチベット人もそれほどにはシナ人を敵視はしていなかったらしい。ただ、どんどんシナ人が増えてくる毎に警戒感は強まった。そしてシナ人が善意の仮面を脱ぐ時がきた。

 

 毛沢東はラジオで一千万人の中国人をチベットに移住させると約束していた。(p117,第五章 大虐殺と菩提樹)

 

 移民1千万人構想ってやつか?。毛沢東はキッシンジャーとの会談でも、「中国には米国を痛めつける策略があります。千万人の女性を米国に送り、人口を過剰にして、国力をそぐことです。」(中国人の交渉術とも云っている。 どうも一千万という数字に勝機を見いだしているようだな。

 チベットの既得権を失う心配はないと高をくくっていた仏教界も、シナの本性を見ることになる。

 中共は僧院制度を破壊したばかりか、チベット文化の根幹、チベット人全体の息の根を止めるようなやり方を推し進めた。一切の私有地は没収され、底辺チベット民衆に分け与えられた。といえばいかにも徹底した平等主義の実践のように聞こえるが、中共はチベットの新しい土地所有者を“改革”以前より一層の貧困状態に捨ておいたまま、土地からの収穫物は飢えた本土の中国人に向けて輸出したのである。中共は貧富の差をなくしたと嘯いたが、現実はチベットの誰もが一層の飢えに晒されたにすぎない。

  さらに悪いことに、チベットの貨幣は抵抗運動の以前の半分の価値で“元”に交換させられた。新たに反抵抗運動法なるものが施行され、解放運動を支援したとされた人間は“タムジン(公開懲罰)”に晒された。中国本土から漢民族の移民が増大し、チベット人は自国にあって少数民族になってしまった。タムジンで有罪とされた人びとは牢獄に入れられ、実に屡々計画的飢餓、遺棄、病気の放置などで生命を奪われていった。新企画の拷問、殺人が導入され、銃の台尻で頭蓋骨を打ち砕かれたり、鉄箸で眼球を抉り出されたりした。僧侶は毛布でぐるぐる巻きにされ、灯油をかけられて焼き殺されていった。公開去勢や、バーベキュー用棒杭にくくりつけて焼く、尼僧を素っ裸にしてむりやり性交させる、というのもあった。特に中共軍兵士の間で人気があったのは、チベット人を“文明化”“浄化”すると称する兵士たちによる集団レイプであった。彼らはそれを“地上の楽園”と称して楽しんだ。(pp233~234,第九章 新たな希望と新たな暴虐)

 反共産主義の名のもとに、CIAは各地で支援工作をしてきたが、チベットは冷戦構造の激化に伴い、支援の対象から外されていくことになる。

 インドのネール首相は初めから中共に迎合的であった。 「ネールはその友愛精神に基づきいかなる国も敵対し合うことに反対した。なかんずく中共を敵視することに反対であった。彼はチベット問題を外交の場に持ち出すのをためらいアメリカをがっかりさせた。(p53,第二章 ラウラ、瞋の弩弓)

 どうやらネールは植民地を経験した者通し、協力して汎アジア主義で団結することを夢見ていたようだ。しかし、このような甘い友愛精神は毛沢東には通用しない。

 

 さらにアメリカがチベット問題から手を引きはじめるのだが、それに影響力を持ったのはある経済学者であった。

 ジョン・ケネス・ガルブレイス。新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。(p250,第十章 最後の抵抗)

 

 

 ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。

 ガルブレイス・インド大使は、ムスタンであろうとチベット本土であろうと、いかなる補給物資の空中投下にも反対するロビー活動を強めていた(備忘録にガルブレイスは臆面もなく、CIAのチベットへの援助を直ちに止めるよう国務省に忠告した、と書いていた。そしてケネディに対する自分の影響力で、CIAのチベット援助を最小限度に抑えるのに成功したと豪語している)。 (pp250~251,同)

 経済学者らしい損得勘定だろうかね。シナという潜在的な巨大市場を失うことを恐れたのかもな。だが、このような“期待”が報われる日がくるだろうかね。シナ人てのは、自分の縄張りで外人が儲けることが許せないというから、期待通りの“夢の市場”になってくれるかどうか。今のところこの期待は裏切られ続けているが、中共は国際社会がこの欲望に勝てないことが分かっているはずだ。

 対シナ外交を考えるとき、政治家の腰抜けっぷりを批判するだけでは何も変わらないだろう。むしろ財界人のシナ幻想を冷まさなければ。

 

   

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