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2011年12月

2011年12月31日 (土)

 なんだか年々、年越しに特別な感慨がなくなってきた。実家へ帰省することもなく、正月休みとも無縁な仕事を続けてきたせいかもしれない。

 普段の一日と変わらない、新年の幕開けになるんだなぁ。

 淋しいなオイorz

 

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 今年もどうにか百万遍。

 やると決めたから続けてる。それだけ。

 深い意味はない。 

フリーメイスンが被災地支援

http://globe.asahi.com/movers_shakers/111120/01_02.html

朝日新聞GLOBE|Movers&Shakers―ニュースの裏側

なにかと陰毛論の標的になってしまう自由の石工さんらが、イメチェンか?

被災した寺の修復費用を賄ってくれるそうで。

友愛されなきゃいいけどね。

http://globe.asahi.com/movers_shakers/111120/01_02.html

朝日新聞GLOBE|Movers&Shakers―ニュースの裏側

ルーズベルト

東久邇宮

トルーマン

<原爆>

“友愛”

勿論、冗談でっせw

2011年12月30日 (金)

遂に書くか佐野眞一

 なんて云ってたら、本当に書くことにしたらしい。あの、佐野眞一が書くとあっては、読まずにはいられない。  

 佐野眞一の眼に写った池田名誉会長と創価学会。今迄、組織が語ってこなかった事実も明らかになってくるだろう。連載は、週刊ポストである。

 単行本化されたら勿論買うつもりだが、気になるので、早速立ち読みした。

 池田名誉会長と初めて合い、握手を交わしたとき、がんもどきを握ったような感触があったとか書いてあったなw

家族を折伏できないとかで思い悩む必要なんてないんだよ、との慈悲の振る舞いですね。

 さて、そんなことより、記者クラブで語っていたように、金貸し時代の池田大作と、日蓮繋がりってことで戦中の日蓮主義の動き、そして、満洲にまで話が及ぶか否か。

 刮目して待つとしよう。

2011年12月28日 (水)

毛唐のterrorist集団、日本船妨害へ無人偵察機を導入

 

 クジラとイルカを保護するという、尊い政治performanceのためには殺人も辞さない、Cult脳の腐れ毛唐どもがまた日本の捕鯨船にterrorらしいぞw

 しかもこんどは、

 

 なんですとw

 ならば日本は、トモダチンコ作戦で無人爆撃機でも密かに飛ばして、 血の海にしてさしあげてはいかがでしょうかw

 どうやらこの腐れ毛唐どもは殉教したがっているようなので、その望み叶えてあげるのも友愛かとw

2011年12月26日 (月)

その妹

 何か好さそうな舞台やってないかな~、とシアターガイドを見ていたら、蒼井優が出ている作品があったので、観てきた。

 場所は「シアタートラム」。世田谷線三軒茶屋駅隣りである。

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 戦争で失明した兄の代りに、口述筆記をして兄を支える妹に蒼井優。

 その髪型からして、大正時代かな。あれが漱石の小説でよくでてくる、庇髪ってやつかな。

 

 物語の舞台は、盲目となった野村の家と、野村を支援してくれる段田安則(役名失念してるし)の家とで、展開していく。

 

 自分の不甲斐なさに苛立つ兄、健気に支える妹。不憫で見ていられず、友達として支援してやるも実は生活に余裕がなかった段田(役名失念)。

 尚且つ、彼はその妹に密かに思いを寄せ・・・・。

 途中、場面の状況からして仕方ないが、声が聴き取りにくいことがいくらかあったのと、そこは早口でなくて丁寧に進めて欲しいというか。そんな感じのところがいくつかあったけど、まぁ、良いもの観たなとは思えた。

 せっかくなのにcurtain callが一回で終わったのが淡白だなぁと。他のお客さんたち、あまり満足してなかったのだろうか?

 

 2時間半の公演で、一度休憩あり。

2011年12月24日 (土)

 またこの季節が来たか。

 性夜ですね、分かります。

  どっちを向いてもこころなしか、幸せそうな雰囲気が漂ってきますわな。

  大災害に見舞われた一年でしたからねぇ。来年は好い年になりますようにって意味でも、綺羅綺羅した感じで年を越すのも良いんじゃないっすか。 

  オレにはかんけーないっすけどね。

 

  ケッ!

 

 仕事ですから、ハイ。

  仕事でなかったら何かあるのかって?

 ケッ!

2011年12月21日 (水)

犀の角たち

犀の角たち 佐々木閑:著

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大蔵出版 ,2006

読後感:△

 【科学とはなにか?仏教とはなにか?まったく無関係にみえるこの問いの根底にある驚くべき共通点を、徹底した論理性だけを用いて解き明かす、知的冒険の書。】

 科学と仏教には共通点があるとする見方は、仏教徒の側からはよく指摘がある。実際どうなんだろう。大抵の宗教が科学に擦り寄って、信者の獲得を目指してるだけのようにも見えるが。

 この著者は、科学者を世界一かっこいい人たちと思い、科学に魅せられたのだそうだ。オレも、十年前くらいになるかな、「フェルマーの最終定理」って本を読んだ時は、数学者ってのはまったく別次元にいってる人種だなと、憧憬の念を抱いたものだった。

 尤も、あの本は数学者の伝記として読めたから好かったのであって、数式だらけの専門書に耐えられる上等な頭は持ち合わせてはいないもんで、あっさりと分を弁えた生き方を選んで今日に至る。

 が、この著者も云ってるように、頭の軟らかい子供には、数式をただ詰め込む教育ではなく、数学がどのように発展してきたかという“歴史”を、数学者たちの伝記を通して語っていけば、もっと子供に数学の魅力を伝えることができるのかもしれない。

 して、この本ではあるが、正直なところ、特段新しい知見を得られるという本ではなかった。“徹底した論理性だけを用いて解き明かす”と帯にあるが、解き明かしているとまではいえないだろう。これは“論”ではなく、“感”だと思う。

 分量としては、科学(進化論・数学・物理学)を語っているほうが多い。いったい、何を目指してこれを書いたのかは、こう云っている。

 両者の個々の要素の対応に関しては一切無視した。(中略)

 視点は常に、科学と仏教それぞれが目標とする世界観である。(p4,序文)

 しかし、「科学と仏教が目標とする世界」って何だろうか。科学はまぁ、真理を発見することと、それを応用して文明の進歩をもたらすことなんだろうけど、佛教はどうだろう。困ったことに、佛教と一言で云っても、無数の宗派がある。

 著者の云っている科学と共通する佛教とは、釈尊の時代の佛教ということなのだ。この時代の佛教こそ科学と目指している世界観が共通していると考えているようである。

 解くべき問題は違っていても、仏陀と科学者は同じことをしている。瞑想して真理を知るという、この点で、科学者と仏陀の間に違いはない。(p2,同)

 天然の法則を解き明かすのが科学だとするなら、佛教は生き方を説いたものだろう。この世はなんで存在するのかとか云った、証明不可能なことについては釈尊は語っていないはずである。平たく云うと、超越者を設定せずに世界を語る姿勢に、それを感じているってことなのだろう。

 

 自分の知力で宇宙の真理を知るという、その一瞬を経験することのできる科学者は、その時に人間としての最高のしあわせを手に入れるのだ。(p2,同) 

 

 自力で真理を掴むものはしあわせ。そして著者は、同じように瞑想し真理を掴んだ人として釈尊を見ている。、それはいいとして、釈尊時代の佛教は皆が出家しなければできない生き方であることは分かっているようだ。

 釈尊時代の仏教と、大乗仏教に優劣がつけられないと言った理由はここにある。釈尊時代の本来の仏教は、自分の生活のすべてを投げ出して、なにもかもを修行一本にかけていく、ある意味恵まれた境遇にある人たちの宗教である。それは科学と共通性を持つほど合理的でスマートで都会的である。できるものなら、そういうカッコいい生活を選びたい。しかし、そういう決意が心に生じる以前に、私たちの生活はすでにいろいろなしがらみでがんじがらめになっている。そんな中で、我々に日々の平安を与えてくれるのは、不合理ではあるが穏やかで、説明はできないが暖かい、そういった超越者の宗教である。合理性だけで人生を全うできるのならそうしたい。それは決して実行不可能な夢まぼろしではない。釈尊が、そして多くのすぐれた科学者たちがその道を行った。しかし、そうしたくてもできない者を拾いあげ救いあげる超越者の宗教は、これもまた人間社会になくてはならない大切な一機能なのである。(p237,第5章 そして大乗)

 まぁ、おマンマ食べていくには稼がにゃならんわけで、稼ぎを産む経済的な仕組みが変わらないと、瞑想に耽っていられるような人生は無理だろうな。 しかし、皆が科学者になれるわけでも、皆が釈尊になれるわけでもないからこそ世の中は退屈でなくすんでるんだとオレは思ってるんだが。

 個々の章は佛教史・科学史ですね。多分、著者はもっと構想を煮詰めて、熟成させてから世に問うた方が深いものが書けたと思う。著者の科学感、仏教感を、論になるまで煮詰めてから、両者の共通性を書いていれば、もっと読み応えある本になったと思うけど。

2011年12月20日 (火)

補助金決定

 

 人民の幸福に一生を捧げた親愛なる将軍さまが昇天されたようで。

 まぁ、これが原因で北が暴発するとも思えんし、これまでどおりの状態が続くだろうね。

 倅が聡明なら劇的に変わるのかもしれんけど。

 しかし、将軍さまもこの報知には顔が綻んだことでしょうな。

 おめでたい国が隣にあるとマジで助かるよな~。

 おめでとう将軍さま!

2011年12月18日 (日)

箱男

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「箱男」・安部公房:著

読後感: △
 

 【ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく、実験的精神溢れる書下ろし長編。】

 

 抽象的すぎた。本格的に安部公房を読み解こうという人でもなければ、お薦めできる本ではないと思う。

 “箱”の持つ意味もあるんだろうけど、オレには漠然としか分からない。偽箱男の存在で、更に混乱した。こいつの登場になんの意味があったのか。

 この人の小説なり随想なりで、何か面白い本に当たれば、これを読み返してみようという気も起こるかも。

 「砂の女」って有名どころが積ん読状態になってるんで、それに期待だな。

 他人の視線から我が身を守りつつ、他人を凝視できるというこの強みを一度知ったら、箱からでられなくなってしまうという感じは、分かる気がする。

 ひょっとして、風邪でもないのに“mask”を外さない、“伊達maskさん”の心理にも通じるのかも。

 こういう理解しがたい抽象的な小説を、通勤時に読むのが間違いかもしれないと思った。

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 やっぱりというか、「箱男」を実際にやってしまう人がいるんだねえw

 すげえ度胸だよ。

2011年12月16日 (金)

日本は毎日「平和の碑」を見ながら戦争犯罪を反省し、元慰安婦たちの血の涙をぬぐってやるべき

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/12/16/2011121600811.html

Chosun Online | 朝鮮日報

やれやれ、まったく日本は反省が足りんね。けしからん話だ。

たとえどんな理由あってのこととはいえ、性を売らねばならないというのは、残酷なことなんだ。たぶん。

だからこそ、韓国政府は売春婦の権利を守ってあげるべきだ。

血の涙を流しながら生きている売春婦の権利を守れ!

 

2011年12月13日 (火)

魔女の季節

 【14世紀を舞台にした本作は、何十年も続いた熾烈な戦いを終え、故郷へと戻る騎士のベイメン(ニコラス・ケイジ)とその友フェルソン(ロン・パールマン)を中心に繰り広げられる、超常現象を交えたアクション・アドベンチャー。やっとのことで帰還した2人が見たものは、黒死病で壊滅的状態に陥った故郷の姿で、教会は苦境に立たされていた。そして彼らは、人々から"魔女"の疑いをかけられ、街の破滅の元凶と糾弾される少女アンナ(クレア・フォイ)に出会う。ベイメンとフェルソンはアンナを、悪魔払いの儀式が行なわれる教会まで護送するのだが】

 やっぱ、CG多様した映画は相性悪いなオレ。ラスボス頑張って怖く見せようとしてるんだろうけど、「恋の罪」の冨樫真の立ちんぼ姿の方がはるかに怖かった。

 

 異教徒を成敗しに行くが、殺しまくる生活にいいかげん疑問を感じたケイジと相棒は、群れから離れて生きることを選んだ。が、通りすがりの街で勇者認定されちった二人は、黒死病の原因と“狂会”に認定された少女を悪魔祓いの為に、運び出す作業を任された。

 で、いろいろ妖い現象が起きる。

 黒死病など、理解できない現象を宗教的に解釈するというのは、科学の発展を見までの人類共通の態度ではあったわけだが、その科学の発展が西洋で起きた理由が、やはり一番興味のある点だな。

 素朴に自然崇拝している民族からは、科学の発展は起きないということか。万物は創造主の御業であり、人間は神の似姿であると。ならば、人間が自然を開発できるし、その権利があるってことか。

 こう考えると、西洋初の環境保護思想ってのも、やっぱり人間が自然の上位に来る思想なんだろうな。人間は自然を破壊することも出来るし、保護することも出来ると。

 保護って考え方自体、人間のほうが上に居る発想だしな。オレなんかは、自然は、たかが人間ごときの保護を必要とするほど、ヤワじゃねえよって思ってるけどね。

 

2011年12月11日 (日)

痛々しくて見てられまへんけど何か?

某喫茶店にて愛国者の暑い語らいを目撃した。
歳の頃四十代と見た。
よくあれだけでかい声で語るものだな。もう、日本滅ぶと思ってるから保守運動に100万以上カネ使ってるとか云ってるけど。
イタいんですけど。
ドトールコーヒーで元気いっぱい折伏してるおばちゃん見た時以来のイタさなんですけど。
尖閣の時、オレも街宣やったけど、蛆TVへの街宣は止めておきましたわ。
なんつーのかな~、周りを啓蒙したいっつう意識はプンプン漂ってましたね。但し逆効果ですけど。
皆さん、笑いをこらえてるのが気づいてなかったようで。
あなたですよあなた♪
街宣途中だったけど、親から呼び出しかかって仕方なく帰ったとか云ってるあなた♪
失笑しましたわ。

やっぱりオレ、遠くから応援(ギンギラギンにさりげなく)しますわ(笑)

2011年12月 8日 (木)

早川由紀夫教授に群馬大学長が訓告「不適切な発言」

 これが不適切発言とは。

 オウム信者と同じ云々というのはどうかと思うけど、はっきり危険性(安全性)の検証がされていない放射性物質を過小評価している政府の対応こそ問題ではないのか?

 確かに、東北の人たちには同情するけども、自分たちの生活のためには、うちらの農産物を食ってくれなきゃ困るという態度を取られるのは筋違いだろ。

 じゃ、狂牛病の問題で騒がれていたとき、日本人はどう対応したか?

 毒餃子のときはどうだったか?

 外国政府の発表をすんなり信じたか?

 同じだろ。安全性が(?)のとき、人間の取る対応は同じではないか?

 風評被害って言葉がそもそもおかしいだろ。問題のないものが危険視される羽目になったと云うなら分かるけど、問題ないわけないって指摘している人を論破したのか?

 オレはもう、この国の限界が見えた気がしているんで、いちいち産地なんぞにこだわって食料を買いはしないけどさ。ただ、値段を見比べて安い方を買っちゃうけど。どうせ産地偽装上等の企業ばかりだってのは、既に分かってますんでね。

 どうせ偽装されてるんなら国産と信じて高い料金払うより、正直に外国産と表示している安い食品を買うほうが利口だろと思ってるんで。

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 佐野眞一が云っていたな。被災地の人たちでも宮城や岩手の人たちと、福島の人たちでは明らかな違いがあると。

 地震と津波による被害で終わった地域の人たちは、饒舌であったと。それはきっと、目に見える恐怖としても地震と津波は既に去ったからなのだろうと。目に見える恐怖は去った。後は復興に向けて踏み出すだけだ。つまり、将来を見る余裕があるということ。

 それに対して福島の人たちはどうか。非常に寡黙であったという。

 この違いは何故か。福島では、まだ恐怖が終わっていないためではないか。目に見える恐怖の後に、放射線物質という目に見えない恐怖が来て、未だに終息しない問題として続いているためではないかと。

 じゃ、国はこれに対してどう対応するのが“当面”正しいのだろうか?

 被災地から住民を避難させることだろ? おかしいのか、この考えは?

 故郷から離れたくないっていう気持ちは分かる。しかしこの場合、もう住んでも問題ありませんよと、云い切れる状態にしてからではないのか? 今、福島で何をやってるか。自衛隊による除染作業が続いているのだろ? 

 除染するってことは汚染してるってことだろ。住ませていいのかそんな土地に?

 福島の人たちの憤りは理解はしているつもりだけど、安易に国を信じないほうがいいと思う。そもそも、国と東電の原発安全詐欺の被害にあったのではないか。 今また、放射能安全詐欺にあってるとは思わないのだろうか。

 云いたいことは山ほどあるが、気持ちを逆撫でせずに語るのは難しい。兎に角、この度の震災から日本の病とでも云うべきものが見えた。この国の人間は精神論に逃げ込む“癖”がある。

 復興支援という美名のもとに、苦しみを分かち合うことこそ優しさだと思っている。違うんじゃないか? 喜びを分かち合うことこそ優しさなんじゃないか?

 今、この国の人間は何を分かち合っているのか。本来なら、局地的な被害で済んだかもしれないものを、全国規模に広げようとしているだろ。

 もう、この状態を見ていると、嗚呼、この国はあの敗戦から何も学んでいないのだなと思う他ない。

 あの敗戦の原因は色々あるだろうが、簡単に云ってしまうと、“科学的合理的に行動できる国(米国)と、精神論に逃げ込む国(日本)が戦って、精神論に逃げ込む国が敗けた”のだと思っている。

 政府、東電、オリンパス、大王製紙、全部共通しているのは問題を“隠す”、“先送りする”体質だろう。この復興に対しても、間違いなくこの体質のもとに動いているに決まってる。

 既に福島差別が起きていると聞く。広島・長崎の原爆被害を受けた人たちすら差別したほどだ、当然そうくるさ。

 だが、差別は善くないし差別するほうが悪いという理想主義で批判するのも結構だが、やることをまずやろう。差別を恐れて被災地に留まり続けていると、本格的に“やっぱりヤバイです”なんてことが後から解ってきたら、いよいよ受け入れてくれる所がなくなってしまうかもしれないぞ。

 云っておかねばならないのは、差別が善くないといくら云っても、所詮、個人の心のなかの問題であって、法で心は縛りようがないということ。

 差別されるくらいなら故郷に留まったほうが良いと思っているのだろうか? そうかもしれない。しかし、差別と云っても、侮蔑からくるものもあれば恐れからくるものもあると思う。

 今、日本人の多くが感じているのは、恐れからくる「福島を避けよう」という態度ではないかと思うのだ。「おいおい、そこに住んでいて大丈夫なのかよ?」という目で見ているはず。

 「住んでていいのかと疑問に感じている所で、支援が足りないと苦情を云ってる人たち」、という目でも見ているのだろう。多分。そういうのを薄情と憤るのは当然かもしれない。ただ、現実としてそんなもんだよ人間て、っていう醒めた目を持っておく必要もあると思う。

 まぁ、良くも悪くもこの国の人間は忘れっぽい。避難するなら早い方がいいに決まってる。政府は、こういうところの支援をしっかりするべきなんじゃないか?

 ↓の動画で子供が訴えているように、まずは少しでも安全な地域に被災地の住民を避難させ、住める状態にしてから「安心」「安全」を口にすることが為政者としての誠意ではないか。

 もうね、信じちゃいないんだよ誰も。この国の権力者どもの言葉を信じちゃいないってことなんだよ。負け戦なのに勝ってると云い、疑わしくとも安全ですと安易に云ってのける。バレないと思ってるんだろ。隠し通せると思ってるんだろ。

 無理だから。

 オレは気が変わったよ。この国の既得権益者どもがのたうち回る姿が見たいね。

 TPPに加盟しちまえ。そして徹底的にアングロ・サクソンに蹂躙されちまえ。この国の腐った部分を炙りだせ。この国全体が除染されたほうがいいかもしれん。

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 考えがまとまらない。被災地の人たちを見捨てる国にも腹立つし、かといって、生活かかってるんだから買ってくれと、汚染の可能性が高い農産物を出荷する農民にも腹立つよ、正直いって。

 なんつうか、唯々、腹が立つんだ。何もできない自分に一番腹立てるべきなんだろうけど。

2011年12月 6日 (火)

ゲンスブールと女たち

 いや~~~~~~~、っ長い!!

 おフランス映画ながいっ!

 Serge Gainsbourgって名前は知ってた。カヒミ・カリィがよくradioで紹介してたから。 ただ、オレの趣味ではない。そもそも、おフランス語の鼻にかかった音が苦手といいますかね。

 醜男でユダヤ、だが、モテまくる。稀代の伊達男、それがSerge Gainsbourgだそうだ。この俳優、おフランス版Mr. Beanって感じだが、真に適役ではないかと思った次第。

 内容はっつうと、まぁ、Gainsbourgの人生を撮ってるわけなんで、音楽・女・煙草・ヤク・♀・(-。-)y-゜゜゜の無限loop状態。面白いかっつうと、ぅんにゃ、もっと余分なとこ削れたよね?、感じだな。だいたい、結果は分かってるんだからもっと引き締めてもらいたいですなぁ。

 それにしてもこの映画(も)、出てくる奴ら、やたらと煙草吸いまくるんだけど。昨今の禁煙fascism(小谷野敦曰く)を屁とも思わぬ豪快な吸いっぷりに、見ていて煙たくなってきちまったわ。

 ガキも野郎も女も、出るやつでるやつ只管スパスパ(^。^)y-.。o○

 しかも、次元かよ!とツッコミたくなるほど短くなるまで吸いまくる。

 結局、煙たい印象しか残らない映画で、Gainsbourgへの興味も得に湧いてきはしないな。才能ある人が辿る苦悩の姿というのも、洋の東西を問わずお馴染みではありますのでね。

2011年12月 2日 (金)

沈黙の宿命

 だから、どこがSeriesなんだっつーの。

 どこが沈黙なんだっつーの。

 こんどのオヤジは、じゃ・な・く・て、今度もだろがw

 まーいいのさ、内容なんてどうでもいい!

 ただ、オヤジの暴れっぷりを見る!

 それだけのために劇場に・・・・・・

 行くのもどうか?、と思いつつ見てしまった。

 オヤジよ、一応、映画俳優なんだから、体引き締めたほうがいいんじゃないの? 動きが苦しそうだぞえw

恋の罪

  【主演として水野美紀、冨樫真、神楽坂恵の3人が過酷な仕事と日常の間でバランスを保つため愛人を作り葛藤する刑事、昼は大学で教え子に、夜は街で体を売る大学助教授、ささいなことから道を踏み外す平凡な主婦を三者三様に女優生命をかけ渾身の演技で表現する。

 事件の裏に浮かび上がる真実とは?3人の女たちの行き着く果て、誰も観たことのない愛の地獄が始まる―。】
       

 邦画はハズレが多くて、あまり劇場で観る気がしないのだが、この作品は元になった事件が「東電管理職殺害事件」なだけに、無視することは出来なかった。

 毎月一日は、Service Dayってことで、「テアトル新宿」へ観に行った。いい具合に雨の日だった。

 園子温という映画監督の作品を観たのは、これが初である。序盤の、小説家とその妻の家庭の描き方には胸糞悪くなった。やりすぎだろ、おい。

 ただ、初っ端から水野美紀の裸体を拝ませていただき、そこはありがとうございますと云っておこう。

 しかしだ、脱いだ甲斐があったかといえば、疑問だな。水野自身もそう思っているんじゃないかな。刑事役の彼女の役どころは小さい。堕ちていく他の二人の人生との絡み具合は、半端な印象しかない。

 不快なところが多々あったが、小説家の妻、菊池いずみ(神楽坂)の役どころが酷すぎないか? 特に、鏡の前で接客の練習しているあの場面が無駄に長すぎだよ。日本社会の悪い部分を炙り出したいっていう意図もあるのかもしれないし、それ自体はいいんだが、はっきり云って悪意しか感じなかったね。

 この映画で脱いだ甲斐があった女優といえば、冨樫真だろう。兎に角、鬼気迫る存在感である。夜の街に立つその幽鬼的な姿を観たとき、屹度、渡邊泰子もこうだったんじゃないかと思える程だった。

 長身で長髪、痩せこけた身体に白塗りのけばい化粧で、夜の闇からすっと現れる。想像しただけで恐ろしげではある。そんな女買う気になるか?、ってところが、被害者は売春婦などではなかったと思いたい人たちの論理なのだろうが・・・。

 冨樫真演じる大学の助教授は、父親と肉体関係があったんだな。単なる父への尊敬を超えた感情を持っている。それは、家柄の良さ、家格にこだわる母への反発によって結びついた父と娘の禁断の愛か。

 あの下賤な出自の男と結婚したことが間違いだったと云う母と、自分の家柄しか自慢がないような母を軽蔑している娘。弟子にさせられてしまった小説家の妻(神楽坂恵)を、実家に招待した場面の、寒々しく怨念の立ちこめたような家の空気には、背筋がそれこそ寒くなった。

 寒くなったと云えば、序盤の殺人現場の検証をするところから薄目に観るほどおぞましかった。

 しかし、なんといっても寒気のしたのは、尾沢美津子(冨樫)が化粧で夜の顔に変わる姿である。父の名を呼びながら夜の顔に変わっていくあの姿に、あの人もまた、そうだったのではないかと思ってしまった。

 これ書いているうちにまた観たくなってきた。怖いもの見たさってやつである。ほんと、他の人はどう観ていたのかわからないが、かなりの場面をオレは薄目で観ていた。怖かったんだよ本当に。

 

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