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2012年1月 8日 (日)

日本人と靖国神社

日本人と靖国神社

516dqt7tmdl__sl500_aa300_新野哲也:著,光人社,(2003

読後感:✖

 【戊辰・西南戦争から太平洋戦争にいたる戦死者247万人余を祀った社のすべてを、多角的に捉えた異色の歴史論考。平和主義、民主主義の名のもとで「国家主権」の回復を拒み続けてきた戦後日本人の意識構造を探る。】

 第1章 靖国神社は日本の鎮守の森 第2章 なぜ靖国神社を冒涜するのか 第3章 靖国信仰にみる古きよき日本 第4章 現代人が忘れている靖国の心 第5章 日本を護った靖国神社の英霊 第6章 靖国に背を向けた戦後日本の迷走

 

 靖国の成り立ちから知りたい向きには、もっと適切な書があるだろう。これは、靖国が持つ政治的な意味を捉え直し、靖国参拝に囂しく因縁付けてくる奴らに、ふざけんじゃねえぞタコが! 、と怒りの反論をしている書である。

 

 日本人の信仰心についての解釈には、ややマンセーし過ぎなきらいが有り、その点で読後感は快に振れなかった。

 日本では天皇制が宗教の重圧から庶民をまもった。八百万の神々はけっしてひとの心のなかにふみこまないからだ。しかも神事はすべて天皇にまかせっぱなしである。日本人にとって宗教はあくまでも神話なのである。ビル建設に神主の御祓いをする日本人が合理的な行動をとることができるはそのおかげである。宗教の重圧がなかったため日本は伝統の保持(=文化)と近代化(=文明)の両方を手にできたのである。

 時と場所によって聖俗を使い分け、世俗の合理性と宗教の非合理性をともにうけいれたところに日本人の二元論の発想がある。西田幾多郎が“絶対矛盾の自己同一化”といったのがこれである。寛容なアニミズム的精神と近代合理主義をともに生かす。これがハイテクと神社信仰を共存させる日本人のふところの深さといえまいか。(p154,第五章 日本を護った靖国神社の英霊)

 

 これはちと苦しい解釈ではないかな。そこまで高尚な精神からきている“寛容”ではないと思う。深く考えない態度がなせるものだろう。「宗教の重圧がなかったため日本は伝統の保持(=文化)と近代化(=文明)の両方を手にできたのである。」というのは、説得力はないな。ならば、宗教の重圧か強烈だった西洋から文明の発展が起こっている事をどう考えるのか。重圧が強かったからこそ、それから解放されようとする力も強くなり、文明を産む原動力にもなったのではないか?

 絶対者を自明のものとする勢力と、絶対者を否定する勢力との神学論争は、結果的に科学の進歩を促したと見える。それに対して素朴な自然崇拝は、おそらくは天然の理を、あるがままに受けとめる態度となってあらわれたのではないか。この態度からは、何故?と疑問を持ち、追求していく科学的精神は生まれない気がするのだ。

 ただ、animismだから科学が発展しなかったのか、一神教だから科学が発展したのかは、はっきりと云い切れる知見はないが。

 日本人の信仰心の問題とは別箇に、この靖国神社については、何より、合祀される人の基準が今ひとつ解りにくい。

 

 

 朝敵は逆賊となるというが、幕府側にしても、天皇の首を取る為に戦った訳ではないと思ったが。

 それは兎も角、政治家の靖国参拝は是か非か。これは、国家主権とは何かということに関わってくる問題だろう。

 国家主権とは、畢竟、交戦権のことである。ところが“平和ボケ”の日本では、そんな物騒な権利はいらないという。どんな生物にも自己保存本能があり、いざというときにはたたかうものだが、日本は、その最低の生物的尊厳すらを捨てさった。これはきわめつけの道徳的頽廃である。平和主義から腐臭が漂うのはそのせいである。

 たしかに憲法九条では「国の交戦権はこれをみとめない」としている。これが“主権放棄”条項である。主権がないということは、人間に人権がないのにひとしい。(中略)

 国家主権を否定する憲法─これが“占領”憲法の最大の落とし穴である。ところが多くの日本人はこれを“平和”憲法とよんで胸をなでおろす。「丸腰だから平和」というのは、山賊が出没する夜道を大金をもって女一人、用心棒なしで往くのが安全というにひとしい。(中略)

 日本にむけられた中国・北朝鮮の核ミサイルを、軍事バランスでおさえこんでいるのは同盟国のアメリカの核である。そのアメリカが中・朝と交戦状態になったとき、アメリカを支援すると憲法違反になるというのが、平和主義者の言い分である。ちぐはぐ、というより最低の卑劣漢である。

 じじつ平和主義・不戦主義のパシフィストとは、腰抜け、卑怯者という意味なのである。

 これが─首相の靖国神社参拝に反対する人々の姿である。主権なき国家は人格・人権なき人間つまり奴隷にひとしいが、それが日本の平和主義なのである。(pp206~207 第六章 靖国に背を向けた戦後日本の迷走)

 などという言葉が、政治家の口から出てきたら大したもんだと思うのだが。まず、無理だろう。

 

 このように、特亜の鬱陶しい因縁を受けて素直に跪くまえに、国家主権との絡みで靖国を紐解く必要もあるかと思う。

 まぁ、著者の靖国観を綴った書であるため、学問として、本格的に日本史や靖国神社に代表される日本人の信仰心を論じたものとは云えない。処々に粗も目立つ。

 日本はマルクス主義とも戦っていたのだと云いつつ、片やでは、毛沢東が日本のおかげで国民党を追い払うことが出来たと云っている言葉を引いて、日本の大陸侵攻の正当性を語ろうとするのは無理があるというか、矛盾ではないか? 

 シナを赤く染めた毛沢東に感謝されたとなると、マルクス主義と戦っていたはずの日本が、逆の結果をもたらしたってことにならないか。

 そんなわけで、すっきりと読後感が快に振れなかったものの、良い言葉も頂いた。

 ひとの心に聖域がなければ、美や文化、高貴さがうまれるはずはない。(p22,第一章 靖国神社は日本の鎮守の森)

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