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2012年2月 2日 (木)

インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者

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インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者

ジャン=フランソワ・ルヴェル著

出版:アスキー・コミュニケーションズ,2003

読後感:☆☆

 【すべてを力でねじ伏せるアメリカの傲慢。すべてをアメリカのせいにする国々の偽善。正しいアメリカとの付き合い方とはなにか? フランスを代表するジャーナリストが、知識人としての名誉をかけて放つ問題作。】

<目次>
序章 「超大国」アメリカと、我々はどう付き合うべきか 第1章 真実から目をそむけるヨーロッパ 第2章 反グローバリズム派の大いなる誤解 第3章 アメリカの「報復」は正当か 第4章 アメリカは、本当に野蛮な国か 第5章 反米主義は「アメリカ依存」につながる 第6章 「ブッシュの戦争」は間違っているか 第7章 世界が作り出したアメリカという虚像 結語 適切な「アメリカ批判」が世界を救う

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 自意識過剰、自尊心強すぎ、な、フランス人が反米主義者の正体を暴く。といっても、ネタはフランス・欧州の反米主義者が中心である。

 結論から云ってしまうと、この著者は欧州がだらしないから米国の力が際立ってしまうのだと云いたいようである。反米主義が、かえって米国を一国主義に走らせてしまうと。

 この著者は正直だと思う。フランス人として、自分が米国に嫉妬していること認めている。ように見える。その嫉妬を反米主義にもっていくのではなく、祖国と欧州に対して、もっとしっかりしろよと、米国のようになってみせろよと、苦言を呈しているのだなと感じた。

 フランスの原題は多分、インチキな反米主義者だと思うのだけど、日本版には何故か「マヌケな親米主義者」という一言も追加されている。これは出版社の意向か? 「インチキな反米主義者」のみでは、ブ左翼に買ってもらえないと思ってのことかもしれない。

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 さて、この著者、元はブサヨだったらしい。ところが、米国を実際に見て回った結果、対米感情が変わったようである。一人一人の米国人はフランス人よりしっかりとした考えを持ってるぞ、と。

 で、何故これほど反米主義に染まるのかを考察し、“反米主義の不思議は、情報の歪曲ではなく、情報に操作されてもよいという意思が存在するという事実にある。(p15,序章 「超大国アメリカと、我々はどう付き合うべきか)”と述べる。

 例として、朝鮮戦争を、米国主導の韓国が北に攻め込んだことによって始まったという、赤いpropagandaをあっさり信じたこと、9・11以後の米国の対terrorの動きをも、反戦という美名を振りかざして避難する、その裏にある心理はほかでもない、米国が力を行使することに耐えられない、米国が世界の問題を解決することに耐えられない、まぁ、嫉妬だな。そんな心理があるからだと云ってのける。

 なかでもvietnam戦争については、フランスのだらしなさが米国を戦争に引きづり込んだとまで云ってのける。

 ベトナム戦争が激化した1969年を機に反米主義はさらに加熱し、ヨーロッパ(特にフランス)は、見事なほど根拠のない方法で、事実を忘却、もしくは忘れたふりをするようになった。アメリカがベトナムにしかけた戦争は、ヨーロッパ諸国による植民地支配、特にフランスによるインドシナ半島への侵略戦争の副産物にすぎない。フランスは長期にわたる遠隔地の戦争で戦略を大きく誤り、何度もアメリカの援軍を受けていた。敗北を喫したフランスは、1954年ジュネーブ協定に署名し、ベトナム北部は共産党政府の統治となったが、彼らが協定に違反しはじめるまでに時間はかからなかった。盲目となったフランスは、終戦後も植民地解放を拒否し続けた。フランスの政治的、軍事的失策の繰り返しが、のちにアメリカの参戦を余儀なくしたことは明らかである。

 このように戦略地政学的、心理的背景を基盤として、ヨーロッパとアメリカの関係を形作るシナリオができあがった。まず、ヨーロッパは援軍に躊躇するアメリカを無理やり表舞台に駆り出す。ヨーロッパが引き起こした危機を解決するために、 陣頭に立たされたアメリカは、やがて唯一の先導責任者にしたてあげられる。冷戦時がそうであったように、このシナリオが滞りなく進むうちは、ヨーロッパは何の恩義も感じない。ところがベトナム戦争時のように、このシナリオが支障をきたしはじめると、すべての責任をアメリカに押しつけ汚名をかぶせる。(pp15~16,同)

 vietnam戦争については、米国の非道がどうしても批難にさらされるわけだが、それというのも、言論と報道の自由を保証するという、民主制国家の有り様を守ったせいだと云ったのは稲垣 武であった。それに対して、言論や報道の自由なんぞハナから無視していた共産勢力は、記者の同行を認めなかったために、残虐さを報道されずにすんだだけであると。

 そして9・11である。当初こそ米国へ哀悼の意を述べていた諸国も、米国が報復の決意を示すなり反米主義に傾いた。反戦と云う名の反米であったろうことは間違いない。

 最良の解釈をするならば、反米主義者たちはあきれるような寛容さをもって、テロリストと彼らに抵抗する者たちをまったく同等に扱い、どちらの肩も持たないことにしたようだ。このように、何十万人もの平和主義者たちが、2001年10月14日、アメリカやヨーロッパ(特にイタリア)でデモ行進を行なった。旗には≪テロ反対、戦争反対≫と書かれていた。このスローガンを思いついた人の知能レベルは≪病気反対、医者反対≫というのと変わりはない。  彼らにいわせれば、アメリカは復讐という低い志に屈したことになる。この執念深い衝動を満たすために、彼らは理由もなく爆撃に及んだ。もちろんこれによりアフガニスタンの民間人に被害が出るのは必至だった。(p89,第3章 アメリカの「報復」は正当か)

 ≪交渉≫によって解決すべきだったのだ、と。これが欧州に限らず世界の平和主義者の見せた反応であった。

 しかし我々は知っている。民主主義は妥協に応じる知恵を持っているが、血なまぐさい狂信者たちは、常に交渉を拒否するということを。(同)

 残念ながら、日本の平和主義者には未だにそれは分からんようである。対話の成立しない相手がいるということを、想定していない平和主義というわけだ。 握り拳を内に秘めていない対話などには、なんら政治的効力を持ち得ない。 

 世界には、力の行使を躊躇わない独裁者や国家が、まだ存在する。恐らくそれらがなくなることは期待できないだろう。人類が、もう、進歩や発展という願望を捨て去る覚悟を持てるなら、米国の覇権に他の国がとって変わるのも、まぁ、有りかもしれない。しかし、それらを捨て去る気にはなれないというなら、米国はまだましな覇権国と云えるだろう。

 ヨーロッパに「アメリカでは自由の意味が衰退している」などと主張する権利はない。アメリカには≪ファシスト≫の危惧が根強く存在するというが、建国から220年以上経った今も、アメリカは独裁政治のかけらさえ経験したことがない。ヨーロッパがそのような経験のコレクターであるのとは対照的である。(p86,同)

  9・11以降、自由が失われているとか、監視社会化しているとかいう米国論が目立つが、そもそもそんなに米国が酷い国であるなら、なんで世界中から移民が集まるのか。米国籍を捨てようとする人より、それを求める人が後を絶たないのは何故か、ってことになる。

 経済格差が酷く、自由もない国に何故魅了されるのか? 他がもっと酷いからだろうね。現実を素直に見るなら、そうとしか考えられない。

 この傾向は、米国憎しという印象が強い(というか、そういう報道しかされない)、Islam国にも起きているようだ。その辺は、大高美貴も書いていた。音楽、映画、大衆文化などによってアメリカへの印象が変化してきた若者たちの存在こそ、脅威なのだ。 だからこそ、Islam諸国の指導者の米国憎しが強まるのだろう。

 たしかに、≪どこにでもいる≫、いわゆる≪巷の≫イスラム教徒の大半も、反米感情を抱いているという反論があるかもしれない。しかし、イスラム教国家のほとんどは民主主義ではないため、これらの社会において反米主義を掲げるデモのどこまでが自発的で、どこまでが国家権力により組織されたものかを正確に知ることは難しい。 

  アメリカと親交を持つイスラム教国家は、自国の過激派と闘うことを強いられている。そこではイマームが狂信的で外国人排斥を信条とした誓約を立てて大衆を扇動しようとしている。またこれら大衆の識字率は低く、独自に情報を収集する能力を持たない。それでなくても情報は、ラジオやテレビなどのメディアでさえ、極端に制限、遮断されている。(p205,第7章 世界が作り出したアメリカという虚像)

 だからこのような、戒律主義ガッチガチな宗教国家では、米国は自由をもたらしてくれる存在でもあるのだ。そして、その役割を担えない欧州や、若者たちの心を掴まれてしまった宗教国家は、ますます反米感情を募らせることになっていく。

 表向き、国家関係は上手くいってないかに見えるシナと米国でも、シナの大衆の米国感は違ってきているようである。富裕層ほど、米国に移住したがっている。

 言論の自由が制限されているシナ人にとって、米国は、ただ力を振りかざす野蛮な国ではなく、文明の進歩と豊かさをもたらしてくれる魅力ある大国と写っているのだろう。 中共の言論弾圧を喰らった焦国標は、Iraq戦争に際して、思いを詩に託している。

 「ロシアのイワノフ外相は、巡航ミサイル、トマホークが民主主義をもたらすものではないと言った・・・・・・しかしイラクの民主主義はトマホークのビューという飛来音によってもたらされるのだ」

 「あなた(アメリカ兵)が倒れたら、人類は正義の背骨を失うだろう。もしあなたの国が崩壊したら、人類は野蛮で荒廃した中世にまで戻ってしまうだろう」(中央宣伝部を討伐せよ,草思社

 

 欧州は反米感情から、国際問題を解決する際、米国とは違う路線を行きたがる傾向があると、この著者は見ている。独裁者に対しても寛容の精神によって、≪力の行使≫より≪対話≫を、というわけである。勿論、米国とは違う、利権構造を持っているためでもあるのだろうが。

 だが、本当に圧政に苦しんでいる人たちには、この悠長な態度は理解されないかもしれない。 独裁者から解放されたとき、これらの国々の民衆が、欧州に感謝することはないだろうと、著者はいう。自国の不甲斐なさに苛立ちを感じているのだろう。その苛立ちから、過剰に米国擁護をしているように見えなくもないが。

 さて、著者曰く、“今のところアメリカ以外に、世界をもっとましな場所に導いてくれる国はない。”とのことだが、日本は何か世界に貢献できるのだろうか。金を出す以外のことで。

 もし、日本が本気で世界に貢献する気概を持つなら、“金”と“言葉”だけでは切り抜けられない問題があることを認識しなければならないだろう。今のように自衛隊を海外に派遣しても、その自衛隊の保護を他国の軍隊に求めているようでは、まず足でまといにしかならないと思う。

 自国の領土が戦地となり、敗北を味わった経験を持つ日本や欧州が、米国のように振舞うのは無理かもしれない。しかし、米国流を批判するならば、それに代わる道筋を示さなければならない。

 「反戦・平和」というお題目を唱えるだけの日本人には、平和の消費者とはなれても、平和の建設者にはなれそうにない。

 Vietnam戦争を史上最も汚い戦争と見る司馬史観に対し、井尻千男氏は、

 私は逆に、領土的野心があるわけではなく、経済的権益すらほとんどないところで、反共十字軍というたった一つの観念のためによくぞ戦えるものだと感心していた。もちろん当時の「ドミノ理論」からすれば、超大国アメリカの威信と覇権はかかっている。が、それにしてもこれほど「観念的戦争」はない。将兵としては「自由のために死ねるか」と問いつづけねばならない戦争。政治家としては「同胞を守るため」という血の意識を掻き立てるわけにはいかない戦争。しかも冷戦さなかの限定戦争。そのとき日本人はヴェトナム特需にうるおい、米軍のお蔭で自由主義を満喫していた。(共同体を保守再生せよ,秀明出版会と憤っている。

   

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