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2014年11月12日 (水)

数学者の無神論-神は本当にいるのか?

  • J・A・パウロス:著,松浦 俊輔:訳,青土社 (2007
  • 毒牙感:☆
 【複雑にして美しい大宇宙と自然界は神の創造物と信じ、神の存在を説得する論理に、異議あり。神の存在証明を、科学的・論理的に丁寧に追究したらどうなるか。数学者として宗教的熱狂をクールに分析し、信じること・信じないことの意味を柔軟に考える、思考の冒険。】

 数学者の語る無神論ということで難しい数式がでてくるかと思えば、そうではない。学術書のような難解さはないので読みやすい。

 前半の以下の引用文で要約されると思う。
 神様は原因のない第一原因であると断定する(それで説明がついたと得意になる)人々には、こんな質問をしてみよう。「物理的世界そのものが原因のない第一原因だと考えられないのはなぜですか」。結局、オッカムの剃刀という尊ぶべき原則〔同じことが言えるなら、必要な前提や存在するとされるものが少ない方を選ぶという考え方〕が、不必要な前提は「そり落とせ」と助言し、世界そのものを原因のない第一原因と考える方が、神様という、なくても同じことになる仮定を導入しないという点で、大いに優れていることになる。p21,1:四つの古典的論証
 さらに、第一原因とされる神様を、完全に時間と空間の外に立てようとする試みもあるが、これは原因という概念をいっさい放棄している。原因は時間を用いて定義されるからである。p22,同
 創造主義者は、生命の複雑な形を自然にできると考えるのはばかげていると見て、それを造物主がいるとすることで説明する。複雑なものが単純なものからできることはないとすれば、この造物主は、それが生み出す生物よりも、はるかにありそうにないほど複雑な存在でなければならないが、そういうことは気にならないらしい。p29,同
 ある存在が非常に複雑で、そのような複雑な存在がひとりでに生じることはまったくありそうにないと見なされるなら、その存在のありそうにない複雑さを、さらに複雑で、さらにありそうにない源に帰着することで、何が説明されているのだろう。この創造主義的ねずみ講は、この世の外で破綻する。p30,
 説明できないものへの解答としては、造物主というものは万能であったろう。しかし、科学の時代に生き残るのは、個人的なmoralの次元においてしかないのかもしれない。もはや自然現象への説明としては、神の存在はお呼びでないだろう。

Isbn9784791763863

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