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2016年5月 9日 (月)

自己を救えぬ者は他者を救えないか

 吉本隆明 著、「言葉という思想」において、長年もやもやしてたことに少し答えがでた気がした。

 「喩としての聖書」という章において、吉本は、聖書が思想書として優れていると感じることを語っているのだが、そのなかでイエスを吊し上げた者たちがこう云うわけだ。

 「お前はいままで、病んだ人を救った。奇跡を起こしてみせた。ならば今の自分(十字架に張り付けられた)くらい救えないのか。それができるならお前を信じてやるぞ」

 このような難詰をイエスにするわけだ。 同じだ。日蓮が一門が受けることになる誹謗もまたこのようなものである。 お前ね、自分をよく見ろよ、と。自分がそんなに立派な人間なの?、と。 こう返されると何も云えませんよ。

 他人を救いたいと(これが救いなのだと)想いがあっても、あなたのその言葉が相手に素直に届きはしないのだ。たいていの場合そうだ。他人は自分と比較して「幸せそうに見えるか」「尊敬に値するか」そこで判断するだろう。理屈重視で考え、受け入れるひとなど、ごく稀ではないか。

 だが、そう云っている者も同じなのである。誰もが自分を棚に上げているのだ。他人に偉そうに云える立場でないのは、元も子もない云い方をしてしまえば誰も同じなんだと。

 それで、吉本はこう云ってくれた。

 「人間は他人を救うとおなじ次元で、じぶんを救うというようにはできていません。」 虐げられたとか、惨めな目にあったとか、そういうことも大したことではないんだと。    そうだろう、みな、もって生まれた条件が違うのだ。宿命の質も厚さも違うのだ。じぶんを救えたのと同じようには他人を救えないし、逆も然りじゃないか?

 吉本隆明には与えられることが多い。

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