書籍・雑誌:☆☆☆

2015年4月15日 (水)

あした、世界のどこかで

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あした、世界のどこかで 井出 勉(著) 出版社: 小学館 (2004  
読後感:☆☆☆  


 【テロと憎しみの大地に茅生えた国境なき愛。 長年人道支援のためのNGO活動を手がけてきた著者が初めて書き下ろした現代史ドラマです。かつて戦場という極限状況を舞台に描かれた小説作品は数限りなくありますが、現代日本が体験する“戦争の時代”とはNGO活動に代表される人道支援活動といっても過言ではありません。昨今のイラク、アフガニスタン、ボスニア等、“平和惚け日本”からはうかがい知れないような苛酷な現場に数々の日本人男女が支援活動にあたっております。本書は、そのような人道支援活動にたずさわる男と女の愛と再生の物語です。憎しみの連鎖を断ち切るために今必要なものは何か、を問いかける恋愛長篇。】

 これは9年前くらいに読んだ小説なのだが、非常に余韻の残る作品であった。余韻が残るというのが自分にとって重要な評価pointである。

 自分はNGOの活動とかvolunteerとかやったことがないから、その内部の事はよくわからなかいし(資金の流れなど)、ちょっと胡散臭さい感じが拭えないのが正直なところではある。これを読んでまず例のIraq人質事件の3名の事が浮かんでしまった。あの3名には当時も今も、極左的匂いを感じて良い印象がないのだが。

 NGOをやっている人に、自分が感じていた胡散臭さの正体はなんだったのかと考えてみる。まず、「良いことをする為にわざわざ海外に行かなければならないのか?」という下衆な感情ではあったのだ。身近な人たちから救いの手を差し伸べるのではいけないのか?、海外へ出たら、大きなことをしている気になれるからか?、とか。身近な人に手を差し伸べるなどと、自分でもやっていないことをと苦笑してしまうが。

 この小説でも読み始めはその感情の「モヤモヤ」は拭えないものがあった。何もしないで、戦火から遠くはなれた地で、漠然といまを生きている自分を批難されているような感じを味わわないわけにはいかない。たとえそこに自己犠牲に伴う自己陶酔があったとしても、他者から見て偽善であったとしても、何もしないよりも一段上の生き方なのではないか?、と自問自答する。

 これは恋愛小説だ。ただし、べたついた恋愛ではない。見つめ合う愛ではない。同じ方向を向いている愛だ。互いの背中を預けあえる愛。

 いままで読んだ小説のなかで、これほど深い愛の言葉と出会ったことはない。

 

 昨日見た星のようにお互い遠く離ていても、他人から見たら一つの星座の形をしているような夫婦になれればいいわ。p291

 人間は夜空に浮かぶ星ぼしを見上げてそこに形をみた。星のひとつひとつは遥か遠くに離れていて、地球から見ると距離もまったく違う。それがひとつの塊として見えて星座ができた。物理的に傍にいるだけが愛ではないということを理解した硬派な愛の感情。

 旅立つ母を見送る小さな子どもたちの姿に熱いものがこみ上げる。

 「おかあさん」とシャフィーカの声がした。振り返ると、幸三がにこにこしながら支える玄関のドアの奥の壁に安奈とシャフィーカが並んで逆立ちをして送ってくれた。p372

 この子たちが逆立ちして地球を支えてくれていると受け止める母である。これを読んで、家族を放り出して人道援助とは笑わせると感じるか否か。親の背中を見て子は育つとするならば、遠く離れていても一つの星座の形をしている家族愛であると自分は感じた。

 

2015年3月24日 (火)

サイレント・ゲーム

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 リチャード・ノース・パタースン:著

 新潮社 ,2003 

読後感:☆☆☆

 【辣腕弁護士トニーのもとに持ち込まれた依頼は、高校時代の親友でスポーツ競技のライバルでもあったサムの弁護だった。いまやレイクシティ高校の教頭となっているサムは、教え子の女子高生マーシーと関係を持ったあげく、殺害した疑いをかけられていたのだ。トニーの脳裡に甦ったのは、彼自身が28年前に恋人アリスンを殺したとして無実の罪を着せられ、苦悩した悪夢のような日々。苦い思いを噛みしめつつ、故郷の町に舞い戻ったトニーは、絶対不利な裁判を水際立った弁護で強引に評決不能へと持ち込もうとする。だが、裁判が進行するにつれ、パンドラの匣のように封印された彼自身の過去の悪夢が、事件に重くのしかかってくるのだった。すべての真相を知りながら沈黙をつらぬく殺人者の正体とは?かくして、真実をめぐって静かなるゲームが繰り広げられることになった―。法廷サスペンスの鬼才が心血を注いだ、追憶と懊悩の人間ドラマ。 】

 

 読んでから数年経たいま、備忘録として記す。本をすでに手放しているため記憶違いもあるかもしれない。

 さて、罪の段階をかなりまえに読んでいて良かったので、これも読んでみた。

 いい。

 謎解きの面白さ云々ではなく、人間を描くのが上手いと思う。物語の比重は、弁護士の主人公と被告人の友人との“複雑な友情”にある。

 地元に残り、田舎では考えうる限りの“堅実な幸せ”を手にした学生時代のhero、それが被告人である。教師となり教頭にまで出世し、同級生の女性と結婚し、高望みしなければ充分満たされているといっていいはずの人生だろう。

 

 しかし、彼には”越えられない”友人がいた。かつて共にsportsで汗を流し、自他共に認めるrivalであった男。地元に残らず都会に出ていき、大統領弾劾裁判でも辣腕をふるい“全国的に有名となった売れっ子弁護士”、それが主人公である。

 

 そいつが現れなければ、周りに並ぶ者がないheroであった被告人サムのまえに、学問優秀sports万能な将来の弁護士、トニーが現れてしまったのである。しかもこの男は、サムがひそかに惚れていた女子と付き合っているとなれば、人間心理としてどうなるであろうか。

 

 高校卒業とともに都会へ出たトニーに対して、地元に残ったサム。勝てないまま、文字通り手の届かないところへ行ってしまった友への複雑な感情を抱えたまま、同級生との結婚生活を慎ましく続けてきたこの男の心中を察しよう。忘れたくても、不意にその名を聞くこともあるほどの存在になってしまったかつての“rival”トニー。

 この男の中にも同じくらいの比重で、自分は存在しているか? 自分にとって価値あるものと信じて疑わないあらゆるものを、同じ熱意で競争してくれない男を、“rival”と云えるのか? 俺が俺がと、ガツガツしない男。なのに全てを手にしてしまう男。

 トニーもまた、彼らとの日々を思い出す。しかし、それは失った彼女の記憶。殺された彼女の無念。そして最愛の彼女を殺めた犯人として疑われた暗い日々の記憶としてである。トニーにとってのサムと、サムにとってのトニーでは、その存在の占めている比重が違う。

 そんな男に自分の弁護をしてもらうはめになるとは。トニーに弁護の依頼をしたのは、妻だった(はず)。

 サムは今度こそ決着をつけようとしたのだろう。辣腕弁護士となった“友”の前で、法廷で自らの弁護をしてみせようというのだ。

 事件の真相は? 而して、あの暗黒の日々の決着は如何に?

 ともに青春時代を生き、犯人と疑われていた自分を励まし、支えてくれもした女性から打ち明けられた衝撃の事実。

 “rival”が遂げる最期の決着。人間心理というものを深く考えずにはいられない物語である。

2013年3月 9日 (土)

ザ・ビッグイヤー

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ザ・ビッグイヤー 世界最大のバードウォッチング競技会に挑む男と鳥の狂詩曲

オブマシック マーク:著  朝倉 和子:訳(2004,アスペクト)

 【「ザ・ビッグイヤー」。それは、1年間に北米大陸で見つけた鳥の種類の多さを自己申告制で競う、アメリカ探鳥協会主催の記録会の名称である。仕事も家庭も棒にふり、1000万円以上注ぎ込み、40万キロ以上も飛び回って1年間も「鳥探し」をする競技者・バーダーたちの駆け引き、軋轢、結託、嫉妬―。男のロマン、バカバカしさ、業の深さを爽やかに描いた傑作ノンフィクション。】

 1)三人の挑戦者 2)人はなぜ鳥を探すのか 3)探鳥ブーム 4)戦略 5)外洋の女帝 6)つむじ風コミト 7)エルニーニョのいたずら 8)トラフズク 9)ハチドリの死闘 10)ドライ・トルトゥーガ群島 11)嵐の揺りかご 12)父親銀行 13)迷い 14)スグロエンビタイランチョウ 15)追いつき、追い越せ 16)ケープ・ハテラスの決闘 17)いつも二人で 18)強敵 19)名誉のために 20)最後の日

  この本はおもしろかったなぁ。こんな馬鹿を真剣にやる人間がいるってことがAmericaの凄さではあるな。

  Birdwatching は鳥の命を奪わない狩りなんだというわけだね。いや、この世界、一度始めちゃうと人間の収集欲が刺激されて、抜け出られらくなりそうだよ。オレには鳥を追いかける趣味はないけど、この人たちが「駆り立てられているもの」ってのは、分かりますな。

 博打にハマっちゃうのとはちょっと違いますかね。でも、半端ないだけのカネかけて東西南北、米国中を鳥を追って飛び回ってるんだから馬鹿でも凄いよ。こういうのを愛すべき馬鹿って云うんだろうね。

 まぁ、知らん鳥の名前がバンバン出てきて、それがどれくらい貴重な鳥なのかとか全然分からんのですがね。 しかし気象予報ならぬ、北米希少種注意報(笑)なるものをつくりだした探鳥家がいてですねw 会費を払えば希少種が現れるや、ただちに情報を得られるんですとw

 いいわぁ、好きですなぁ、こういう傍から見りゃどうでもいいことに夢中になれるのって。

 どうやらこれ、映画化もされたようですね。いつかDVD借りて観てみるかなと思う。屹度、原作本の面白さには敵わないでしょうが。

 それはそうと、こういう「ネタ」 こそ「水曜どうでしょう」でやってくれないかなと思うけど。

 

2012年9月 4日 (火)

火天の城

火天の城                  

9784163232102

山本 兼一【著】
文藝春秋,2007

読後感:☆☆☆

 【信長の夢は、天下一の棟梁父子に託された。
天に聳える五重の天主を建てよ!巨大な安土城築城を命じられた岡部又右衛門と以俊は、無理難題を形にするため、前代未聞の大プロジェクトに挑む。
信長の野望と大工の意地、情熱、創意工夫―すべてのみこんで完成した未會有の建造物の真相に迫る松本清張賞受賞作。】

 これは面白い! これはNHKで大河ドラマにするべき!

 城造ってるだけで退屈と云ってる人もいるようだけど、チャンバラやってるだけが時代劇ではない。

 城建造を任された棟梁と、それを超えようともがく倅。

 これらを支える妻たちも、たんなる添え物のような描き方でなく、きっちり、ひとりの人間として書けていると思う。それが良い。

 幸か不幸か、オレはこれの映画は、まだ観ていない。ただ、この棟梁は、西田敏行じゃないと思うぞ。

 これは映画よりTV向きじゃないかと。一年かけて、じっくりdramaにしてもらいたいな。

 で、このとおり、安土城を造っちゃうと。 

 

 やれたら凄いな。巨石を運ぶとこや、大木を川に流すとことか、普通のチャンバラ時代劇にはない観ごたえがあると思う。

2011年4月25日 (月)

禁断の25時

禁断の25時

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酒井 あゆみ:著,ザマサダ, (1997/10)

読後感:☆☆☆

プロローグ

(一枚の写真二人の訪問者 ほか)

第1章 生け贄の女(出会いヘルス嬢とホテトル嬢のギャップ ほか)

第2章 異常という普通(“金の亡者”というレッテル「1円でも多くむしり取りたい」という心理 ほか)

第3章 危うい年代…なぜ30を過ぎてから?(お金が目的ではないレイプ説に疑問 ほか)

第4章 闇の中の終着駅(ホテトル嬢と立ちんぼの違い「イッちゃってる感じ」 ほか)

 これを読んでいると、桐野夏生の「グロテスク」で読んだ一つひとつの場面が思い起こされた。なるほど、本書を参考文献として書き上げただけのことはある。

 オレは“東電OL殺人事件”を、事件が起きた当時は特に気にも留めていなかった。なんとなくマスゴミが根掘り葉掘り被害者のことを報じていたような記憶が、おぼろげながら残っている程度でしかない。

 それが事件から10年が過ぎ、たしかnetでもその情報があるから間違いないとは思うが、民放で、いろいろな印象的な事件の中のひとつとして、この「東電OL殺人事件」のことを取り上げていたのを見た。その番組では、「渋谷OL殺人事件」と称していたと思う。

 その番組では、被害者の昼の顔と夜の顔の落差にマスゴミが群がり、彼女と遺族の人権を無視した報道の加熱に対する反省から、その後の事件報道のあり方を変えるきっかけになったのがこの渋谷OL事件であったというような切り口で放送していたはずだ。

 どういうわけか鳥越氏が出演していたことと、被害者の女性は経済誌に論文が載ったこともあるような才女であったという部分をおぼろげに記憶している。なぜか他の事件の話は記憶に残っていない。

 その後も、この事件について特に興味をそそられるようなこともなかったのだが、それから更に2年後、図書館で佐野眞一の「東電OL殺人事件」をどういうわけか手に取ってしまったのだった。引き込まれてしまった。飲まれたといっていい。 

 それ以来、オレは東電OL症候群だ。多分。

 夢遊病者のように。

 

 酒の量がさらに増えていく。オレは阿呆か。

 佐野本には、渡邊泰子の“心の闇”(?)に迫ろうとしながら、そこのみで一冊書き上げることに限界を感じたのか、拘留されているネパール人が無罪であることを訴えることに比重が傾いた感があり、彼女の謎の部分に引き寄せられた自分としては不満もあった。

 今のところ、渡邊泰子の内面に迫ったものとしては、オレにとっては、これが一番である。

 著者の経歴が信憑性を与えている。自分の身体を売る女たちの内面は、やはり男では迫れないのだろう。妄想で処理するしかなかった感のある佐野本と違い、ホテトル嬢としての経験を持ち、渡邊泰子と同じ店に在籍していたことがある著者の書いた本である。

 彼女と少ないながらも言葉を交わしたことのある人の書いた本である。それだけでもオレにとって貴重な本となった。 しかし、さらに症状は悪化していく気がする。

 読みどころとしては、佐野本では、“堕落”と分析されていた彼女の奇行の数々も、本書を読むとなんのことはない、「身体を売る女に特有の行動(心理)」であるということが分かってきた。もちろん、万人に当てはまるものでもないとは思うが。

 彼女は「金にがめつかった」という話も、「好きでもない男に身体を触らせるのだから、当然1円でも多く搾り取りたい」と思うのが女である、と云われたら納得せざるを得ない。単なるSEX中毒という言葉で片付けたくなるのは所詮、男の幻想でしかないのだろう。

 好きな相手でなくても、“ヤレル”ということ自体に「報酬」を感じる男とは、違うってことだ。

 それにつけても、「グロテスク」のネタ本になっているだけあって、読んでいて苦しくなる。ホテトル嬢としては明らかに歳もいっていて不利なのに、店の同僚の娘たちに敵意を剥き出しにしてみせるところとか、客に「チェンジ!」と云われても強引に食い下がるところとか。

 そして、風俗に身を置いた著者にすら理解を超えた、“立ちんぼ”という狂気。

 本当に、“イって”しまっている女でなければやれない狂気なんだと。たとえ、ホテトルが似たような行為であっても、「直引きによって客を取る“立ちんぼ”だけにはなるまい」と皆が思うのだという。そこまで落ちたくないと。

 その一線だけは越えたくないと。

 だが、彼女はその一線を越えてしまった。

 いったい何がそこまでさせたのか。  もはや、知る術もない。

 「あとがき」で著者は云う。

(“裕子さん”というのは、この店での渡邊泰子が名乗っていた源氏名のことである。)

 “裕子さんが心の中で求めていながら、遂に自分自身を受け入れてくれる場所に行き着けなかったのは、大声で「そこに行きたい」と叫ばなかったからだと思う。彼女はひとりで重い荷物を背負い込み、ヨロヨロと歩き出し、どこまでも続く暗い迷路を行ってしまった。誰に尋ねることもなく、手を借りることも拒否して、振り返りもせずただ黙々と歩いて行ってしまったのだ。”(p187~188)

 そして、

 “声を出して「幸せになりたい」と言い、そのために「力を貸して」という勇気を持ちたい”(p188)

 

 声を出して「幸せになりたい」と言う勇気。  他人に「力を貸して」という勇気。

 

 自分だけで「幸せ」をつくることはできないんだと直視すること。 そして、自分の限界も認めてやること。素直さ。

 

 桐野夏生は「グロテスク」で、“立ちんぼ”となって死んだ「和恵」を、“努力信仰の人”として描いた。努力は必ず報われるんだという、「信仰」。

 そうならないこともあるんだということを素直に認めれば、少しは楽になれるだろう。

 他人に「弱み」を見せることのできる可愛げのある人になれたら、もっと人生は生き易くなるのかもしれない。

 「声を出して“幸せになりたい”という勇気」

 

2011年2月21日 (月)

大陸漂流

【ニューハンプシャー州の田舎町カタマウント―雪のちらつくある寒い日の午後、修理工のボブ・ドゥーボイズは突然自分の人生に耐えられなくなった。何ひとつ大きなことを成し遂げないままに、この寂れた町で30歳をむかえてしまった。だが、自分にはもっと華々しい未来がひらけていたはずではなかったのか。

ボブは人生のやり直しをかけて全財産をステーションワゴンにつみこむと、妻子をつれて夢のフロリダへと旅立った。

一方そのころ、やはり夢を求めてアメリカへ渡ろうと苦闘している若いハイチ人の女性がいた。アメリカに行きさえすれば、何もかもうまくいく―。そう信じて彼女は、自分の赤ん坊と幼い甥とともにカリブ海へと乗り出していった。

やがてふたりの人生が交鎖したとき、そこには思いもかけぬ運命の罠が…。やみがたい衝動に突き動かされてアメリカン・ドリームを追い求め、人生の意味を模索しつづける男ボブ―その魂の叫びを壮大なスケールと力強い筆致で描ききった、ロード・ノヴェルの最高傑作。】

『大陸漂流』

ラッセル・バンクス:著

単行本: 408ページ

出版社: 早川書房 (1991/10)

CDにジャケ写買いがあるように、オレは結構装丁で本を選ぶことがある。この本もそれ。

オレの好きな辰巳四郎の装幀なのだ。

大藪春彦の小説は、彼の装幀が好きだからあえて文庫本で買っていたくらいなのだ。

11年ぶりくらいで読み返してみた。この読後感は変わらない。

この余韻。

Russell Banks の小説は、どんよりとした空を見ているような気分にさせられる。この感じは「狩猟期」では、より強くなっていたが、小説としてはこの「大陸漂流」の方が心惹かれるものがある。

Haitiから密入国という危険を冒しても、そして北部New Hampshireから人生をやり直すために、二つの人生はFrolidaを目指す。

そこに行けば違う人生があると信じて。

なれた仕事を捨てて、家族と共に南を目指す白人の男と、ただ“生きること”それ自体の過酷さに耐えかねて、北を目指すHaiti人。

先の見えた自分の人生にうんざりした白人の男と、人生を想像することすら困難であろう境遇にあるHaiti人。

家財を詰め込んだ車で広大な大陸を走る白人の男と、持ち物など何も無く、汗と汚物の悪臭漂う船倉で何度も犯されながら海を渡るHaiti人。

共にこの冒険的行為に賭けたのだが、かけ金は明らかに違う。

ある意味白人の方は贅沢な冒険と云えるかもしれない。

Haiti人の方はもっと絶望的だ。絶望を突き抜けた冒険。

これは行間から呻きが聞こえてきそうな、そんな物語である。

Russell Banksの語り口がその気分を高めている。 ときに饒舌になり過ぎるきらいはあるが(この小説ではブードゥーが重要な要素になっている)、詩人的記述とでも云えばよいのだろうか、人物たちの科白にではなく、心象風景と情景描写に重きをおく作風はHugoに似たものを感じる。Hugo程には脱線しないが。

兎に角余韻の残る物語であり、自分にとって決して手放す気にはならない本の一つである。

読後感:☆☆☆

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2011年2月 3日 (木)

TERRORIST HUNTER

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テロリスト・ハンター

販売元:アスペクト(2004/04)
Amazon.co.jpで詳細を確認する                                                                                                  

読後感:☆☆☆

【イラクからイスラエルへ脱出したのちアメリカへ渡り、対テロ活動のエキスパートとなってから今日にいたるまでの波乱に富んだ半生を綴った回想録。

2人の子供を抱え、しかも妊娠中の身でありながら、イスラム過激派集会に潜入しつづけた女性が掴んだ衝撃の事実。「9.11テロおよびアルカイダ、パレスチナテロ組織等の黒幕は、サウジアラビアの大富豪である」彼女の告発をひた隠しにする米国政府の思惑は?

ホワイトハウスやFBIの無能ぶりを赤裸々に描く問題作。世界を不安と恐怖に陥れる悪意と報復の連鎖、その問題の根本にあるものとは何か9.11テロの黒幕と米政府の嘘を暴いた衝撃のノンフィクション。

9・11テロの真犯人、アルカイダの黒幕は誰か?本書にその実名を明かす。テロリストのみならず、米当局をも震撼させ、アメリカ国外への販売を禁じられた超問題作。イラク生まれのユダヤ人女性がテロリスト・ハンターとなった数奇な人生。 】

物凄い情報量である。 著者はイラク生まれのユダヤ女性である。名前は伏せて、匿名としている。現在でも本書で明かしているような活動を続けているのだろうか。

本書は全十一章からなるが、第一章と第二章は読むのが苦しい。父親を処刑され、イラクからイスラエルへ亡命する過程は惨い。中東の複雑さを思い知ることになる。本当の意味で同時代を生きているとは云えない人々の住む地域であると思う。

この本が俄然面白くなるのは第三章から。米国に移住して、中東について調査する非営利組織で働くようになってからである。

ここで彼女は、あるイスラム系慈善団体が発行している“救済の為”の寄付を募る、小冊子を発見する。それは、半分英語、半分アラビア語で書かれた小冊子であったが、英語で書かれた部分とアラビア語で書かれた部分では、内容が微妙に違っていることに気づき、調べ始める。彼女はなにしろアラビア語の能力を買われて、この組織で働くことになったのだ。

この作業を始めて、米国には“慈善事業”という表向きの顔を通して、Terroristに資金を流している団体が多数存在していることを彼女は知る。

イスラム系の慈善団体がテロの隠れ蓑になっているという考えは、驚きでも何でもなかった。それは、イスラエルでは周知の事実だった。私が驚いたのは、そういう団体がアメリカで図々しくも楽々と活動している点だった。九・一一の何年も前だった当時は、アメリカ―ムスリムによるテロを経験していず、宗教と救済に関わる組織を高潔なものと信じがちな国―では「聖地基金」という名称を持つ団体が皮肉にも破壊の道具に使われうるとは誰も想像せず、私はそのことを少しも理解していなかった。私は、世界貿易センタービルやペンタゴンが攻撃を受けるずいぶん前からFBIや国務省に働きかけ、慈善団体が隠れ蓑に利用されていることに関心を持ってもらおうとした。だが、私の提示した調査結果について、どちらも何の手も打たなかったのだ。(p112,第三章 翻訳のからくり)

米国流の自由と民主主義を謳歌しながら、その米国を地獄に落とす計画を立てているのである。その連中を支援しているのは、米国流の自由と民主主義に絶対の自信を持ち、“可哀想な人たちを放っておけない”米国人である。

ラルフ・タウンゼントが指摘している当時と、米国人は変わっていないらしい。

どうせ環境保護も高潔なものと信じこんでいるんだろう。単純な奴らだ。

それにしても、当局も驚くほどの情報収集能力を見せた著者は、いったいどうやってそれらの情報を掴んだのか。

全て公開されている情報の中からである。吉田一彦氏の本に書かれていた、公開されている情報源からの情報収集―open source information (OSINT)というやつである。

政府公文書などからNETで閲覧可能なわけである。にも関わらず、むしろ当局の人間が彼女に協力を要請するという、妙な自体になっているのである。

そして、ここでもFBIの酷さが際立っている。最早、末期症状というべき官僚主義に陥っているのである。縄張り意識と、主導権を渡したくないという官僚主義から、持っている情報を関係機関にすら渡さないという異常な姿を見せる。

信じられないことに、著者と接触した身内の職員に対して、尾行と盗聴まで仕掛ける始末。完全に矛先を間違えているのである。

ついでにCIAもおかしな動きを見せている。著者の見解として、CIAにはサウジアラビアが突き回されるのを気に入らない人間がいるのではないかと云っている。だが、その時点では“使える”と思ったとしても、長い目で見ればTerroristを支援し、組む者はそのしっぺ返しを受けることになるのだと警鐘を鳴らしている。

関係機関がこんなばらばらな動きを見せている辺りが、陰謀論や自作自演説が蔓延る原因になっているのだろう。

それは兎も角、この状況にどう収拾をつけるのか。本書で著者が結論として述べていることは、Terroristへの資金源を断つということである。そして彼らの国の教育を変えること。これに尽きる。

 つまり喜捨(ザカート)こそ金が寄付される理由であり、ワッハーブ主義的教育こそ寄付金が世界各地の聖戦(ジハード)に使われる理由なのだ。しかし、聖戦(ジハード)に直接に資金を提供するとはどういうわけだろう?聖戦(ジハード)を実践する集団―ハマスやPJJも含む―の多くは複数の国で違法とされている。ビン・ラディンはサウジアラビア自体を相手に戦争を仕掛けている。善良なるサウジ国民が彼に喜捨(ザカート)しつつもサウジ政府を裏切ることにならないのはなぜだろう?

 これこそイスラム系慈善団体の巧妙なところだ。ビン・ラディンの師で精神的な父親であるアブドゥラ・アザムが考案したうまい手口である。自分の金を慈善活動に寄付するのは清く、気高い行為ではないか?だが慈善団体は集まった寄付金をシンクタンク、宗教団体、教育機関などを装ったフロント組織に回す。するとそのフロント組織は受け取った金を聖戦(ジハード)とムジャヒディンのために提供するのだ。これは賢いやり方で、資金をらくらくと洗浄でき、その流れは追跡がほぼ不可能になる。アメリカ政府は長年この作戦にすっかり騙され、サウジの莫大なオイルダラーが手から手へ渡るのを見過ごしにしていた。(p419~420,第十一章 サウジ・コネクション)

これは他国の問題として見ていていいのだろうか。日本にも背景や規模の違いはあれ、同じように資金洗浄に使われている団体があるに違いない。実体の把握できない、休眠中の宗教団体などもかなりの数に上るといわれる。

宗教法人法を改正すべきだ。こいつらに税制の優遇などまったく必要はない。

面白いことに9・11の後、米政府による自作自演説を流している連中は、事件の何年も前からこれらの宗教団体に当局が目を付けていても、信教の自由に対する侵害を盾に、国民の安全を守るための政府機関の活動が妨げられてきたことについては、決して指摘しないのである。それどころか、事件後捜査を厳しくしたことに対して、“人権侵害”を指摘するわけだ。

つまりこの手の連中は、政府の安全保障上の活動が不十分であったことを批判しつつ自作自演説を流し、それでいて今後の類似した事件が起りかねない事に関して、政府が活動を強化すると、人権侵害をのたまうのである。

2011年1月12日 (水)

寂しいマティーニ

 

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寂しいマティーニ [単行本]

オキ シロー (著)  角川書店 (1993/05)
読後感:☆☆☆
マティーニ、ギブソン、マンハッタン、ダイキリ…。一杯のカクテルが馥郁たる香りを放ち、心の隙間に注がれる。甘くせつない酒場でのワンショットシーン。ページを開くとカクテルが匂い、男と女の21の物語が―。

COCKTAILについて講釈垂れるほどの人でも、本書は十分楽しませてくれるのではないだろうか。

オレはそんな知識云々より、兎に角ここに出てくるCOCKTAILをすべて飲みたくなった。

しかしまぁ、洒落た飲み物ですなぁCOCKTAILってのは。

これ読んでいた時は思わず、近所の商店でサントリーのカクテルバー・スクリュードライバーを買ってきて、飲みながら読んださ。 なんとも貧乏臭い話で。

いや、一つひとつの話がこれまた洒落てましてね。
やっぱりあれですねぇ、他の酒と違ってこのCOCKTAILには、甘い恋愛の引き立て役がよく似合う気がしますね。
Barでこいつを飲むのが似合うような歳のとりかたをしたかったんだけど、どうも野暮ったくていけません。なんかこう、beerみたく気軽に飲めないというか、微妙にぎこちなくなってしまうわけで。
なかなか大人の嗜みってやつが身に付かないんだなぁ。お里が知れちゃうわけですよ。
最近は専ら、Whiskeyをちびちびやってますわ。

2010年12月 2日 (木)

暗黒大陸 中国の真実

戦前の日本の行動を敢然と弁護し続け、真珠湾攻撃後には、反米活動の罪で投獄されたアメリカ人外交官がいた! 元上海・福州副領事が赤裸々に描いた中国の真実。1933年にアメリカで出版したものの完訳。

暗黒大陸 中国の真実

著者:ラルフ タウンゼント 販売元:芙蓉書房出版

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読後感:☆☆☆

物凄い本である。シナ人の救いようの無さを、これでもか!とばかり書きなぐっている。どの項からもシナ人への憤りが溢れ出してくるほどである。

この本が出版されたのは1933年の米国においてである。著者は何者か。 1931年上海副領事としてシナに赴任し、満州事変に伴う第一次上海事変を体験する。後、福建省の副領事となる。33年帰国し、大學講師のからわら著述と講演活動に専念する。親日派の言論を展開したことにより、真珠湾攻撃後は1年間投獄される。

この人物が稀有であるのは、この当時にシナの現実を冷厳に見つめていたこと、そして日本を評価していたことである。

いったい何故米国人はシナへの幻想を募らせ、そして反日となったのか。著者は、その理由が主にシナに渡った耶蘇教の宣教師たちにあると指摘する。

一九二七年から二八年、中国領土にいた八千人に上る外国人宣教師のうち五千人が退去させられている。どこへ退去したのか。日本である。しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない。可哀想な人間がいないからである。アメリカ人とは不思議なもので、可哀想だと思えない相手は好きになれない人種である。宣教師は特にこの傾向が強い。可哀想な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神が涌き上がるのである。だから中国人は全く有り難い存在なのだ。ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。これでは宣教師の出る幕がない。だから宣教師に好かれないのである。(p170,第六章 宣教師の心)

それに加えて、日本人の愛想の無さもどうやら災いしたようである。有色人のくせに生意気だってことだろう。その点、シナ人は愛嬌があるということは、著者も認めている。

だが、それは相手を欺くことに長けているだけだということを、しっかり見抜いている。

この宣教師たちが、自分がどれほどシナ人に裏切られながらも、本国に対してシナでの布教が巧くいっていると嘘の報告をし続けたのだ。見込み無しと本当のことを報告したなら、支援の手が止まるであろうと怖れたためだった。 この嘘の報告によって、善意に満ちた(優越感を持ちたいのが本音だろう)米国人は、シナを米国並みの“理想と希望に満ちた国”に建設できると、ますますシナへの幻想と使命感を募らせたのであった。

序文にもこうある。

例えば、誰でもいいが外国人ジャーナリストが来ると、すかさず中国政府の高官と会見の場を設けられる。こういう待遇を受けて舞い上がらない人はいない。そこですっかり手玉に取られ、高官の言うとおりに、盗賊は根絶やしにしただの、共産主義は鎮圧しただの、公立学校制度が新しく導入されただの、あと少しで中国の統一が成し遂げられるなど、と手帳に書き込むのであるが、前から中国にいる人なら、こんな話は「法螺話」としか見ていない。真顔でこういう法螺を吹いて相手を納得させてしまうのが典型的な中国人役人である。(p8~9,著者の序文 一九三三年)

手玉に取られ、そして日本への憎悪をますます募らせていったのである。 しかし、シナで現実を見ている著者やシナへの幻想を捨てた現地の米国人たちは、日本を違った目で見ていた。

悲しいかな、その現地の声をジャーナリズムは米本国に伝えなかった。

中国の真実がなかなか伝わらない理由は単純明快である。説明するとこうである。中国に外国人が住んでいる。その中で中国の国情を把握している人を区分けすると三つに分けられる。ところが、いずれの人もいざ真実を述べるとなるとかなりの制約がある。三つの区分はこうである。

(一)宣教師 (二)民間事業家 (三)領事館員や外交管等の政府役人

最初にあげた「宣教師」たちは真実を話したがらない。なぜか。もし事実が知られると、今まで続いてきた援助が打ち切られる危険があるからである。次にあげた「民間事業家」たちも事実を話したがらない。なぜか。心証を害された中国人から不買運動が起こる恐れがあるからである。また、会社に罰則が課される恐れがあるからである。最後にあげた「政府役人」は在任中は外交辞令的なことしか言えない。厳重に口止めされているからである。したがって、現場にいて状況を最も的確に把握しているはずの人間が、事実上「さるぐつわ」をはめられ事実を述べられないのである。(p6~7,同)

いちいち引用していたらきりがないほど、シナの凄まじさを余すところなく書き記している本書は、中国五千年の歴史などという幻想によって眼を眩まされている人こそ、読むべきものである。財界人はなんとしても読むべきである。

各章の題目を挙げてみるだけで、暗黒大陸の凄まじさが知れようというものである。

第一章 光景

上海の乞食サンパンの群れ/中国を象徴する苦力/出まかせの嘘とポロリの本音/夜の上海/荒地から出現した上海は中国人の天国/協調より反目を好み共同作業のできない中国人/中国に暮らすとますます疑問が深まる/中国的貧困模様/チップを多く渡してはいけない/稼ぎのすべては食い物に/買い物ではお釣りを誤魔化される/同じモノサシは使えない/信頼できる者がいない/改革・進歩は幻

第二章 のどかな水田に隠された逆説

食糧供給に対して人口が多すぎる/『上海特急』/義和団事件/山東半島/揚子江を遡る/海賊対策/上海から海沿いに南下する/貨幣価値/荒涼たる景勝地/交通事情/飽食と餓死 

第三章 本当の中国人

苦力に見る本当の中国人/恩人を殺す苦力/人類共通の人情がない中国人/中国軍の強制徴用/中国人の特異性と残虐性/ユク神父の記録に残る、残虐極まりない話/残虐な死刑や拷問/拷問好きが高じて生まれた纏足/福州のコレラ騒動/本心から信者になった者はいない/病気、怪我に強い中国人/鞭で躾ける猛獣と同じ/政府に見放された癩病/ 追悼の誠がこもらない葬式/衛生観念がなく不潔極まりない/屎尿はどう処理するのか?/ 風呂にあまり入らない

第四章 中国的才能とその背景

複雑怪奇な性格と伝統./本当の中国人を知ることが対中政策改善につながる/歴史に見る中国人の変わらぬ気質/平気で嘘をつく/責任感がないから嘘をつく/嘘に振り回されるアメリカ領事/中国人は誠実で正直であるというのは大きな間違い/虚しい形式主義と面子/スポーツはもちろん、武を嫌う民族/敵の面子を潰すための自殺/金がすべての現実主義者/犯罪者の一族郎党を残酷に処刑する/現実離れした科挙制度/驚くべき忍耐強さ/学問不毛の国/金持ちの親戚にたかるろくでなし

第五章 進歩のない布教活動

口先だけの道徳/精神一到何事かならざらん/布教の活動の実態/不毛な布教の歴史/地味で研究熱心な宣教師/教会自体に問題あり/プロテスタントとカトリックの布教競争/ミッションスクールのからくり/宣教師の経済事情/宣教師にまったく感謝しない中国人/宗教観というものがない/知識人のキリスト教観/中国人はキリスト教を必要としない

第六章 宣教師の心

宗教に精神性を求めない中国人/入信させても無意味、かえって有害でさえある/国民党の監視下置かれるミッションスクール/排外的教科書で糾弾される宣教師/宣教師迫害の具体例/堂々と中国人と渡り合った二人の宣教師の話/学生に焼き討ち、略奪されるミッションスクール/幻影を抱かず現実に立ち向かった宣教師/虐殺されても中国人をかばう宣教師/写真による情報操作/領事の影の努力を知らない宣教師/世界最高水準の教育を受けながら思想家が出ない不思議な国/巨額の援助を不満とする中国人/民を思う指導者がいない/自虐趣味のアメリカ人

第七章 果てしない混乱 

混乱が途絶える日は一日もない/ビールの泡より早く消える愛国の士/現実を見る目がない宣教師/賄賂漬けで、愛国者がいないのが国家再生の最大の障害/世界市場類例のない中国の悲惨/蒋介石と宋一族/税関だけは正直な米英人を雇う/ユニークな人物あれこれ/いくつもある中央政府/食うために兵隊になるから命を懸けて戦わない/犠牲者は圧倒的に住民である/共産軍撃破情報の真相/匪賊の暴虐を目の前にしながら何もしない討伐軍や学者/金を見て消える愛国の情/兵隊にだけはなるな/盗賊のみならず政府軍も略奪する/あまりにもかけ離れた理論と実践/役に立たない警察/百姓を食い物にする悪代官/中国を映す鏡、福建省/腐りきった役人と軍隊/命の恩人のイギリス人に感謝どころか非難する孫文/自覚こそ立ち直りの一歩/大義に殉じる心がないから中国の混乱に終わりはない/国際監視機関をつくってはどうか/均衡のとれた混乱

第八章 阿片

欧米の麻薬製品制限協定/中国全土の路地から上がる阿片の煙/世界を欺く中国政府/アモイへの共産党の進軍も阿片獲得のため/解決策はない/阿片の歴史/阿片は中国人の国民性に合ったもの/阿片戦争の原因は外国人蔑視である/インドから中国へ阿片を持ち込まないことにしたが・・・・・・/阿片撲滅宣言の裏で稼ぐ軍と警察/中国が関わる東南アジア阿片事情/強力な権威で撲滅するしかないが・・・・・・

第九章 日本人と中国人

日本人と中国人/アメリカ人はなぜ日本人より中国人を好きになるのか/移民がもたらす日本脅威論/満州事変の背景/日本の大陸政策の背景/二十一ヵ条要求の背景/幣原宥和外交の恩を仇で返す中国人/ペテン師たちの排外運動/柳条湖の鉄道爆破/日本を非難し、中国人を弁護する宣教師/日本を非難し笑い者となったスティムソン国務長官/新聞が事実を伝えないから反日感情が高まる/第一次上海事変/民間人が多く死んだのには理由がある/最初の一発を撃ったのは中国軍と見るのが自然/軍艦を盾に賠償金を取った田村総領事/日本領台湾に憧れる中国人の行列/それでも変わらぬアメリカ世論/日本の満州占領に理あり/南京中央政府、またの名を国民党というやくざ集団/国民党の日本製品不買運動/満州国は三千万の中国人には天国である

第十章 アメリカ、極東、そして未来

中国とは国交断絶した方がよいが、できない/楽しい借金の踏み倒し/国務省よ、世論に従うだけでなく真実に目を向けよ/毅然とした態度を採れ/略奪魔を取り締まるどころか奨励する南京政府/千変万化の交渉術/結婚披露宴の祝儀を読み上げる/中国外交の危険性/労多くして功少なし/中国問題は日本にとっては死活問題/対中貿易は二パーセントに過ぎない/誇張されすぎる日本脅威論/アジアの問題児は中国/アメリカ企業は搾取していない。逆に人気の的である/南京虐殺は国民党に潜む共産勢力の仕業/パール・バックの偽善/事実を見て対中国政策の誤りを認めよ  

兎に角凄まじい。到底同じ人類が住んでいるとは思えぬほどのカオスっぷりである。こんな連中に幻惑された単純な米国に日本は叩き潰されたのかと思うと、英霊の方々が無念でならない。

これは決して過去のことではないのである。今も現に、日米双方の民主党及び、左派がシナに幻惑されている。もっとも、中には確信犯的に全体主義独裁体制を待ち望んでいる輩もいるかも知れんが。

本書の冒頭、一九九七年版の序文として、ウィリス・A・カート氏はこう述べている。

ところで、嘆かわしいことに、現今、どんなに立派な人物であっても、文化の違いを指摘する人には「民族差別者」というレッテルを貼る風潮がある。(中略) 民族間の違いを述べることができなくなる日が来た日には、完全な思想統制がなされてしまう。残念ながら、アメリカがそうなる日は遠くない。カナダ、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア等はすでにそうなっているようである。(p3,)

日本もそこまで来ていると見てよいだろう。地球市民主義、普遍的人権、耳辺りの好い言葉を並べて、体よく思想統制への囲い込みが始まっている。

一度与えた権利を取り返すのは困難を極めるだろう。単純に、数の論理からいっても日本人は分が悪いことを自覚すべきだ。 ますますシナ人に有利な時代が来ている。

自分たちは本国において、他国とは一切妥協せず独裁体制を維持しつつ、人口爆弾の投下によって“民主的に”世界をシナ化する方向に向かっていくのが、シナの戦略であろう。

シナ化した世界はどうなるであろうか。 著者のシナ観をもって語るとこうなるであろう。

破壊活動に苦しむのはなにも外国人とは限らない。中国人も苦しんでいる。なら、なぜ破壊行動をこれほど推進するのかと思われるかもしれない。国家としても経済観念がないからである。個人がいくら打撃を受けても、国全体としては何とも思わない。個人は自分の家計しか考えない。人がどうなろうと構わない。だから被害が広がるのである。お互い傷つけあっても平気だ。「仕様がない」と言うのである。生まれてくる。辛い目に遭う、虐げられて死ぬ。これの繰り返し。これが中国である。(p279~280,第九章 日本人と中国人)

砂粒の如くバラバラになった個人(市民)が、勝手気ままに振舞う砂漠のような世界となるか。個人と世界を繋ぐもの、中間組織としての国家を否定して、得られる世界がこれだとしたらたまったものではない。

2010年11月18日 (木)

自由への警告

「自由への警告」

ソルジェニーツィン:著,新潮社 (1977/06)

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読後感:☆☆☆

カルト・ソ連から国外追放処分を受けた、ソルジェニーツィンの警世の書。

彼の体験談を聞いても、マルクス教に洗脳されたゴキブリどもは、まったく受け付けなかったようである。当時の言論界(左巻き文化人ども)は、まるで彼を、凶惨主義に適応できなかった特殊な例とでも思っていた。否、そう思おうとしたのだろう。

洗脳されている連中の思考回路は、そんなもんだ。論より証拠ってのが通じない。凶惨主義社会には、差別も階級も存在しない。完全なる自由。したがって、この体制に不満のあるものは精神病扱いか、思想犯として強制収容所送りとなる。

共産主義という言葉には抵抗があるとみて、社会主義という衣に包んで揚げて、召しあがれったって無駄だ。

社会主義=破壊主義と思っている。弱者保護の美名のもと、権利の乱用をもたらし秩序破壊だ。地獄への道は善意によって敷き詰められている。

西側は今日、挙げて社会主義に惹かれている。地球上に自己の理想が実現されたのをもうすぐ見るのだというのは、何十年ものあいだ実に魅力的なことでした。ところが、ソビエト体制が最も控え目な理想とさえ、月とすっぽんほど違うことがわかった時には、こんどは「ソビエト」と「ロシア」という用語をインチキにも同一視することが役立つことになったのです―ソビエトの社会主義の犯罪、欠陥、失敗をすべて、嘘を弄してロシアの「奴隷的伝統」のせいであるとしたのです。(P158,ソビエト史の悲劇的な諸事情)

ソ連のは本当の共産主義ではなかったという、てめえ勝手な詭弁で、いまだにマルクス教の有効性を説く脳みその腐った輩がいるから困る。

シャファレーヴィチはその浩瀚な社会主義研究において、数多くの歴史的事実に基づき、社会主義的諸体制はけっして新しいものではないこと、それらの諸体制は歴史上いつでもどこでも残酷な全体主義的性格を帯びたこと、さらに西側の、まさに西側の社会主義の理論家と予言者は誰もみな、まさにこの残酷無慈悲な原理を誇らしげに約束していたことを示しています。ユーリィ・オルロフは物理学から借用した方法と言葉を用いて、首尾一貫した社会主義は、理論的に考えても、全体主義体制以外の他の如何なる形態も採り得ないこと、(中略)社会主義導入のどんなに柔軟な方法でも、それが首尾一貫していて不断に行なわれるものであるかぎり、それがゆきつく先は全体主義、すなわち個人と人間精神の完全な弾圧以外にはあり得ないのです。(P159~160,同)

平等、階級打破、計画経済、美辞麗句の羅列で実態が伴わない。

共産主義者は神を否定しているようだが、理論の絶対を謳うその様は、神の全能を主張して憚らない原理主義者のそれに近いではないか?

人生は平等にはならない。持って生まれた条件が必ず人それぞれ違っているのだから、違う人生になるのが当然だ。それを強引に平等にしようとすると、理想が高ければ高いほど、締め付け圧力も強くなるはずだ。

堕落した人間を内包できない体制は、絶対にもたないだろう。資本主義社会がカルト・ソ連より耐久性が強かったのも、その辺に理由があったのではないか。皆が一様である必要がない社会であることだ。

堕落したけりゃ、そうすればよい。その結果は自分で引き受けよ、ということである。

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