書籍・雑誌:△

2016年7月16日 (土)

悪の論理で世界は動く

〝悪の論理″で世界は動く!

奥山 真司:著

読後感:△

大げさな題目だが、別段、目新しい視点はない。

「WWⅡ後の日本は独立国ではない」 「日本が独立するにはどうするべきか」 主題となっているのはこれだが、日本は独立国とは程遠い状態にあるのが事実として、独立すれば今よりもこの国がよくなると考え得る根拠がない。

地政学的に云って日本が取りうる選択肢は、独立かこのまま米国追従、最悪Chinaの属国と、この三択しかないという(ロシアとの関係を築くという選択肢はないようである)。

常識的に云うと米国追従だが、相対的に米国の覇権が低下している情況では(本当に米国の国力が弱まっていると云えるのかは疑問だが)日本も共倒れになる。

落ち目の合衆国を支え続ける負担に日本が耐えられるかという問題。 かといって日米同盟を止めればChinaの属国という、云わば脅しではある。

日米関係には「同盟」があり得るのに、日中関係には「同盟」はなく、あるのは「Chinaの属国」だけというのも保守論壇に共通の見解だ。民主化されていないChinaとでは、まともな関係は望めないと考えるのも仕方ないか。

一番、日本人として理想なのは、真の「独立」なのだろうと思うのだが、国防という視点を無視できないならば、米国追従よりも負担が増すだけという見方もある。

しかも合衆国としては、日本に原爆投下という負い目もあるだろうから、日本が同盟を捨てるとなったら、当然仮想敵国として想定するようにもなるだろう。 世界一の軍事力を持つ合衆国と、それに追いつけとばかり軍事拡張を続けるChinaとの板挟みで、どう「理想てきな独立」ができるかだ。

畢竟、Chinaの民主化を促すしかないだろうが、道遠しである。

私の現在の認識では、「この道しかない」と米国を支え続ける姿勢をとっているのが一番愚かしいと思っている。 どっちつかずの態度で双方を焦らしつつ、双方から最大の利益を引き出すという手を使うのが一番政治的には利口ではないかと思うのだが、それをやれるほどの政治力があれば苦労はしないか。

ともあれ、改憲勢力が政権を取っているうえに、それが米国追従となれば、合衆国の負担軽減のための手を打つのだろう。創価学会が政権にいる限りなんでもやれるだろう。

無党派層は政治に期待していないのだろうが、投票しないということは、日本の行く末を創価に委ねるということであることを認識したほうがよい。

2015年4月 6日 (月)

テロマネーを封鎖せよ

テロマネーを封鎖せよ

ジョン・B・テイラー(著, 中谷 和男(訳 日経BP社(2007

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読後感:△
【世界を舞台にした米国の金融戦略の全貌。】
 >「9.11以降の国際金融を語るのにジョン・テイラー以上の適任者はいない。→経済学者にして財務省次官となって米国金融政策を指揮した。これを読むまでこの人物を知らなかった。
 “わたしにはひとつの管理哲学があるが、それでは部下に「なに」をすべきかを命じることが重要であって、「どのように」すべきかを指示する必要はない、というものである。p21”→欧米流の組織は仕事が早いように見えるのは、部下の裁量に任せるところにあるのかもしれない。つまり報連相にこだわらないことか。報連相はある意味上司にとって「逃げ」る余裕を与えるのではないか。失敗したときの責任を被りそうな件に関して、決断をさらに上に委ねて保身をはかる。結果、行動が著しく遅い。もしも最適な行動であっても“機を逸する”ことになる。部下も育たないし創造的な人間には物足りなさを感じさせるetc
 >読者はこの巧みな書物で、政治、安全保障、グローバルな金融がいかに重なり合い、 交差し合っているかを知るだろう」→巧みな書物かどうかはよくわからない。オレには読みにくかった。ただ、こういうものを読むと陰謀論の幼さが分かる。全知全能の神よろしく、特定の組織、一族などがあらゆる人々の利害を超越して、思い通りに世界を動かせていると考えるのは現実的に無理があると思えてきた。
>「テロリズムとの戦争は様々な戦線で戦うことになる。その一つの分野が金融である」。ジョージ・ブッシュ大統領のこの言葉を受け、「テロリスト資産タスクフォース」が立ち上がる。国際テロネットワークの資産凍結部隊である。→国家同士の潰し合いと違い、ゲリラ的に攻撃を仕掛けてくるterrorismにたいしては、missile落としとけば消滅させられるものでもない。活動資金を絶つことにつきるということ。ISとの戦いもこれが肝となるのだろう。「テロ行為の資金調達を妨害し阻止する」には、“国連決議よりも各国の財務相との直接接触のほうが効果的p40”なのだという。
 >9.11以降に米国が主導した、アフガンでの財政政策、イラクの金融安定化プロセス、アルゼンチンの破綻処理、世銀・IMF改革における各国との駆け引き等々の事情。→おもしろかったところといえば、おフランスが、事あるごとに米国の方針と対立したがる件である。米国に主導権をとられることが兎に角気に入らないようである。おフランスは兎に角気位ばかり高くて、駄目駄目な印象が強くなっていくな。だいたい、戦勝国でもないくせになんであんなに態度でかいんだ?第一次大戦後のことでこんなはなしもある。
 “ケインズは第一次大戦を終結させるためのベルサイユ条約の交渉に参加していたが、この条約がドイツ経済に大きな負担をかけることがわかって、彼は嫌気がさして辞めてしまった。フランスが自分の望む目的を達成するために、いかに連合国内の交渉を利用したかを、ケインズは指摘”p332 とある。おフランス式交渉術の特徴は、最終的に妥協案で収まることを想定して、最初に思い切った条件を提示したうえで、なるべく相手側に多くの妥協を強いるようにするようである。さすがおフランス。
 >とりわけ日本の読者には、“失われた10年”末期の日本の通貨政策(大規模介入)をめぐる黒田・溝口両財務官との応酬の様が興味深いはずであり、今なお続く、変動相場への移行をめぐる周・中国人民銀行総裁との具体的なやり取りも明らかにされている。→日本の財務次官は金融政策で市場介入する際は、America側にいちいち報告しているらしい。さすがポチ。シナは固定相場制から変動相場制に移行しようとしない。Americaの罠だとでも思っているのだろうか。孫子の国だけに。
 IMFや世銀の改革etc、ほとんどすべて米国主導(牛耳ってる)ように云われがちではあるが、実際は各国から面倒な役割を押し付けられているようだ。Americaも唯一の超大国としてそれを引き受けざるを得ないとあきらめているようでもある。

2013年3月16日 (土)

死都ゴモラ

480
死都ゴモラ-世界の裏側を支配する暗黒帝国

 

ロベルト・サヴィアーノ:著  大久保昭男:訳 

 

河出書房新社,2008   読後感:▲

 【旧約聖書に記された悪徳の町「ソドムとゴモラ」が、イタリアを本拠として現代世界を喰い荒らし始めている。かつてのマフィアをはるかに超えた権力と経済力を持ち、利潤追求を至上とする凶悪な巨大犯罪企業組織「カモーラ」。中国などアジアを含む全世界の広大な裏経済を巧妙に操り、無数の犠牲者を葬りつつ莫大な不正利権を手中に収めている―知られざる衝撃的な闇の現実。イタリアに輝かしい新星作家が登場―壮大で強靱なノンフィクション・コラージュ小説、鮮烈な捜査小説!2006年度ヴィアレッジョ=レパチ賞受賞。同年度ジャンカルロ・シアーニ賞受賞。】

 文体が合わなかった。なんというか、詩人っぽい文体で変に饒舌な感じ。疲れて読みきれませんでした。代りに映画で見てみっかと思い、観たものの、ほとんど寝てた。

 もう、佐藤優推薦の文字に騙されない。

 要するに、地下経済マジぱねえことになってんぞ、と。前からじゃねえかよmafiaItaly.

2013年3月15日 (金)

横田めぐみさんと金正恩

横田めぐみさんと金正恩  飯山 一郎:著 三五館, (2012

51nwjdedk4l__sl500_aa300_読後感:▲

 【マスメディアでは絶対伝えられない衝撃的事実と立証!彼は誰の子か?
隣国への「不幸願望症」の人に贈る、北朝鮮の虚実!思わず唸る、あまりにスリリングな国際インテリジェンス。】

第1部 ビビンバ!北朝鮮!(横田めぐみさんの影を追う;在朝日本人と移住イスラエル人;金正恩の超小型水爆とは?)
第2部 金王朝の“深い深い謎”(金正恩と胡錦涛のキズナ;金正恩はプロだった!;人民大会堂の夕食会;金正恩、出生の不思議;謎とき「金正恩の見事な敬礼」;めぐみさんの子供たち)

 横田夫妻はこれ読んだのかね。それと、TVもまったくこれについては相手にしてないようで。完全にキワモノって扱いですな。まぁ、この著者の経歴なんかからも、胡散臭さプンプンだしな。

 なんでも、乳酸菌、発酵菌の大量培養法なるものを発明?確立? これも聞いたことなかったね。どれほどすごい技術なのかしらんけど、中韓はこれを求めてきてるらしいよ。

 でもさ、細菌によって「放射能浄化」とか云っちゃってるんだよね、この方。大丈夫なのか?

 そんなわけで、真剣に受け止めるのが無理な内容。ブログを書籍化したらしく、平気で語尾に草生やしてるしな。ブログでなら気にならんけどさ、書籍でこの文体はどうよ?昭和21年生まれだそうだけど、この著者。敢えておちゃらけてるのかね。

 中身はまぁ、おもしろかったけど。自分が思ってもみなかった視点で物事を見せてくれるなら、大概のものはおもしろく読めるからね。ただ、それを読み終わったあとに何か残るかって云うと、この本に関しては無かった。確かに、横田めぐみさんの写真と金正恩を並べて見比べたら、似てるようにも見えるけどさ。

  wikiを見ると、横田めぐみさんは“横田めぐみは北朝鮮で金賢姫の同僚工作員金淑姫に日本語の指導を行っていたとされる[22]。また、金正恩が早くに亡くなったため、彼を育て上げたのは横田めぐみとの説がある[23]。” と書かれている。

 この問題が解決していない以上、諸説でるだろうな。地村夫妻にしろ、蓮池さんや曽我さんにしろ、帰国した拉致被害者の方たちが全てを語っていないように思えるし。

 そう、この飯村氏に云わせれば、北朝鮮での生活は、拉致“被害者”にとっては優雅で何不自由ないものだったそうな。むしろ日本政府が、彼らを日本に“拉致”したようなもんだ、と。これ読んだのかな、“拉致被害者”の方は。

 真相は闇の中だが、北朝鮮が崩壊しない理由は北朝鮮の体制を支えている勢力があるからと云う人もいる。確かに、人民の大多数を飢餓状態においているような体制が、これ程耐久力があるのも、この体制を支援している力が働いているからとしか考えられない面はあるな。で、この手の陰謀論になると必ず出てくるんだな「ユダヤ資本」ってのがw

 北朝鮮は地下資源の宝庫なのだそうで、英国とユダヤ資本が全力で支援してるんだとか。

 面白いのは、北朝鮮は満州国であり大日本帝国そのものであるっていう視点だ。

 

超陰謀

超陰謀 フリ-メ-ソン・ナチス・CIAの頭脳破壊

ジョナサン バンキン:著  小紫 ますみ:訳

徳間書店 (1995

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 【正統派ジャーナリストが決死の取材でつかんだ「超悪」の動かざる証拠。マインド・コントロール、麻薬、エイズ、情報操作、UFO、マフィア・コネクション、JFK暗殺、政治裏工作…フリーメーソン・イルミナティ・ナチスからCIA・外交関係評議会・日米欧三極委員会までの驚くべき相関と謀略の手口・からくりが、遂に暴かれる。】

 読後感:▲

 

 Netに溢れかえってる情報と同じっすね。ってか、この著者自身も存外、Netから拾ってきたネタも散りばめてんじゃね?、って感じ。 斜め読みんなんすけどね。じっくり読む本じゃないでしょ。

 まぁ、本当の暇つぶし本です。情報量は確かに多いけど、ネタの出所が?なもんで。この本で得た知識をまともに他人の前で披露すると、“ヤレヤレ”って呆れられること請け合い。

 読みどころとしては、第二部の陰謀論に憑かれた人たちを取材した部分だね。第一部は、こういう陰謀論があるよっていう紹介ですね。有名どころばっかりなんで、新鮮味はなかったね。

 

 こういう人たちって、自分が無視されてることも権力者の陰謀って受け止め方なんだな。ちょっと宗教家に似てんな。自分たちが誹謗されるのは正しいからって解釈。

 

 そもそもこの著者、正統派journalistって紹介されても知らねえし。Pulitzer Prizeでも取ったとかいう人なら兎も角ねぇ。否、こういう発想こそが洗脳されてるって云われますかな。

 なんて云いますかねぇ、ちょっと奥菜秀次の本を読んでみて、オレ、陰謀論との向き合い方変わったな。

 答え出したい欲求があるんでしょうね、人間には。世の中がうまくいかない理由とか、自分の人生がうまくいかない理由とか考えたときに、裏で糸引いてるやつがいるんじゃね?、って思うわけね。こういうのって科学がなかった太古の人たちが、原因を神の存在に見たようなものなんじゃないかと。まぁ、陰謀論者の場合は悪魔の存在を見てるわけかな。

 畢竟、著者も云ってるように特定の存在が世界を牛耳ってるって発想には無理があると思う。この本でもいろんな連中が出るしね。その全てが足並み揃えてひとつの目的に動き続けるとは思えないわけで。所詮、人の集まりには権力闘争を免れ得ないだろ。縄張り争い、派閥争い。分け前をめぐる攻防とか起きるでしょ。

 現実は不確定要素が多いってことしか云えないね。この手の本読んでも、じゃ、どうする?、ってなるとお手上げだもんな。出来ることないでしょ実際。文明自体が現実に対する陰謀って云われてもなぁ。なら、文明捨てて原始時代の生活に戻れるかって話でね、無理だわオレには。

2011年12月21日 (水)

犀の角たち

犀の角たち 佐々木閑:著

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大蔵出版 ,2006

読後感:△

 【科学とはなにか?仏教とはなにか?まったく無関係にみえるこの問いの根底にある驚くべき共通点を、徹底した論理性だけを用いて解き明かす、知的冒険の書。】

 科学と仏教には共通点があるとする見方は、仏教徒の側からはよく指摘がある。実際どうなんだろう。大抵の宗教が科学に擦り寄って、信者の獲得を目指してるだけのようにも見えるが。

 この著者は、科学者を世界一かっこいい人たちと思い、科学に魅せられたのだそうだ。オレも、十年前くらいになるかな、「フェルマーの最終定理」って本を読んだ時は、数学者ってのはまったく別次元にいってる人種だなと、憧憬の念を抱いたものだった。

 尤も、あの本は数学者の伝記として読めたから好かったのであって、数式だらけの専門書に耐えられる上等な頭は持ち合わせてはいないもんで、あっさりと分を弁えた生き方を選んで今日に至る。

 が、この著者も云ってるように、頭の軟らかい子供には、数式をただ詰め込む教育ではなく、数学がどのように発展してきたかという“歴史”を、数学者たちの伝記を通して語っていけば、もっと子供に数学の魅力を伝えることができるのかもしれない。

 して、この本ではあるが、正直なところ、特段新しい知見を得られるという本ではなかった。“徹底した論理性だけを用いて解き明かす”と帯にあるが、解き明かしているとまではいえないだろう。これは“論”ではなく、“感”だと思う。

 分量としては、科学(進化論・数学・物理学)を語っているほうが多い。いったい、何を目指してこれを書いたのかは、こう云っている。

 両者の個々の要素の対応に関しては一切無視した。(中略)

 視点は常に、科学と仏教それぞれが目標とする世界観である。(p4,序文)

 しかし、「科学と仏教が目標とする世界」って何だろうか。科学はまぁ、真理を発見することと、それを応用して文明の進歩をもたらすことなんだろうけど、佛教はどうだろう。困ったことに、佛教と一言で云っても、無数の宗派がある。

 著者の云っている科学と共通する佛教とは、釈尊の時代の佛教ということなのだ。この時代の佛教こそ科学と目指している世界観が共通していると考えているようである。

 解くべき問題は違っていても、仏陀と科学者は同じことをしている。瞑想して真理を知るという、この点で、科学者と仏陀の間に違いはない。(p2,同)

 天然の法則を解き明かすのが科学だとするなら、佛教は生き方を説いたものだろう。この世はなんで存在するのかとか云った、証明不可能なことについては釈尊は語っていないはずである。平たく云うと、超越者を設定せずに世界を語る姿勢に、それを感じているってことなのだろう。

 

 自分の知力で宇宙の真理を知るという、その一瞬を経験することのできる科学者は、その時に人間としての最高のしあわせを手に入れるのだ。(p2,同) 

 

 自力で真理を掴むものはしあわせ。そして著者は、同じように瞑想し真理を掴んだ人として釈尊を見ている。、それはいいとして、釈尊時代の佛教は皆が出家しなければできない生き方であることは分かっているようだ。

 釈尊時代の仏教と、大乗仏教に優劣がつけられないと言った理由はここにある。釈尊時代の本来の仏教は、自分の生活のすべてを投げ出して、なにもかもを修行一本にかけていく、ある意味恵まれた境遇にある人たちの宗教である。それは科学と共通性を持つほど合理的でスマートで都会的である。できるものなら、そういうカッコいい生活を選びたい。しかし、そういう決意が心に生じる以前に、私たちの生活はすでにいろいろなしがらみでがんじがらめになっている。そんな中で、我々に日々の平安を与えてくれるのは、不合理ではあるが穏やかで、説明はできないが暖かい、そういった超越者の宗教である。合理性だけで人生を全うできるのならそうしたい。それは決して実行不可能な夢まぼろしではない。釈尊が、そして多くのすぐれた科学者たちがその道を行った。しかし、そうしたくてもできない者を拾いあげ救いあげる超越者の宗教は、これもまた人間社会になくてはならない大切な一機能なのである。(p237,第5章 そして大乗)

 まぁ、おマンマ食べていくには稼がにゃならんわけで、稼ぎを産む経済的な仕組みが変わらないと、瞑想に耽っていられるような人生は無理だろうな。 しかし、皆が科学者になれるわけでも、皆が釈尊になれるわけでもないからこそ世の中は退屈でなくすんでるんだとオレは思ってるんだが。

 個々の章は佛教史・科学史ですね。多分、著者はもっと構想を煮詰めて、熟成させてから世に問うた方が深いものが書けたと思う。著者の科学感、仏教感を、論になるまで煮詰めてから、両者の共通性を書いていれば、もっと読み応えある本になったと思うけど。

2011年12月18日 (日)

箱男

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「箱男」・安部公房:著

読後感: △
 

 【ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく、実験的精神溢れる書下ろし長編。】

 

 抽象的すぎた。本格的に安部公房を読み解こうという人でもなければ、お薦めできる本ではないと思う。

 “箱”の持つ意味もあるんだろうけど、オレには漠然としか分からない。偽箱男の存在で、更に混乱した。こいつの登場になんの意味があったのか。

 この人の小説なり随想なりで、何か面白い本に当たれば、これを読み返してみようという気も起こるかも。

 「砂の女」って有名どころが積ん読状態になってるんで、それに期待だな。

 他人の視線から我が身を守りつつ、他人を凝視できるというこの強みを一度知ったら、箱からでられなくなってしまうという感じは、分かる気がする。

 ひょっとして、風邪でもないのに“mask”を外さない、“伊達maskさん”の心理にも通じるのかも。

 こういう理解しがたい抽象的な小説を、通勤時に読むのが間違いかもしれないと思った。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 やっぱりというか、「箱男」を実際にやってしまう人がいるんだねえw

 すげえ度胸だよ。

2011年8月31日 (水)

二十世紀旗手

二十世紀旗手 (新潮文庫) 二十世紀旗手 (新潮文庫)

著者:太宰 治
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読後感:△

 狂乱というべきか錯乱状態というべきか、理解しようと思って読むと疲れると思う。オレはただ、文体を楽しんだ。

 たとえば文体を意識的に途中から変えたり、助詞を極端に省略したり、人からの手紙だけで作品を構成したり、小説の中に随筆や抗議文を挿んだり、主人公のほかに作者が登場したり、楽屋裏を明かしたり、演説体にしたり、オペラ風にしたり、日記風の断片にしたり、文体、構成、発想などに手練手管の限りを尽くしている。(解説より)

 本書に収録されているのは、太宰が精神病院(武蔵野病院)に入れられた頃(昭和十一年~十二年)の作品である。

 解説の奥野健男曰く、

 太宰治はこの時期、パビナール中毒に悩み、日常生活では異常な言動が多かったが、文学作品に関する限り、激情に身を任せていても少しの錯乱もない。むしろ錯乱的な生活や感情をいかにすれば表現できるかと、きわめて意識的であり、緻密に計算している。いや、錯乱と冷静、激情と計算との、せめぎあいの緊張の中にこれらの作品は成立していると言うのが正しいだろう。このような小説を太宰が書いた原因はパビナール中毒のためではなく、従来の小説方法では現代人の内面的真実は表現できない、もはや従来のリアリズムや正統的なロマンが、そのまま通用する近代は終焉し、未知の現代という時代に入ったという明確な認識からである。太宰は必死になって現代を、現代人を表現し得る新しい文学方法を模索しているのだ。

 太宰治は生涯、愛憎半ばする感情に責め苛まれ、苦悶し続けていたのだろう。

 

 彼は自分が地主の子であることを恥じ、革命運動に身を投じるも挫折する。戦後になって、うって変わって天皇批判の声が高まるなかで、“私はやっぱり天皇が好きだ”という。

 “僕は日本民族の中でいちばん血統の純粋な作品を一度よみたく存じとりあえず歴代の皇室の方方の作品を読みました。(p33,「虚構の春」)” などという言葉が出るあたりにもそれを感じる。血筋に対する反発と憧れ。地主の子であることがそんなに悪いのか? 左翼運動に馴染めなかったのも、彼が本来保守的な人間であったからだろうと思う。

 

 本書に収録された作品は、刊行されてから加筆訂正が何度もされていることも、太宰の自己愛の強さが感じられる。“生まれてきてすいません”と云いながらも、苦悩する自分に酔っていた気がする。

   

2011年8月25日 (木)

暗夜行路

暗夜行路 (新潮文庫) 暗夜行路 (新潮文庫)

著者:志賀 直哉
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読後感:△

 

【時任謙作には出生の秘密があった。謙作は、父のドイツ滞在中、母と祖父との間に生まれた子だった。幼馴染の愛子との縁談がこわれたのも、このことからであった。彼は放蕩を重ねた。】

 美しい文章を書きたければ志賀直哉を読めとか云われているようなので、読んでみた。オレは短編より長編が好きなので、まずは志賀直哉唯一の長編という、本書を読んでみた。

 

 

 長い。だらだらと一体何をどうしたいん?、と頭を抱えてしまった。 もう、文豪だろうとなんだろうと、つまらんものはつまらんとしか云いようがない。

 時任謙作の出生の秘密は残酷ではある。そこからどう展開していくのかと思ったが、展開がない。ないとオレは思ったのだが、読みが浅いのか。

 

 

  ただし風景描写、特に鳥取の大山から境港を見下ろすときの描写は見事。日本文学の白眉とされるというのも分かる気はする。

 

 ほとんど感情移入できる場面がなかったものの、この風景描写には魅せられた。いま、そこから見下ろす景色がどんなものか、そこに立ってみたいと思った。

※(動画と本文の内容は何の関係もなし)

 

2011年7月26日 (火)

ふるさとに寄する讃歌

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ふるさとに寄する讃歌

坂口 安吾:著,角川文庫:刊,1971

読後感:△

 通勤時に読むに文庫本はもってこいなのだ。この時、例えば大藪春彦の小説などを読むのはよろしくない。熱くなりすぎるし、毎日同じ日常に虚しくなるのだ。仕事に行く気力が萎える。

 専らのお気に入りは私小説の類である。明治から昭和の文豪のものがいい。ちょっと憂鬱な気分になるときはあるけど。

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 坂口安吾。云わずと知れた無頼派である。「堕落論」は好かった。「暗い青春魔の退屈」も好い。ただ、今のところそれ以外の小説では相性は悪い。

 

 本書は短編集である。わりと相性の好かったのは、「姦淫に寄す」かな。

 これはある大学生(下宿の隣部屋の住人が自殺してても気づかないし、知っても何も感じないような男)が、聖書研究会で出合った氷川澄江という自称未亡人と、彼女の別荘で一夜を過す話し。この捉えどころのない女性、解説によると元になった人がいるらしい。人物の描き方が好い。

 結局、その一夜に何も起きなかったのだが、何も起きなかったところにこの物語の“甘美”がある。

 

ところで、オレは本を買うなら断然古本派である。安いからというだけではない。前の持ち主の足跡のようなものが残っているのが好いのだ。

 どんな人に読まれたのだろうと。

 

 

 

 

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