書籍・雑誌:×

2015年3月30日 (月)

チャイナ・ドリーム

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ジョー・スタッドウェル:著

鬼沢 忍・伊東 奈美子:訳

早川書房 ,2003

読後感:✖

 

 【なぜ企業は利益の出ない対中投資をやめられないのか?依然として市場経済を頑なに拒んでいる国と、それに踊らされた企業の真実。曖昧な統計、蔓延する官僚汚職、肥大する国有企業…WTO加盟後も進歩を見ない政治経済の暗い末路を予測。 】

 

第1部 奇跡の形成(歴史を貫く夢;鄧小平という男;熱狂;すべての道は北京に通ず;需要と供給)

 

第2部 奇跡の解体(宴のあと;数字の嘘、予測の罠;社会主義者のトロイの木馬;他人の金)

 

第3部 現実への到達(パラレル経済;昨日の政治;夢は終わらない)

 

これほど速読の技術が欲しいと思わされた本も久しぶりであった。オレには読みにくすぎる。

 「世界最大の市場に魅せられた企業家たちの挫折」とあるとおりの内容。欲に目が眩んでシナの現実に目をつぶり、いつかこの市場が開放された時に備えて、好い関係を築いておこうとするものの、期待は裏切られ続ける。そんな、シナにやり込められた人々の記録である。

 

 読後感は✖一つ。やたらと巻末の原注へ誘導させられるのが鬱陶しい。

 それと、平成15年の出版ってことで、いくらかは情況も変わっているかもしれないという、情報の鮮度の面も考え、☆は付けられない。

一国二制度という曖昧な事やってるわけで、外人がここに翻弄されるのは無理はない。

 本来のシナ人の傾向から云えば、絶対、金儲けを自由にやれる社会を求めているはずで、共産主義の幻想などまともに夢見ている人間などまず居ないだろうと思う。

だが、彼の国の権力者は、強力な権力なしにはこのシナの人民を統治するのは不可能と考えているようで、そのためには、シナでは一党独裁体制以外に有り得ないと判断しているようだ。

昔の様に血なまぐさい権力闘争こそなくなったのかもしれないが、皇帝による統治という、シナ4千年だか五千年だかの歴史に染みついた傾向から脱皮できないでいる感じか。

潜在能力は一種の通貨である。それゆえ外国人は、何度も失望を味わわされながら、いつの時代にも中国の門の前に行列をつくってきたのだ。(上巻p41,第一章 歴史を貫く夢)

あまりにも読むに苦労し、もう読み返すことはあるまいと思って手放したので、引用できる箇所ももうない。細かいところは記憶にも残らないくらいの本だったとしか云えない。ただ、馴染みのある人物の名前が結構でてきて、どれだけの人々がこの巨大市場に夢を見て、そして散っていったかが分かるというもの。  まさに死屍累々。  

「嫌になるほど死屍累々」 by森巣 博  シナの指導者の意識としてはこうだろう。かつて世界でもっとも偉大であったと自負している帝国を、再び外国人に蹂躙されては堪らないってところではないか。ロシアと同じで、防衛本能が過剰に働いていると見える。自国の領土内で、外国資本に稼がれることすら、帝国の富が収奪されていると考えているのだろう。    このぶんでは、しばらくこの潜在的巨大市場が解放されることはなさそうだ。

2012年1月 8日 (日)

日本人と靖国神社

日本人と靖国神社

516dqt7tmdl__sl500_aa300_新野哲也:著,光人社,(2003

読後感:✖

 【戊辰・西南戦争から太平洋戦争にいたる戦死者247万人余を祀った社のすべてを、多角的に捉えた異色の歴史論考。平和主義、民主主義の名のもとで「国家主権」の回復を拒み続けてきた戦後日本人の意識構造を探る。】

 第1章 靖国神社は日本の鎮守の森 第2章 なぜ靖国神社を冒涜するのか 第3章 靖国信仰にみる古きよき日本 第4章 現代人が忘れている靖国の心 第5章 日本を護った靖国神社の英霊 第6章 靖国に背を向けた戦後日本の迷走

 

 靖国の成り立ちから知りたい向きには、もっと適切な書があるだろう。これは、靖国が持つ政治的な意味を捉え直し、靖国参拝に囂しく因縁付けてくる奴らに、ふざけんじゃねえぞタコが! 、と怒りの反論をしている書である。

 

 日本人の信仰心についての解釈には、ややマンセーし過ぎなきらいが有り、その点で読後感は快に振れなかった。

 日本では天皇制が宗教の重圧から庶民をまもった。八百万の神々はけっしてひとの心のなかにふみこまないからだ。しかも神事はすべて天皇にまかせっぱなしである。日本人にとって宗教はあくまでも神話なのである。ビル建設に神主の御祓いをする日本人が合理的な行動をとることができるはそのおかげである。宗教の重圧がなかったため日本は伝統の保持(=文化)と近代化(=文明)の両方を手にできたのである。

 時と場所によって聖俗を使い分け、世俗の合理性と宗教の非合理性をともにうけいれたところに日本人の二元論の発想がある。西田幾多郎が“絶対矛盾の自己同一化”といったのがこれである。寛容なアニミズム的精神と近代合理主義をともに生かす。これがハイテクと神社信仰を共存させる日本人のふところの深さといえまいか。(p154,第五章 日本を護った靖国神社の英霊)

 

 これはちと苦しい解釈ではないかな。そこまで高尚な精神からきている“寛容”ではないと思う。深く考えない態度がなせるものだろう。「宗教の重圧がなかったため日本は伝統の保持(=文化)と近代化(=文明)の両方を手にできたのである。」というのは、説得力はないな。ならば、宗教の重圧か強烈だった西洋から文明の発展が起こっている事をどう考えるのか。重圧が強かったからこそ、それから解放されようとする力も強くなり、文明を産む原動力にもなったのではないか?

 絶対者を自明のものとする勢力と、絶対者を否定する勢力との神学論争は、結果的に科学の進歩を促したと見える。それに対して素朴な自然崇拝は、おそらくは天然の理を、あるがままに受けとめる態度となってあらわれたのではないか。この態度からは、何故?と疑問を持ち、追求していく科学的精神は生まれない気がするのだ。

 ただ、animismだから科学が発展しなかったのか、一神教だから科学が発展したのかは、はっきりと云い切れる知見はないが。

 日本人の信仰心の問題とは別箇に、この靖国神社については、何より、合祀される人の基準が今ひとつ解りにくい。

 

 

 朝敵は逆賊となるというが、幕府側にしても、天皇の首を取る為に戦った訳ではないと思ったが。

 それは兎も角、政治家の靖国参拝は是か非か。これは、国家主権とは何かということに関わってくる問題だろう。

 国家主権とは、畢竟、交戦権のことである。ところが“平和ボケ”の日本では、そんな物騒な権利はいらないという。どんな生物にも自己保存本能があり、いざというときにはたたかうものだが、日本は、その最低の生物的尊厳すらを捨てさった。これはきわめつけの道徳的頽廃である。平和主義から腐臭が漂うのはそのせいである。

 たしかに憲法九条では「国の交戦権はこれをみとめない」としている。これが“主権放棄”条項である。主権がないということは、人間に人権がないのにひとしい。(中略)

 国家主権を否定する憲法─これが“占領”憲法の最大の落とし穴である。ところが多くの日本人はこれを“平和”憲法とよんで胸をなでおろす。「丸腰だから平和」というのは、山賊が出没する夜道を大金をもって女一人、用心棒なしで往くのが安全というにひとしい。(中略)

 日本にむけられた中国・北朝鮮の核ミサイルを、軍事バランスでおさえこんでいるのは同盟国のアメリカの核である。そのアメリカが中・朝と交戦状態になったとき、アメリカを支援すると憲法違反になるというのが、平和主義者の言い分である。ちぐはぐ、というより最低の卑劣漢である。

 じじつ平和主義・不戦主義のパシフィストとは、腰抜け、卑怯者という意味なのである。

 これが─首相の靖国神社参拝に反対する人々の姿である。主権なき国家は人格・人権なき人間つまり奴隷にひとしいが、それが日本の平和主義なのである。(pp206~207 第六章 靖国に背を向けた戦後日本の迷走)

 などという言葉が、政治家の口から出てきたら大したもんだと思うのだが。まず、無理だろう。

 

 このように、特亜の鬱陶しい因縁を受けて素直に跪くまえに、国家主権との絡みで靖国を紐解く必要もあるかと思う。

 まぁ、著者の靖国観を綴った書であるため、学問として、本格的に日本史や靖国神社に代表される日本人の信仰心を論じたものとは云えない。処々に粗も目立つ。

 日本はマルクス主義とも戦っていたのだと云いつつ、片やでは、毛沢東が日本のおかげで国民党を追い払うことが出来たと云っている言葉を引いて、日本の大陸侵攻の正当性を語ろうとするのは無理があるというか、矛盾ではないか? 

 シナを赤く染めた毛沢東に感謝されたとなると、マルクス主義と戦っていたはずの日本が、逆の結果をもたらしたってことにならないか。

 そんなわけで、すっきりと読後感が快に振れなかったものの、良い言葉も頂いた。

 ひとの心に聖域がなければ、美や文化、高貴さがうまれるはずはない。(p22,第一章 靖国神社は日本の鎮守の森)

2011年9月10日 (土)

中国はいかにチベットを侵略したか

中国はいかにチベットを侵略したか 中国はいかにチベットを侵略したか

著者:Mikel Dunham
販売元:講談社インターナショナル,2006
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読後感:×

 【初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とするこれが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。-それはさながらこの世の地獄だった。】

 これは中共のチベット侵攻に対し、チベット独立の為に戦ったチベット人たちの記録である。ダライ・ラマ14世が序文を書いている。

 チベット解放闘争は長期的かつ平和的手段によってのみ勝ち得ると信じているが、ひるむことのない勇気と決意をもって闘った自由の戦士を変わることなく尊敬している。著者マイケル・ダナム氏がこの勇者たちの物語を本書で余すところなく私たちに告げていることを大変嬉しく思っている。

 「平和的手段によってのみ勝ち得ると信じている」と云っている。ダライ・ラマも、領土というものは実効支配している側が有利だということを知っているし、自分たちの為に他国民が血を流してくれるとは思っていないのだろう。すでに独立は明らめているのかもしれない。

 

 シナの傍若無人さに、世界が我慢の限界を超える日がくるだろうか。それはまだまだ先のことになるだろう。シナを世界最大の“消費市場”と見ている限り、この市場から締め出される恐怖に、強欲な財界人たちとその影響を受ける政治家が勝てる見込みは今のところ、ない。

 さて、本書はチベット独立闘争の勇士たちとそれを支援したCIAの動きを、関係者の証言を基に書かれたものだが、これを事実と読むか物語と読むかは、その人の政治的立ち位置に左右されるかもしれない。前者なら反中共で、後者なら反米な人ではないかと思う。

 CIAが係っているという時点で眉唾もんとして見るむきもある。この手の連中は、民族解放戦線なる動きの背後にソ連共産主義があったことについてはなんとも思っていないだろう、たぶん。

 事実は一つでも解釈は人それぞれってことだ。共通の歴史認識なんぞ、望みようもないのが世界の現実である。

 

 中共が侵攻してくる以前のチベットがこの世の楽園だったとはもちろん思ってはいない。近代化に乗り遅れた国につきものの、迷妄と特権階級の支配はそれなりにあったろうとも思う。

 一九一二年、チャールズ・ベル卿の強い勧めによってダライ・ラマ一三世は四人のラサの若者をイギリスに留学させた。(p48,第二章 ラウラ、瞋の弩弓)

 

  そして近代に触れたチベットの民は、祖国がこのまま孤立していられるような世界ではなくなっていることに目覚め、国防の強化をようやく図り始めた。 しかし、これに反発したのはチベットの伝統仏教界だった。

 しかしよく見てみると、そこには彼らなりの世俗的計算が働いていたのである。たとえば、新軍隊の維持費として僧院にも課税されることになった。(同)

 既得権益というものはどこにでもあるもので、チベットといえど例外ではなかった。結局、軍の近代化を阻まれたチベットは、後々高い代償を払うことになる。中共の侵攻である。

 

 シナはチベットを何故必要としたのか。気がついたら世界は、中華に恐れをなしてひれ伏す時代ではなくなっていたことを、列強の侵攻によって思い知らされた経験が大きかったろうとは思う。

 黒竜会の内田良平は著書「支那観」において、列強の東亜での動きを分析しているが、たとえば英国の戦略はこうである。

 「イギリスは支那保全主義の主唱者でもある。」が、「支那でも地味の肥えていて産物は豊穣、運輸の便がよくて通商が盛んである。」いい所をしっかり押さえる。

 イギリスはまた、たんにこのような平和的施策以外に、日露戦争の機に乗じてチベット遠征軍を送った。そして革命の動乱が起こると同時に、ロシアが外蒙古の自治を提唱したのに倣ってチベットの自治を提唱し、ついに英露協約を結んでチベット全土をその勢力圏下に置くに至った。

 そもそもチベットは唐代には吐蕃の地であった。土地は痩せ気温が低くて五穀は実らないのであるから、イギリスが無理をしてでもこの地を得ようとするのは、当然ながら通商貿易による利益に目をつけたのではない。ほかでもない、チベットの地勢が、北には新疆省に属する和闐(わてん)を控え、西はパミール高原を負い、南はネパール、ブータンに接し、東は打箭路を経て四川の雅州に達する天然の要害であるからだ。ここに拠ればロシアが南下してくる通り道の要衝を占めることとなり、インドやビルマの北側の出入口を押さえられる。イギリスは支那における利権確保を確実ならしめるためにも、一見すれば役に立ちそうもないチベットに拘泥するのである。

 チベットからの道は四川省に通じている。支那において最大の富を生ずる源というべき四川は、面積十六万六八〇〇平方マイル、人口六千七百七十一万二千八百余人で、平野はことごとく桑の樹でおおわれ、山には諸種の鉱物を産し、石油層に至っては広さ二五万平方キロメートルに及ぶ。揚子江の上流に位置し、ビルマ(現ミャンマー)やチベットの安泰にとっての要所でもあるから、イギリスが黙って放っておくはずがない。果たせるかな、英仏協商によって、イギリスはフランスと共同して四川鉄道を敷設することとなったのである。イギリスが先に威海衛を租借地としているのは、ここにいうまでもあるまい。(pp84~85「シナ人とは何か」)

 内田良平がこれを世にだしたのは大正2年(1913年)である。冷徹な分析だ。国際政治がいかなる論理によってなりたっているのかが分からないと、斯様な分析はできない。

 幾ばくかでもシナ人に同情を寄せる余地があるとしたら、近代における手痛い経験からきた防衛本能の表れとも見ることはできるだろうということ。尤も、どこまでいけばその防衛本能が満足するのか、楽観視はできない。尚文の国などという幻想は甘いと云わざるを得ない。

 

 周恩来首相はかつて駐中国インド大使に、「チベットの解放は我々にとって神聖な義務なのだ」と打ち明けている。(p52,第二章 ラウラ、瞋の弩弓)

 

 その“解放”とやらがどのようなものだったか。初めのうちはチベット人もそれほどにはシナ人を敵視はしていなかったらしい。ただ、どんどんシナ人が増えてくる毎に警戒感は強まった。そしてシナ人が善意の仮面を脱ぐ時がきた。

 

 毛沢東はラジオで一千万人の中国人をチベットに移住させると約束していた。(p117,第五章 大虐殺と菩提樹)

 

 移民1千万人構想ってやつか?。毛沢東はキッシンジャーとの会談でも、「中国には米国を痛めつける策略があります。千万人の女性を米国に送り、人口を過剰にして、国力をそぐことです。」(中国人の交渉術とも云っている。 どうも一千万という数字に勝機を見いだしているようだな。

 チベットの既得権を失う心配はないと高をくくっていた仏教界も、シナの本性を見ることになる。

 中共は僧院制度を破壊したばかりか、チベット文化の根幹、チベット人全体の息の根を止めるようなやり方を推し進めた。一切の私有地は没収され、底辺チベット民衆に分け与えられた。といえばいかにも徹底した平等主義の実践のように聞こえるが、中共はチベットの新しい土地所有者を“改革”以前より一層の貧困状態に捨ておいたまま、土地からの収穫物は飢えた本土の中国人に向けて輸出したのである。中共は貧富の差をなくしたと嘯いたが、現実はチベットの誰もが一層の飢えに晒されたにすぎない。

  さらに悪いことに、チベットの貨幣は抵抗運動の以前の半分の価値で“元”に交換させられた。新たに反抵抗運動法なるものが施行され、解放運動を支援したとされた人間は“タムジン(公開懲罰)”に晒された。中国本土から漢民族の移民が増大し、チベット人は自国にあって少数民族になってしまった。タムジンで有罪とされた人びとは牢獄に入れられ、実に屡々計画的飢餓、遺棄、病気の放置などで生命を奪われていった。新企画の拷問、殺人が導入され、銃の台尻で頭蓋骨を打ち砕かれたり、鉄箸で眼球を抉り出されたりした。僧侶は毛布でぐるぐる巻きにされ、灯油をかけられて焼き殺されていった。公開去勢や、バーベキュー用棒杭にくくりつけて焼く、尼僧を素っ裸にしてむりやり性交させる、というのもあった。特に中共軍兵士の間で人気があったのは、チベット人を“文明化”“浄化”すると称する兵士たちによる集団レイプであった。彼らはそれを“地上の楽園”と称して楽しんだ。(pp233~234,第九章 新たな希望と新たな暴虐)

 反共産主義の名のもとに、CIAは各地で支援工作をしてきたが、チベットは冷戦構造の激化に伴い、支援の対象から外されていくことになる。

 インドのネール首相は初めから中共に迎合的であった。 「ネールはその友愛精神に基づきいかなる国も敵対し合うことに反対した。なかんずく中共を敵視することに反対であった。彼はチベット問題を外交の場に持ち出すのをためらいアメリカをがっかりさせた。(p53,第二章 ラウラ、瞋の弩弓)

 どうやらネールは植民地を経験した者通し、協力して汎アジア主義で団結することを夢見ていたようだ。しかし、このような甘い友愛精神は毛沢東には通用しない。

 

 さらにアメリカがチベット問題から手を引きはじめるのだが、それに影響力を持ったのはある経済学者であった。

 ジョン・ケネス・ガルブレイス。新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。(p250,第十章 最後の抵抗)

 

 

 ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。

 ガルブレイス・インド大使は、ムスタンであろうとチベット本土であろうと、いかなる補給物資の空中投下にも反対するロビー活動を強めていた(備忘録にガルブレイスは臆面もなく、CIAのチベットへの援助を直ちに止めるよう国務省に忠告した、と書いていた。そしてケネディに対する自分の影響力で、CIAのチベット援助を最小限度に抑えるのに成功したと豪語している)。 (pp250~251,同)

 経済学者らしい損得勘定だろうかね。シナという潜在的な巨大市場を失うことを恐れたのかもな。だが、このような“期待”が報われる日がくるだろうかね。シナ人てのは、自分の縄張りで外人が儲けることが許せないというから、期待通りの“夢の市場”になってくれるかどうか。今のところこの期待は裏切られ続けているが、中共は国際社会がこの欲望に勝てないことが分かっているはずだ。

 対シナ外交を考えるとき、政治家の腰抜けっぷりを批判するだけでは何も変わらないだろう。むしろ財界人のシナ幻想を冷まさなければ。

 

   

2011年5月27日 (金)

野蛮の世紀

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テレーズ・デルペシュ/野蛮の世紀
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

テレーズ デルペシュ:著,

PHP研究所 (2006/06)

読後感:× 

 【誇り高き国家フランスで最高峰のフェミナ賞受賞作品を邦訳。テロなどで国内が荒れ続けるフランスにおいて、発売と同時に各誌・メディアで絶賛されベストセラーとなった本書は、21世紀の世界が瀕する危機をあぶりだす文明論であり、国際政治分析の書でもある。

 2度の世界大戦、植民地主義、ナチの強制収容所、ソビエトの列島収容所、原爆といった忌まわしき過去を戦死者の数字だけでなく、無残な体験を味わうことになった人間、その個人の苦悩に焦点をあて、著者自身の卓越した知見により、さまざまなエピソードを引き出し、積み重ねている。そして、21世紀が20世紀を超えてさらなる野蛮(バーバリズム)の世紀になろうとしていること、またその歴史に人々が無関心を装い、逃げだしていることへの警鐘を鳴らす。

 テロリズムの先進国拡大、核兵器の拡散、軍事大国化を続ける中国、保守化し波乱の様相をみせるロシア。世界のゆくえを直視する書。】

 本書は20世がいかなる時代であったかを再確認し、そして今世紀がどう展開していくかを見通す為の一助となるだろう。気位高き国家おフランス的知性による、格調高さを感じる文章も好い。回りくどい表現に苦しめられるのではないか、という予想を善い意味で裏切ってくれた。

 自己中心的な傾向は、白人の例に漏れずおフランス人も強いと思うのだが、この著者は均衡の取れた視点から世界を見ている

 外人の書くこの手の本では、日本はたいした位置を占めていないことが多いがこれは結構日本にも言及している。ただし、「野蛮の世紀」という表題からして分かるように好い意味で振れているわけではなく、東アジアの情勢が現在の世界において最も不穏な面を持っているという意味でである。

 アジアではまだ、第二次大戦が終わっていないと著者は見ているが、その理由として、いまだに朝鮮半島の統一は達成されておらず、また、ことある事に日本に対して“歴史認識”という外交カードを利用してくる特亜(シナ・朝鮮)の存在を上げている。

 そして、世界を混乱に陥れる可能性を持った、シナという最凶の難問についてもかなりの言及があるが、特に台湾問題の扱い方の難しさとその分析を読むと、沖縄から米軍を撤退させようなどという動きにオレは賛同できなくなるのだ。

 沖縄の人には申し訳ないが、これは地政学的な宿命と捉えてもらうほかないと思う。仮に日米が沖縄から引いて独立できたとしよう、間違いなくシナが盗りに来る。中共の軍事戦略からいって自明であろう。

 日米同盟不要論者は、覇権を塗り替えようというシナの執念を甘く見ているか、むしろシナの覇権を望んでいるかだろう。

 日本にとっても他人事ではない台湾問題であるが、著者はこう指摘する。

 一九一四年前のドイツとフランスの場合のように、両派を極端まで追いつめないようにすることが、まずなによりも配慮すべきことである。国際的に国家として承認されていないことから、台湾は危険な行動に走る可能性がある。これによって中国側は独立を求める運動とみなし、二〇〇五年で全人代で採択された反国家分裂法によって、台湾を攻撃する機が熟したと判断した場合には、中国がどういう行動にでるか予断を許さない。

 これとは逆に外交的に各国から承認された場合には、台湾にとっては独立宣言に等しいものとなるが、これが戦闘勃発の理由とはならない。これによって中国とは外交面での危機が生じるかもしれないが、武力紛争の形にはならないだろう。現在の袋小路を脱するためには、形としては一見過激だが現実としては平和的な、この方策は検討に値する。(p251,第二章 ふたつの中国)

 外交的に承認せよ、まずはそこからだというわけである。

 この著者はシナの歴史捏造に騙されていない稀有な人物である(孫文を評価しすぎだが)。シナの主張する台湾の領有権は、法的根拠が希薄であることを指摘し、故に台湾を外交的に国家として承認することだというのである。

 ひとつの中国なる、シナの国家的謀略を既成事実として承認してはならないのだということ。これは道義上の問題だ。

 これらの他にも、 terrorismや第三世界がもたらす影響等にも深い見識が示されていて読み応え十分であった。ただ、世界のさらなる野蛮化を予測しているものだけに、気分が暗くなってしまうのは否めない。

 

 1905年は世界が野蛮化するきっかけとなった劇的な年であるという視点も興味深い。この年は日露戦争が起き、有色人が白人を破るという衝撃を与えた。

 この1905年の象徴的な出来事としてEinsteinが特殊相対性理論を発表し、物理学の奇跡の年と呼ばれる。日本にとっては白人を粉砕した劇的な年に、40年後の悲劇の芽が出ていた事になる。

2011年5月 1日 (日)

霞ヶ関 影の権力者たち

霞が関 影の権力者たち

高山 文彦:著,講談社:刊, (1996/01)

読後感:×

 【「国家の大計はわれわれが決める」省益第一を死守し、政治家をあの手この手で術中にはめ込む洗脳術。姿なき支配者、官僚の「組織の掟とマニュアル」とは。官僚支配の迫真ドキュメント。 】

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第1章 政治家を育てて“殺す”大蔵省の洗脳

第2章 人・モノ・カネ=外務省の「大国」への独走

第3章 外圧まで動員した「統廃合つぶし」の搦手

第4章 天皇家の憂鬱をさらに深めた“内と外”の力

第5章 北朝鮮が激怒した“お役所仕事”の顛末

第6章 人の痛みを通さない組織の掟とマニュアル

第7章 官僚の頂点・官房副長官の根回しと情報操作

 これは、自社さ連立政権当時の政・官の闘いの記録である。したがって情報としては古いのであるが、現在の状況と比べてみても大差はないだろうと思う。

 よく云われる事だが、この国を実質的に治めているのは「官僚」であるということを、本書を読んであらためて知った。もちろん、ここに書かれていることの全てが事実か、オレには確認しようがないのは云うまでもない。でもまぁ、実際こんなもんだろうなと思う。

 選挙という洗礼を受ける議員はいわば、倒産の憂き目に遭う儚い存在ともいえる。しかし官僚には倒産はない。仕える大臣が代わろうが、自分らの立場は安泰だ。政治家が人事に手をつけることも許さないというくらいだから、国民からすれば闇の権力である。

 一応、公平を期すために云うと、官僚には勿論強い使命感を持って公務に就いている人間は多いと思うよ。ただ、地位が上がるにつけて誘惑が多くなるわけだ。そのへんは民間にも原因はあるんじゃないかと思う。お互いの利害が一致するから、癒着ってもんがおきるわけだろう。

 で、本書は読後感が胸糞悪いのは扱っている対象が対象だけに仕方ないんだが、小説のような感覚で読めたし、政・官の対立の一面を垣間見れるということもあって、面白い読み物にはなっている。

 逆に云うと、著者はその場に居たわけでもないはずなのに、政治家や官僚たちの会話をよくここまで生々しく再現できるな、と思ってしまう。さすがに会話のやりとりには多少の創作はあるんじゃないかと思った。取材した相手だって、当時のことを完璧に再現できるわけではあるまい。自分に都合のいいように語っていないとも限らない。

 つまり、あくまでも政治劇という読物として興味深く読むことはできたってこと。加藤紘一だの河野洋平だの武村正義だのといった、オレの嫌いな議員の意外な一面を見たのもなかなか面白かった。 だからといって、別に好きにはならないんだが。

 本書を読むかぎりでは、財布の紐を握っている大蔵省(現・財務省)が一番権力があるってことかな。

 大蔵省という官庁は、たとえどんな大物政治家が乗り込んでこようとも、一丸となって省の考えを植えつけていこうとする。大蔵省のある幹部よれば、それを“ペレストロイカ”とか“洗脳”などと省内では呼んでいる。(p19,第1章 政治家を育てて“殺す”大蔵省の洗脳)

 ちなみに、日銀の総裁は大蔵省OBがなるようになってるらしい。

 それから外務省。

 国家連合の常任理事国入りを目指しているという日本だが、それを最も望んでいるのは、実は外務省かもしれない。

 元外務官僚の浅井某の発言として、外務省の思惑をこう書いている。

 「現在の安保理は、常任理事国で秘密会議もやります。現実にはそこで意思決定すれば、それを国連に押しつけることができるわけです。常任理事国にさえなっていれば、世界中に決定を押しつけられる。これは外交をやるものにとっては、たまらない魅力です。(p104,第2章 人・モノ・カネ=外務省の「大国」への独走)

 で、これに関しては政治家のほうが、憲法問題も絡めて、慎重な態度であるようだ。どうも外務省の人間は、連合国にあって肩身の狭い思いを強いられているようである。それだけに、早く常任理事国入りしてデカイ態度をとりたいのだろうな。

 

 だが、米国に追従しているだけの日本が常任理事国入りするのを望まない国が多いわけだ。米国の発言力が増すだけであると思われているのだろう。

 オレとしては、いまだに旧敵国条項(53条・107条)を持っているような糞国家連合なんぞに無駄金使うのはやめてもらいたいと思っている。常任理事国なんぞにならなくていいから、この下らん国家連合への拠出金を減らしてもらいたい。

  

 大丈夫、シナと朝鮮(めんどくせえから南北一緒くたにしてやる)という、日本の常任理事国入りを死ぬほど嫌がっている奴らが、日本がアホみたいに払っていた無駄金の穴を埋めてくれるだろうw

 

 もう一つ、本書の読みどころ。 外務省による皇室の政治利用。 雅子妃と皇太子殿下の婚約の裏側。非常に興味深い話である。

 天皇家と政治は、明確に分離されていなければならないというのだ。だが、ここにいたって、疑問視されるのは、やはり雅子妃の父、大和田恒の存在である。

 本来ならば、天皇家と縁戚関係で深くつながった時点で、日本外交の中枢をになう役職からは退くべきだったのではないか。政治経済の利害がはげしくからみあう世界から距離をおくというのが、天皇家に対する配慮というものではなかっただろうか。しかし大和田の言動からは、積極的に外交舞台の中心人物でありつづけようとしている姿ばかりがうかがわれる。(p197,第4章 天皇家の憂鬱をさらに深めた“内と外”の力)

 阪神・淡路大震災の際も、被災地を訪問したいという皇太子殿下に対して、外務省の意向を慮って予定通り中東訪問をやむなしとする雅子妃。小和田家に纏わるあの噂は本当なのかねぇ。

 まぁ、そんなこんなで大蔵省(現・財務省)や外務省という強大な権力と、政治家の攻防はなかなか見ものであった。下手なTV劇なんぞ見るより、政治の方が断然面白い。

 ガキの頃は選挙速報を見て、こんなもん何が面白いんだと思っていたけど、今となっては下らんジャリタレの出ている番組なんか見てるより、よっぽど面白いと感じるようになったわ。筋書きのないドラマってやつか。  

2011年2月11日 (金)

 不道徳教育

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ウォルター ブロック/不道徳教育

講談社 (2006/2/3)
販売元:HMVジャパン
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読後感:×

【全米に大論争を巻き起こした超ロングセラー人気作家初の「超訳」でついに日本上陸!!
「自由」とは何か。国家の、企業の奴隷として生き永らえることがあなたの人生か。売春婦、シャブ中、恐喝者、悪徳警察官、闇金融……彼らこそわれわれのヒーロー(!?)だ。ニッポンの閉塞を打ち破る奇想天外リバタリアン・ワールド!
あなたはもっと「自由」に生きていい??】

反社会学講座」と系統は似てるな。本の装丁がおちゃらけているのも、内容の急進性を和らげるためか。

しかしどうもオレは頭が堅いらしい。著者の云わんとしていることは分かるのだが、心からその通り!、と同意できない“なにか”があるのだ。

いい加減なわりに保守的なんだろうな、オレ。

結論から云ってしまうと、著者から云わせれば“国家が最大の悪徳”だということになるらしい。

この辺がどうにも“引っかかる”ところなんだなぁ。 オレにとっては国家を否定する奴は皆、凶惨野朗に見えるんだわw、困ったことに。だから読後感は×1つ。思わず“二ヤリ”とするところも結構あるけどね。

目次見ただけでも笑えるよ、列挙されているものが凄いんだもんね。

『売春婦』

『ポン引き』

『女性差別主義者』

『麻薬密売人』

『シャブ中』

『恐喝者』

『2ちゃんねらー』

『学問の自由を否定する者』

『満員の映画館で「火事だ!」と叫ぶ奴』

『ダフ屋』

『悪徳警察官』

『ニセ札づくり』

『どケチ』

『親の遺産で暮す馬鹿息子』

『闇金融』

『慈善団体に寄付しない冷血漢』

『土地にしがみつく頑固ジジイ』

『飢饉で大儲けする悪徳商人』

『中国人』

『ホリエモン』

『ポイ捨て』

『環境を保護しない人たち』

『労働基準法を遵守しない経営者』

『幼い子どもをはたらかせる資本家』

これを全部擁護してみせるという本書。 まぁ、これを読んで目が覚めちゃうってほどの感動はなかった。でも、著者から教えを請うというより、著者との対話だと思えばそれなりの益はあるかも。

中にはいくつかは、共感できるものもあるのだがねぇ。たとえば『慈善団体に寄付しない冷血漢』って項目。

これはとくに言い訳する必要もないわな。寄付しないからって冷血漢呼ばわりするか、普通。多分、米国社会にはそういう“ええかっこしい”が多いからなんだろう。結構建前社会な気もするね。

社会的背景は兎も角、慈善というその哲学自体が狂っていると著者は指摘するのである。それは、この哲学の背後にあるのは「完全なる富の平等」への要求であるからだという。ただ、ここで説明されている例は極端な気がしたし、そっちの意味で否定するのかと、オレの思うところとは違っていた。

『環境を保護しない人たち』では、単純に現在利用している資源を保護するよりも、地球資源を搾取し、浪費し、代替品の開発という科学技術の進歩を促す方を指向すべきだということである。

 自由な市場では、資源を使い果たすことは深刻な脅威にならない。資源の欠乏が進めば、それを修正する強い力が自動的にはたらくからだ。

 たとえば、もし木材が供給不足に陥ればその価格は上昇する。その結果、消費者は木材を使わない製品を買うようになるだろうし、メーカーは木材の代替品を積極的に利用するだろう。(p275,自由な市場こそ地球を守る)

『麻薬密売人』『シャブ中』については、他にもその手の本は出てるから、目新しい主張はないね。

麻薬を規制することで、かえって地下経済が肥えるだけだっていう指摘は多い。それに加えてこの著者は、薬の密売人が薬の末端価格を引き下げて、そのことによって「シャブ中」を「救っている」というのであるw

売人が1人増えるたびに薬の末端価格は下落する。逆に「法と秩序を守る警察」の働きによって、薬が手に入りにくくなると末端価格は上昇する。その結果どうなるか。

シャブ中による犯罪は、薬物依存症でない者が手がける犯罪よりもはるかに悲惨な結末を迎えやすい。中毒者でない犯罪者は、盗みをはたらくのにもっともよい時と場所を選ぶことができる。しかし中毒者は、「一発」が必要になったらじっくり考えている余裕などなく、しかもそういうときにかぎってドラッグの副作用で頭が鈍くなっているのである。(p92,シャブ中はなぜ犯罪者となるか)

ドラッグの副作用で頭が鈍くなるってことは認めているわけであるw しかし需要があればそこに目を付ける連中は現れる。そうなると、危険を冒してまで供給しようってのはその手の奴らしかいないわけで、それならば規制を撤廃して、その金を「オモテ」に出したほうが善いということ。

しかし、「シャブ中は生産性を低下させない」で持ち出してきた例には、ピンとこなかった。

 たとえば、あるすばらしい発明によって生産性が二倍に向上したとしよう。人々がこれまでと同じだけはたらけば、当然、GDPも二倍になる。その一方で、人々がこの偉大な発明をこれまでの生活水準を維持するために使い、労働時間を半分(すなわち余暇を二倍)にしたならば、GDPは変わらないから、統計上は、人々はまったく豊になっていないことになるのだ。(p103,シャブ中は生産性を低下させない)

まず、偉大な発明があったとしても、人は労働時間を半分に減らすことはないと思う。これまでも、たとえば人間の移動手段は進歩して、半日あればどこでも行けるようになった。

通信手段も飛脚の時代とは比較にならないw

でも、それによって仕事時間は減ったか。減らない。仕事の処理速度が上がれば、それを前提とした経済になるからだ。

この本でさんざん著者も云っているように、他より抜きんでたい欲望を人が持っているかぎり、企業も当然、他社より儲けたいと思うわけで、偉大な発明が仕事の処理能力を上げたとしても、結局それに応じて仕事量を増やすだろう。

そんな具合で、いろいろと考えるきっかけにはなる本である。同意も反発も含めて、読んでみる価値はあったとは思う。自明と思っていたことも、他にもやりようがあるんじゃないかと議論することは重要であろう。

2011年1月20日 (木)

シナ人が日本に大量移住、その数毎週500人

シナ最大の武器は、その異常な人口である。せめて人間性が善ければ救いもあろうというものだが、遵法精神の欠片もないときてる。

たとえ国籍を変えても決してその国の国民にはならない。あくまで“華人”である。

世界に散らばり、世界を喰らい尽くす。その異常な生命力で。

兎に角、何から何まで桁違いである。歴史が記しているところでは、シナは戦乱に明け暮れていたわけだが、どういう訳か人口が減るどころか増えているw

世界史の授業を思い出しても、一番うんざりしたのがシナ史であった。暇なし王朝が変わりやがるので、国名(国という概念で語っていいのかすら疑問だが)覚えるのも面倒になってくるのである。

文革にしてもそうだが、人の死に方、その数が半端ないのだ。それだけ大量に犠牲になって死にまくっているにもかかわらず、何故だか人口は増えまくるw

もう、訳が分からんシナ人は。

中国人の世界乗っ取り計画 中国人の世界乗っ取り計画

著者:河添恵子
販売元:産経新聞出版
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,読後感:×

《騙す、脅す、略奪する“ガン細胞”
これが新しい“中国人”の正体!
カナダ、フランス、イタリア、アフリカ、オーストラリア、そして島嶼国までが!――中国共産党の移民国策×カネ×無法の三拍子でパワー全開の中国人が、世界中で暴れている。決して地域に馴染もうとしない、義務なき権利を主張する「傲慢で不誠実で無責任」な彼らの“生態”を報告する。 》

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

第1章 世界に拡がる「もう一つの中国」(カナダはすでに乗っ取られた
大暴れする中国系ゴロツキ ほか)

第2章 中華“金主主義”共和国の攻勢(あらゆる手段で他国に“寄生”
子どもは“金(カネ)の卵” ほか)

第3章 黒い中国共産党VS世界(ウヤムヤにされた毒ギョーザ事件
「毒ミルク事件」スピード解決のウラ ほか)

第4章 騙す・脅す・略奪する“ガン細胞”(人民元が国際化される恐怖
庇を貸して母屋を取られたイタリア伝統産業 ほか)

第5章 世界の政治も食い尽くされる(カネで買われたアフリカ大陸
オーストラリアはホワイト・チャイナ ほか)

本書には明るい話はない。シナ人の生態の凄まじさに呆れて苦笑するくらいか。

決して明るい笑いではない。

結論から云うと、シナ人は直接的な武力侵略を選択する必要はないということである。その必要すらないってことだ。そんな危険な冒険主義に走らなくとも、異常繁殖したシナ人を世界に撒き散らすだけで好いわけだ。

そうすれば民主主義国家にとって云い訳しにくい、“人権”を盾に合法的に世界をめちゃくちゃに出来るというお話しである。

停滞する日本を尻目に存在感を増し続けるシナ。シナを市場として見る幻想から抜けられない欧米毛唐の“バスに乗り遅れるな”とばかり、媚び諂い深みに嵌っていく日本。

要因は様々あるにせよ、労働力としても日本人よりシナ人の方が善いという風潮まで出てきた。最早シナ人抜きで日本経済は成り立たないという、media洗脳も気味が悪い。

本当にそうなのか?

シナ人が日本経済を救うとな?

例えば日本が物を売って、シナ人がそれを買ってくれるっていう関係だけならいいさ。だが世の中そう都合の良い話にはならんのですわ。

利に聡いだけで価値を創造するでもない、遵法精神なきシナ人が大量に定住するかもしれない移民政策などを、本気でやる気でいやがる。

凶惨野朗どもは大企業がどうの、資本家による搾取がどうの云ってるが、シナ人と共生するとなったらそんな甘っちょろい精神では生きていけないと思うよw

移民政策といえば、本書にはカナダの例でこんな話が書かれている。

移民の可否の最終判断は、書類に記載された内容にウソがないか、カナダ側の移民管が面談を行なって下されるが、なにより相手は「偽造書類作成が朝飯前」のツワモノたち。日本人の移民コンサルタントも、「移民の相談をしてきた中国人に、『卒業証明書は?』と尋ねたら、『どこの大学がいいか?明日準備するから』と言われて絶句した」と語っていた。

カナダの地元有力紙『バンクーバーサン』には、数年前、「移民申請する中国人の三〇%以上が大嘘。移民局はこの中国人の“天も恐れぬ大ウソ申請”をふるい落とす作業だけで、大変な手間隙と市民の税金を使っている!」との憤懣記事が掲載されていた。(p70,第2章 中華“金主主義”共和国の攻勢)

いちいち引用するのも気が重い。うんざりさせられる。

あらゆる手段を使って他国に寄生する。只管権利を求めて。何ものも生み出さない。価値あるものは何も。ただ侵食するのみ。

“自国の問題を移民先にまで持ち込み争っている”(p231,第5章 世界の政治も食い尽くされる)のが、シナ人である。

2010年12月16日 (木)

いい加減にしろ!外務省

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いい加減にしろ!外務省―国益、国民益を損なってまで、なにを守ろうとしているのか?

涛川 栄太 + 21世紀日本の外交を考える会 (著) ,ネコ・パブリッシング,2002

 涛川 栄太 1943年東京生まれ。立教大学経済学部経済学科・同大学文学部教育学科卒業。20年間の教師生活の後、現在教育学者、作家。新松下村塾塾長。「朝まで生テレビ」ほかテレビコメンター。長年ニッポン放送「テレホン人生相談」常任解答者をつとめる。「日本と世界の子どもたちを救う会」代表。新聞やオピニオン誌に好評執筆中。聴衆を爆発的に魅了する講演は、いま日本でもっとも実力、人気を兼ね備えた講師の一人と評価されている。また、カウンセリング教育相談では、悩める多くの子どもたちを体当たりで励まし続け、立ち上がらせている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

【 機密費流用・2島返還論・ODA・北朝鮮拉致疑惑・鈴木宗男・ロシアスパイ…。外務省には官邸、マスコミをも巻き込んだ、国家を揺るがす巨悪が隠されている! 外務省内にはびこるモラルの低下を指摘する。】

日本は一見、階級のない国のように見えるが、特権階級意識を持った連中は間違いなくいる。霞ヶ関の連中がそれであることは、彼ら自身も国民も認めているはずだ。

国会議員をいくら先生だのと云ってみたところで、所詮は選挙で落とされることもある身分である。しかもその“先生”とやらにしたって、元芸能人だのスポーツ選手だのと、到底政治も経済も知っているとは思えん輩が選挙で選ばれたっていう“だけで”、議員バッジを着けて歩いているわけだ。

超が付く難関を突破して官僚になった者たちからすれば、選ばれた方も選んだ方も“愚民”に見えるであろうことは想像に難くない。

況や、景気によっては倒産の憂き目にも遭う民間人などは、ゴミ同然であろう。何しろ身分が安泰というのは、とてつもない特権階級である。政治家も民間(財界人)も官僚に擦り寄ってくるのだから、笑いが止まらんであろう。

この官僚の選良意識が、国益を損なう諸悪の根源ということになろうが、それを云ってもはじまるまい。国民の意識がこの連中に階級意識を持たせているようなものであろうから。

子供に将来就かせたい職業の一位は公務員。子供が将来就きたい職業も公務員である。その頂点にいるのが国家官僚となれば、彼らが得意になるのも故なきことではあるまい。

<外交に関する国民の意識が外務省・外交官を変革する>として、著者はこう結論する。

ここまで腐敗しきった体制をうち崩すのは、たとえどんな逸材が現れようとも、個人の力では到底不可能なのだ。

一国のあり方は、国民一人ひとりの道義やマナー、いわゆるモラルやスピリットというものが反映されるものである。とすれば、外務省の改革を成し遂げるためには、われわれ国民が立ち上がらなければいけないのではないだろうか。

世の中の拝金主義を肯定し、「世の中こんなものだ」などと達観した人々のなかで、「いやそれは違う」と主張できるだろうか。国民一人ひとりが、日々の生活のなかでより向上心を磨く問題意識をもって生活することが大きな変革へとつながっていくのである。(p198,失われた武士道スピリットを取り戻せ!)

意識の変革というのがもっとも難しいところではあろう。

国家公務員の不正に憤ったことを述べる“大人たち”をTVの街頭調査などでよく見るが、そんな“大人たち”も我が子には公務員になって欲しいわけだ。結局のところ、旨い汁を吸っているのが“他人”であることが悔しいってことだろう。それ以上の気高い精神から憤っているわけではあるまい。この民度であるかぎり、日本国が官僚の害から免れる日は来ないであろう。

薄い本で、息抜きに読むにはちょうど好いと思っていたが、内容が内容なだけに不快であった。

興味深かったのは、著者は田中真紀子(当時は外相)を高く評価していることである。

オレはこの人物のシナ寄りな態度が好きではないのだが、それはそれとしても、外務省の膿を出し切ろうとした手腕は、もっと評価されるべきだったかも知れない。ある面では善くてある面では悪いと、全面的に善いという人は居ないというしかないのかもしれない。

もう一つ、鈴木宗男に絡んで、佐藤優について語られている件が興味深かった。

実は、鈴木の二島先行返還論はロシアの諜報工作だったという疑念がある。二島先行返還論のシナリオライターは佐藤優であり、オリジナルの作者はロシアである。(p85,第二章 日本人ならば、北方領土の屈辱を忘れるな)

鈴木宗男はカニの利権を持っているという。鈴木の関連会社はロシア無頼船籍の船も持っており、ロシア無頼の領海で操業しても見逃してもらえるというのである。他の会社の船ではこうはいかないというのであれば、何かあると見るのは自然であろう。その鈴木にべったりくっ付いていたのが、佐藤優であった。

ここで本当に知りたいのは、ロシア無頼が二島先行返還論を通したがっているのだとしたら、その意図は何かである。そもそも“先行返還”なるものは詭弁ではないのか? 本音は二島で手打ちにしてそれを餌に、日本から引き出せるだけ引き出そうとしているのではないのかと思えるのである。

鈴木と佐藤が本当に二島先行返還なるものを、国益に適うものと思っているでのあろうか。鈴木宗男が佐藤優を重宝したのは、背後にロシア無頼が居たからか。何故、鈴木の恫喝が他の政治家にも官僚にも効いたのか。

佐藤はロシア無頼の諜報機関とも繋がりがあったと見られている。その佐藤を通して、鈴木は貴重な情報を得ていたのかも知れない。この二人の関係は、裏を読まずにはいられないものがあるのは、事実であろう。

ノンキャリアのため、一生うだつがあがらない日陰の立場で終わってしまうはずの人間を、局長クラスでさえ一目も二目もおく主任分析官にしたのは鈴木氏である。 

一方佐藤氏としては、自分に目をかけてくれた鈴木氏に一身を捧げる気持ちになったのだろう。(p95,同)

推測ではあるが、人間の情の面を抜きにして人の行動を知ることはできまい。

佐藤優が鈴木べったりになってしまったことを、情の面から見ることが可能であるとすれば、外務省の悪しき体質に原因があるかもしれない。

恐ろしいことに外務省では、人間といえば上級職、一級、キャリアだけを指すそうだ。ノンキャリアは人間ではなく猿と呼ばれている。機密費詐欺で逮捕された松尾克俊元要人外国訪問支援室長もノンキャリアであり、彼の事件が明るみにでたときキャリアたちは、「あの猿が人騒がせなことをして」と嘆いていたという。要するに「われわれ『人間』には、いい迷惑である」というわけだ。(p95,同)

鼻持ちならん奴らだ。

しかしまぁ、李氏朝鮮時代の“両班”にも似たこの連中に憤ることも善いが、肝は国民の意識の変化にこそあると云いたい。気骨のある外交官が表れてくる土壌となるものは、国家の気風であろうし、それは国民が作っていくものであると思うのだ。

例えば日本は間諜天国であると云われる。これに腹が立たないのかってことである。これを本気で憤る国民の意識の高まりが見えれば、政治家も外務省も変わらざるを得なくなるのではないか。

実は、日本の法律には「スパイ罪」というものがない。完全に法律の不備である。世界中を見て、スパイ罪のない国がほかにあるだろうか。

ソ連は崩壊し、ロシアになったが、対日工作はずっと続いている。日本のロシア政策に影響を持つ政治家を何とか抱きこみ、情報を取り、日本の対ロシア政策をロシアにとって有利なものにしようと躍起になっている。

日本はこれでも主権国家といえるだろうか。独立国家と呼べるのだろうか。国軍も国家戦略本部もない。戦略会議を持つ内務省がない。スパイ罪もない。こんな国は独立国家でもなければ、主権国家でもない。スパイ活動やり放題の「スパイ天国」と呼ぶべきだ。(p101~102,同)  

スパイ防止法と国家反逆罪を成立させることによって、日本も国家としての威厳を少しは持つこともできようというものである。国家に威厳があれば、官僚の選良意識もちっとはマシな方向に向かいそうな気もするが。

ところでこのスパイ防止法に反対している糞どもがいるが、腐れ左翼どもは予定通りとして、カルト教団政治部はなんのつもりでこれに反対してんだ?

2010年10月26日 (火)

「9・11テロ捏造」説はこうして捏造された

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<9・11テロ捏造―日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ
著者 ベンジャミン フルフォード
販売元 徳間書店
定価(税込) ¥ 1,680

読後感:×

陰謀論は嫌いじゃないから読んでは見たが、いくらなんでもそれはw、ってネタが多いなこれ。この御仁の著作を読んだのはこれが初だが、どうにも胡散臭くてしゃあないわ。

そもそも、この9・11が米国政府の陰謀と言っている連中の顔ぶれがw

コシミズ某、中丸薫とかってもう、信じるの無理だろうが。事実ならめちゃくちゃ面白いんだがな。

中丸薫に薦められて、9・11陰謀論のDVDを見て“真実に目覚めた”って言うのがw

これと合わせて読んだのが、奥菜秀次の「陰謀論の罠」。片方の言い分のみ聞いても判断しかねるんでね。

 陰謀論の罠 「9.11テロ自作自演」説はこうして捏造された

どっちかっていうと、奥菜本の方が納得しやすいな。彼が云うように、米国の国防機関って結構抜けてるんじゃないのかと思う。

冷戦に勝ったこともあってか、他の勢力を侮ってる気がする。

諜報活動の比重が、イミント(IMINT:Imagery)だの、テキント(TECHINT:Technical)だのと科学技術に頼りきっていて、ヒューミント(HUMINT:Human)を疎かにしているという指摘もある。

しかも、組織がご多聞に漏れず悪しき官僚主義となって、横の連携が取れていないとも指摘されている。お互いに縄張り意識が強いのだろう。

これは米国に限らず、日本でも似たようなところがあるんじゃないかと思う。

オレが陰謀論が嫌いじゃないという理由は、分からないことの答えを知りたいっていう、単純にそれだけだ。

その点、陰謀論ってのは分かった気にさせてくれるから楽ではあるんだよな。 この分かりやすさってのが危険でもあるわけだが。

ベンジャミン本も、信じかけたところがないではない。しかし、情報源がNetに偏りすぎな気がするんだなぁ。素人じゃないんだから、それ相応の取材ってものが必要じゃないのか?

 チェイニー副大統領がどういう人か知ってもらうためにも紹介すると、ワイオミングのティートン山脈にある軍の施設で、チェイニーは最も危険なゲーム、人間狩りにはまっている。

 そのゲームは、もともと軍人の訓練のために開発されたものだ。このゲームにはいろいろなやり方があったけれども、基本的に、女奴隷たちに逃げ道がないと思い込ませ、洋服を全部脱がせて裸にして、大きな柵の中に解放して、人間と犬で狩をして、見つけて拷問して犯す、というものだ。(p232,第5章 ブッシュ一族の犯罪と秘密結社,9・11テロ捏造より)

頭抱えちまうっつうの。居酒屋ネタにもならんだろこれ。

しかも、その根拠というのが被害者という女性の証言のみって。。。従軍慰安婦ネタと変わらんだろがw

まさにNetってのは、その素人でも情報発信できるという便利な媒体であるわけで、有象無象が跋扈する場でもあるってことは、Journalistなら弁えてないといかんのではないのか。

突っ込んだのは旅客機ではなく、軍用機だったとか?

よく分からん主張だな。テロルを自作自演するのに、軍用機使う理由ってあんのか?hijackと思わせるのに軍用機使うかね。朝っぱらから犯行に及ぶのにか?

それと、WTC7には航空機が突っ込んだわけでもないのに、倒壊したことが陰謀の何よりの証拠であるかのような言い分だが、奥菜本の指摘によればベンジャミンらは、米政府報告書が複数種存在していることを知らず、しかも、それ自体読んでいないというのだからどうにもならんだろ。

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なんつうか、これだけでかい事件で、尚且つ世界中に敵を作ってる(怨みと嫉みの対象になり易い)米国が受けた被害だけに、いろんな説が出るのもしゃあないわな。

気持ちは分からんでもないが、しかし、政府報告書なんて膨大な量で読んでられんとでもいうような言い分は如何なものかと思うがな。おたくらが面倒かどうかはおたくらの問題であって、事実関係とはなんの関係もあるめえよ。

奥菜氏曰く、「この世界は陰謀ではなく、陰謀論に満ちている」は、極めて常識的な判断であろう。

一応自分は、世界に陰謀がないとはいえないと思っている。これは、野望とか戦略と言い替えてもいい。

世界には、一般人には到底持ち得ない権力を持っている連中はいる。政財界の大物と呼ばれる連中には、それなりに勘違いした輩も現れるだろう。

要は、その特定の連中の思惑通りに事が運ぶほど、世界が単純かどうかってことだと思うのだ。

人間の欲望ってのは底が知れない。嫉み、怨み、嫌悪、怠惰、いろんな感情も逆巻くわけだが、その陰謀を企てた連中同士が一枚岩で居続けられる理由はない。裏切りや足の引っ張り合いもあるだろう。

そうなると、どう考えても予定通りに事が運ぶほど、世の中都合よくできているとは思えんのだよな。

まあ、興味は尽きないね、陰謀論ってやつは。とにかく骨休みとして読むぶんには、楽しめるわな。

2010年10月14日 (木)

青年

青年 (新潮文庫) 青年 (新潮文庫)

著者:森 鴎外
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読後感:×

森鴎外の著作では、大分前に「舞姫」と「阿部一族」を読んだことがあったくらいのもので、それ以降とくに読んでいこうと思うほどに、この人の作品に惹かれはしなかったのである。 

最近は、明治期の作家や人物に対する関心が強くなってきたこともあって、鴎外も読んでみる気になったのだが、いかんせん自分には難しい。

この人の作品を面白く読めるようになるには、時間がかかりそうだ。

「舞姫」のときは、その日本語の美しさを味わうことができたし、「阿部一族」のときは、それほど読むのに疲れなかった記憶がある。

この「青年」は疲れるとかいうより、あまりにも仏蘭西語だの独逸語だのを多用しすぎで、いちいち巻末の注解に飛ばなければならんので、苛々させらるったら、なかった。

いい加減にしやがれ、鴎外!ってな具合であって、内容もろくに頭に入ってこないですわ。集中力が切れましたな。

なんつうか、作家志望の青年が熟女に心を奪われたってことだけしか、記憶に残ってないわ。物語中に、漱石や鴎外自身を原型にした人物が出てくるのも、ちょっと興味深いことではあった。

巻末の、解説をよんでみて「へぇ~、」ってくらいの感想だから、もう一度読んでみてもあまり読後感は変わらないかもしれない。

ところで、機関紙・大百蓮華で読んだ覚えのある言葉が出てきた。

「一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。」(p67,)

これ、池田名誉会長が演説か著作か失念したが、引用されていたようである。

前後の文脈を覚えていないので、その時なにを訴えようとされての引用だったのかさだかではないが、いまこれを読むと、違和感を覚えるな。

この一しょう懸命さって、信心(組織活動)にも云えるんじゃないのか?

その時その時の“打ち出し”を為し遂げてしまおうとする。その先には功徳があると思うのである。そしてその先には、、、、。

これは人それぞれとしか云いようがないな。功徳がでたって人もあれば、別に、っていう人もいるんだろう。そもそも、なにを功徳と感じるかも人それぞれだ。

この言葉の後には、こう続く。

 「現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」(同)

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