映画・テレビ

2018年2月21日 (水)

タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密

満足度:☆☆
【莫大な財宝を積んだまま忽然と姿を消したと噂される伝説の帆船、ユニコーン号。その模型を偶然手に入れた少年記者タンタンは、怪しい男サッカリンに拉致されてしまう。 サッカリンは、模型に隠された巻き物の暗号を解き、失われた財宝の在り処を暴くことを企んでいたのだ。 サッカリンが乗っ取った船、カラブジャン号の船内で目を覚ましたタンタンは、船長である酔っ払いのハドックと力を合わせ、船からの脱出を試みるが…。】
こどものころ好きだった漫画の映画化である。
ベルギーの漫画家、エルジェの原作には子ども時代のおもいでがつまっているので、アメリカ流のやりすぎによって原作の味わいがなくなっていないかが気がかりだった。
原作とまったく同じではないのは致し方ないとして、不満の第一はCGであった。
観ようか観まいか迷った理由がCGという点にあったのだ。
スピルバーグ監督はよくやったとおもう。
技術はさすがとしかいいようがない。
最後まで飽きさせずに引き付ける脚本と映像技術は、映画の本場アメリカここにありといったところ。
が、原作におもいいれがあるばかりに、満足しきれなかったのだ。
だから☆はふたつにした。
CGの技術はすばらしい。
最初の映像で、いきなり実写映画かと見間違いをおこしたほどのすばらしさである。
だが、ひとの顔がでてくるとそうはいかない。
とくに、しつこいようだが原作を知っている者としては、どうしても人物たちの顔に違和感を感じてしまうのだ。
その違和感を最大級に感じるのが、こまったことに主人公のタンタンにたいしてなのである。
アメリカ的には、いまどきアニメをセル画でやってられないのだろうが、どれだけリアルに迫っても完全には至らないのなら、アニメの味わいをだすか、実写で撮るかにはっきりしたほうがいいとおもう。
このシリーズはむしろ日本でつくってほしかった。
ひさしぶりに原作シリーズを見たくなったし、ムーランサール城みたいな家に住みたいとおもっていたころがなつかしい。

2018年2月18日 (日)

ゼロ・グラビディ

ゼロ・グラビティ 満足度:☆☆☆

【女性エンジニアであるストーン博士は、ベテラン宇宙飛行士コワルスキーと共に、地球より遥か上空の無重力空間〈ゼロ・グラビティ〉で、システムの修理をしていた。だがスムーズに作業を遂行し終えようとしたその時、彼らに思わぬ危機が訪れる…。《無限の宇宙》に取り残された宇宙飛行士が、酸素・重力・生存率《ゼロ》の極限状態に立ち向かう、予測不能のSFサスペンス! 】
これはおもしろかった。よくこんな映画撮れるなと感心する。さすがアメリカ。
まず映像だが、役者の演技がすごい。ほんとうに無重力空間で撮ったのではないかとおもわせる動きをしている。どうやって撮影しているのか知りたくなる技術で、アメリカの映画産業はいったいどこまで進んでいるのかとおもう。
内容をかいつまんで記すと、宇宙で船外活動中にロシアが人工衛星を破壊したことによって破片が飛び散り、それが連鎖反応おこして次々に衛星を破壊していく事故がおきてしまうよいうもの。
だが、不要になった人工衛星を破壊することなんて珍しくないのではないか。破片(宇宙デブリ)が飛び散ったくらいでこんな事故が起こるようじゃ、宇宙ステーションの建設とかできないとおもうのだが。
兎に角パニック映画の金字塔と云ってもいい。すくなくともじぶんにとってはそうである。他人のレビューでは相当辛辣に書かれているのでかるくショックを受けたくらいである。 宇宙飛行士としての訓練をうけてきたのにあんなにパニックになってバカじゃないかとか批判されているが、いくら訓練してもじっさいに宇宙空間でこんな目にあったら、パニックおこすだろ。
地球からの救助がこない場所であの無限空間である。あの空間にでるということ自体がものすごい恐怖だとおもう。宇宙にいってみたいという素朴な気持ちも萎えてしまった。
10分に一度というくらい、つぎつぎにピンチを迎えるわけだが、そこはキャプテンアメリカである。最後まで希望を捨てずに(やばい状況でもジョークをとばす)、サードマン現象のようなことまでおきつつ、見事に切り抜けてみせるのである。

2018年2月12日 (月)

American Pastoral

アメリカン・バーニング-字幕版-ユアン・マクレガー

【ベトナム戦争が暗い影を落とし始めた1960年代。高校のスター選手だったスウィードは父の事業を継ぎ、ミス・コンテストの女王ドーンを妻に迎えて順風満帆な人生を築き上げた。しかし反戦運動に感化された一人娘のメリーが、近隣で起きた爆弾テロ事件の直後に姿を消してしまう。容疑者として警察から追われる娘の無実を信じ、必死に行方を探すスウィードは、娘の仲間だと名乗る謎の女に追いつめられ、一家の人生は崩壊していく。家族の幸せを再び取り戻そうとするスウィードの長く苦しい戦いの先には衝撃の真実が待ち受けていた】

満足度:☆

後味は良いとは云えないが、素晴らしい映画だとおもう。こういうドラマを撮れるところがアメリカの凄さである。スターウォーズから家族劇まで、魅せる映画を撮れるのは、映画産業全体の持つ底力なのだろう。映画で文学してしまい、結果的に作り手の自己満足で終わってしまう愚はおかさない。だから最後まで観続けられる。時間とともに焦燥していくジェニファー・コネリーの変貌ぶりもすごかった。

戦勝に沸いて絶頂だったころのアメリカでなくなった時代、国民の高揚感はヴェトナムの泥沼によって失われた。そういう失意の時代が舞台になっている。

その時代に、あるちいさな町で、事業家のおとことその家族に起きた悲劇を、ある作家が知るところとなる。かれは、友人からその兄の死を知らされ、事の顛末を知る。

町のヒーローであり、美人の妻をもち、親から事業を継承して、なにも不自由ないはずのおとこが、その娘が左翼革命家になってしまったことによって、夫婦関係が崩壊していく物語。たしかこれに似たじじつがじっさいに起きていたようにおもう(テレビでみた記憶がある)のだが、はっきりおもいだせない。

ひとはなぜ、ひとを殺すのか。なにが殺人を正当化させるのか。

観念である。観念がひとを殺す、と笠井潔は云う。

ひとりの、吃音に悩む少女にとりついた観念とはなんであったか。革命思想、階級闘争である。あの時代の若者は少なからずこの観念に侵されたにちがいない。経済的不自由のない生活に罪の意識を感じるというのは、the American way of life を謳歌できた時代にはなかったはずだった。 戦争の長期化によって、いやでも見えてきた自国の醜さに愕然とした「意識のたかい」若者たちは、革命を夢見た。

なぜ、この少女は、革命に身をささげる観念に憑かれてしまったのか。そこに至る予兆とおもわせる科白を、かのじょは云っている。

“人生とは、人が生きている間の短い時間” と。

虚無と云っていい。すくなくとも、ユダヤ・キリスト教てき文化のなかにおいて、この人生観は虚無主義といえる。現に、かのじょの両親はあからさまに表情を曇らせるのだ(尤、こんなことばを少女がくちにだせば、どんなおとなでも同じ反応をしめすだろうが)。

この少女が、このように虚無的傾向をしめすに至るのは、母へのふくざつな感情にあったはずである。美しい母と似ても似つかぬ自分。父の愛を独占したかった少女は、革命運動に居場所をみつけた。

このように解釈してみると、この映画は徹頭徹尾、思想の映画にみえてくる。

こじつけ且つ、雑な解釈を試みるなら、父がユダヤ・キリスト教における神の代名詞であることは自明として、the American way of lifeの終焉とベトナム戦争の泥沼化による人心の荒廃などは、父への裏切りからくる楽園追放と原罪を負った人間という暗喩までもおもわせる(この場合、なにが父への裏切りとなるかが問題だが)。こじつけついでに云うと、少女が階級という罪の意識を感じ、自己懲罰的生き方を選ぶきっかけは、焼身自殺をする仏教徒をみたことであった。 仏教を虚無主義とみるならば、この物語の主題は、 父(神)の愛を素直に受け止められないこころに虚無(仏教)が入り込み、そして虚無が革命思想(無神論という罪)に走らせ、破滅に至る。ということだろうか。

とすると、最後のシーンはどう解釈できるだろうか。亡き父の棺の前に現れた娘という演出は、なにを語るのか。父の死は革命の季節のおわりを意味しているとも云えそうだから、父との和解か。若しくは彼女じしんの復活(魂の)か。

こんなことをつらつら考えてみたものの、聖書に記されている物語の数々は、凡そ人間存在のあらゆる局面を網羅しているわけで、どんな作品も、なにかしら聖書に対応する面をみることはできてしまうとも云えるのだが。

最後にひとつ。階級闘争に身をささげたかのじょであったが、そのなかで受けた恥辱のかずかず(レイプされたことを父に告げるシーン)は、且つて連合赤軍に身をささげた女性たちが経験することになったこととおなじであったろうとおもう。

階級闘争と云いながら、その運動のなかにおいてさえ、女性に求められるものは、おとこたちの我儘を無限に受け入れてくれる母性と、欲望の捌け口としての肉体だけであるという事実。所詮、欺瞞の運動が成就するはずはなかったのである。

2012年5月 3日 (木)

インド人マジパネェっす!

インド人自重wwwwwwww

2012年4月 4日 (水)

Hobo with a Shotgun

えげつないこと極まりない映画だが、血潮が沸き立つ爽快さも味わえる。

血飛沫が舞う映像が年々苦手になりつつあるのを感じる。

内容はですなぁ、まあ、有り得ない設定だわな。こんな犯罪やり放題で放置の街は、マッドマックスの世界ならまだしも、報道機関もちゃんと存在している世の中で、いくら街の有力者が腐れ警察の金玉握ってたとしても、ここまでやり放題はないだろ。

てか、住民いつまでこんな街に住んでんだっつうのw

まぁ、流れ者の勇気あるおっさんが、この腐った街を大掃除するってお話だ。

2012年3月16日 (金)

アリス・クリードの失踪

 

 Gemma Christina Arterton、 Prince of Persia: The Sands of Timeを観て、良いじゃんこの女優と思ったので、これも観ておいた。

 演者が少ないってのが良い。金かかってないよなこの映画。でも、面白く作れるんだな~、向こうの映画人って。

 Gemma目当てだから犯人役の二人はまったく知らない役者である。背の高い方の役者が誰かに似てる気がしてるんだけど、名前が出てこない。

  その気が全くないオレにとって、この犯人たちの関係は観るに堪えなかった。演技とはいえ、あんなに武者振りつくとは役者ってのは凄い仕事だわ。

 見所としては、やっぱ最後かな。大金を見た途端に、今迄囚われの身であった恐怖とか、早く家に帰りたいとかいう感情が吹っ飛んで、この大金を自分の物にしようと一瞬思っちゃった感じが、Gemmaの表情に見えたのがオレのツボであった。 

 後、空薬莢を便所に流そうとして失敗しまくるところが可笑しかった。

2012年2月13日 (月)

酔いどれ詩人になるまえに

 実在した作家が元になっている映画である。

  観ているこっちまで酔っぱらいになりそうなくらい、兎に角飲みまくる。

  起床するなり迎え酒。 仕事中も酒を呷り、当然の如くクビとなる。 

 なんの仕事も続かない。 親にも見放される駄目男。

  なのに、不思議と不快感がない。

  屹度、彼自身が自分を見捨てていないからなんだろう。

 何の目標もなく、自堕落に生きているだけの男の人生なら、劇にはならなかったろうし、観ている方もその下らなさに付き合いきれなくなるだろう。

  だが、この男には作家になるのだという目標があった。

 勿論、それだってモノにならなければただの酔いどれの怠け者でしかなかったろう。

  結果オーライとして見るかどうかで評価は分かれる映画かな。

  ひとつ印象的な言葉を彼は残した。

 “人は容易に自分の惨めさを手放そうとはしない。怒りを燃やし続けるためのエネルギーだからだ” とかいう趣旨の言葉であった。

 なかなか深い言葉ではないか。

 

 

2012年2月 6日 (月)

ラスト・ターゲット

George Clooney主演。

無口な殺し屋を演じている。

格好好かった。

Italyが舞台。

娼婦と恋に落ちる。

普通の男になりたいと思う。

最後の仕事を引き受ける。

狙われる。

、、、、

人生は最後が美しい、と、予告にあるとおり。

最愛の女の待つ場所へと向かうが........。

地中に根を張る、一本の木にぶつかって、彼の車が止まる......。

象徴的な最後であった。

根無し草の様な人生に終を告げる。

2011年12月13日 (火)

魔女の季節

 【14世紀を舞台にした本作は、何十年も続いた熾烈な戦いを終え、故郷へと戻る騎士のベイメン(ニコラス・ケイジ)とその友フェルソン(ロン・パールマン)を中心に繰り広げられる、超常現象を交えたアクション・アドベンチャー。やっとのことで帰還した2人が見たものは、黒死病で壊滅的状態に陥った故郷の姿で、教会は苦境に立たされていた。そして彼らは、人々から"魔女"の疑いをかけられ、街の破滅の元凶と糾弾される少女アンナ(クレア・フォイ)に出会う。ベイメンとフェルソンはアンナを、悪魔払いの儀式が行なわれる教会まで護送するのだが】

 やっぱ、CG多様した映画は相性悪いなオレ。ラスボス頑張って怖く見せようとしてるんだろうけど、「恋の罪」の冨樫真の立ちんぼ姿の方がはるかに怖かった。

 

 異教徒を成敗しに行くが、殺しまくる生活にいいかげん疑問を感じたケイジと相棒は、群れから離れて生きることを選んだ。が、通りすがりの街で勇者認定されちった二人は、黒死病の原因と“狂会”に認定された少女を悪魔祓いの為に、運び出す作業を任された。

 で、いろいろ妖い現象が起きる。

 黒死病など、理解できない現象を宗教的に解釈するというのは、科学の発展を見までの人類共通の態度ではあったわけだが、その科学の発展が西洋で起きた理由が、やはり一番興味のある点だな。

 素朴に自然崇拝している民族からは、科学の発展は起きないということか。万物は創造主の御業であり、人間は神の似姿であると。ならば、人間が自然を開発できるし、その権利があるってことか。

 こう考えると、西洋初の環境保護思想ってのも、やっぱり人間が自然の上位に来る思想なんだろうな。人間は自然を破壊することも出来るし、保護することも出来ると。

 保護って考え方自体、人間のほうが上に居る発想だしな。オレなんかは、自然は、たかが人間ごときの保護を必要とするほど、ヤワじゃねえよって思ってるけどね。

 

2011年12月 6日 (火)

ゲンスブールと女たち

 いや~~~~~~~、っ長い!!

 おフランス映画ながいっ!

 Serge Gainsbourgって名前は知ってた。カヒミ・カリィがよくradioで紹介してたから。 ただ、オレの趣味ではない。そもそも、おフランス語の鼻にかかった音が苦手といいますかね。

 醜男でユダヤ、だが、モテまくる。稀代の伊達男、それがSerge Gainsbourgだそうだ。この俳優、おフランス版Mr. Beanって感じだが、真に適役ではないかと思った次第。

 内容はっつうと、まぁ、Gainsbourgの人生を撮ってるわけなんで、音楽・女・煙草・ヤク・♀・(-。-)y-゜゜゜の無限loop状態。面白いかっつうと、ぅんにゃ、もっと余分なとこ削れたよね?、感じだな。だいたい、結果は分かってるんだからもっと引き締めてもらいたいですなぁ。

 それにしてもこの映画(も)、出てくる奴ら、やたらと煙草吸いまくるんだけど。昨今の禁煙fascism(小谷野敦曰く)を屁とも思わぬ豪快な吸いっぷりに、見ていて煙たくなってきちまったわ。

 ガキも野郎も女も、出るやつでるやつ只管スパスパ(^。^)y-.。o○

 しかも、次元かよ!とツッコミたくなるほど短くなるまで吸いまくる。

 結局、煙たい印象しか残らない映画で、Gainsbourgへの興味も得に湧いてきはしないな。才能ある人が辿る苦悩の姿というのも、洋の東西を問わずお馴染みではありますのでね。

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